20 自分の居場所
フォンシエがくるりと振り返ると、酒瓶を手にした男たちがいる。
「フォン坊! 今日は逃がさねえぞ……!」
「おうとも! いつもこっそり逃げやがって!」
そんなことを口々に言うが、フォンシエには特に思い当たることはない。
「礼拝堂に行こうとしていただけですが……」
「そんなもん、いつでもいける! 今日は戦勝を祝って、飲み食いしようじゃねえか!」
フォンシエは半ば強引に連れられていく。
(礼拝堂、夜になったら閉まっちゃうんだけどな……)
ちらりと団長に視線を向けて助けを求めるも、彼は少し悩んだ後、にこやかな笑顔を向けてきた。行ってこい、と。
そうなると、フォンシエも観念して引きずられていく。どうせ今日はもう時間も遅いから、外に出かけることもない。じきに日が暮れるだろう。
ほかの傭兵たちはすでに酒が入っているようだ。
屋外のやや広い土地を使って、自由に飲み食いしている。料理はすぐ近くの店から次々と運ばれてくるところだった。
フォンシエはあんまり目立たないところに腰掛けると、適当にそこらの料理を口にする。
普段、一人でいるときは簡単に済ませてばかりだったから、たいしたものではないのに美味しく感じた。
「フォン坊、酒は呑んだことあるのか?」
「いえ。15になったばかりですから」
「そうかそうか、ぐびっといくといい。嫌なことも忘れさせてくれる」
そう言われて、フォンシエは酒のなみなみと注がれたグラスを手に取る。
15から酒が飲めるため、たいていはその年で女神の祝福を受けた後、故郷で祝いとして口にすることが多かった。
けれどフォンシエにはまだ、今の自分には帰るべき場所があるようには思われなかった。
(嫌なこと、か)
人生でそう感じたのは、村人の職業を得てしまったことだろう。絶望と言ってもいい。もっと強く、戦いに役立つ能力を欲していたのだから。
しかし、あれから時間もたって、そんな感情も変わってきた。
たとえ村人でも、これから高みを目指していくことができる。いつかきっと、この力でフィーリティアと並ぶことができる日も来るのだと、思えるようになった。
だからいつしか、嫌な過去というわけでもなくなった。
では、嫌なことはなんだろう。
フォンシエは考えたとき、フィーリティアの姿が思い浮かんだ。
彼女のことを考えなくなること。目標を諦めてしまうこと。あっさりと楽な道を選んでしまう未来。
生きていれば、人は誰だって心変わりする。ずっと強く念じてきていても、ちょっと気を抜けば、一度なにかのきっかけがあるだけで、変わってしまうときもある。
「フォン坊、そんな警戒しなくても酒は襲ってこねえぞ!」
傭兵が笑うと、フォンシエは酒に口をつける。そして喉の奥へと流し込むと、腹の底が焼けるような感覚を覚えた。
なんとか我慢するも、これのどこがいいというのか。フォンシエのその思いはすぐに顔に出たらしい。
「はははっ。たった一杯で赤くなってるぞ」
「……もう、こんな味がするなら教えてくれればいいじゃないですか」
「そのうち慣れる。それまでまだまだガキってことだ」
「じゃあいつまでもガキでいいですよ」
フォンシエは口を尖らせ、近くにあった料理で口直しをする。
無理して酒を飲もうという気にもならないし、別に飲めないならそれはそれでいい。
それになにより、自分が子供でなくなるのが、少し不安でもあった。賢い大人なら、自分の分をわきまえて、勇者と並ぼうなんて思わないはずだから。
フォンシエはむんずと掴んだパンにかじりつくと、口いっぱいに頬張る。それから、たっぷりのミルクで口を潤した。
はてさて、そうしていると、団長が隣にやってきた。
「どうだ。たまには悪くないだろう?」
「ええ、そうですね。お酒の味はよくわかりませんでしたが」
「そんなのはちっぽけなことさ。ここには、出身も性格も、なにもかも違う人間が集まっている。けど、俺は気に入ってるぜ」
フォンシエもこの傭兵団は気に入っていた。
だからこそ、ここにいればいつか代わり映えのしない日常に甘んじてしまうのではないかという気がしてしまう。
「やっぱり、団に入る気はないのか」
「ええ。そうなると、移動が難しくなっちゃいますから」
「そうか……。いや、悪かった。その上で頼みがあるんだが」
あまり詮索しないのが、この団での暗黙の了解だった。誰しも、様々な事情がある。
「なんでしょう?」
フォンシエが尋ねると、団長は少しためらってから、口にする。
「……依頼があったんだ。魔物の調査に赴いてほしいと」
「奥地ということですか。危険ではありませんか?」
「ああ、わかってる。だけど、ほかに仕事がねえんだ。これだけの傭兵団にもなりゃ、小さいものだけじゃ食っていけない」
大きくなればなるほど、身動きが取れなくなる。責任も大きくなるだろう。
フォンシエは彼の姿を見て、次の言葉を待った。
「なあ……お前も手伝ってくれないか?」
危険なことはわかっている。傭兵団に所属していない彼なら離脱だってできよう。
だが、フォンシエは断ることはできなかった。それに奥地なら魔物もいる。彼の目的へ近づけるという打算もあった。
「わかりました。ではそれまで、この都市にいるとしましょう」
「助かる。頼りにしているぞ」
そういうことになると、フォンシエは少しだけ予定を変えることにした。
賑やかな傭兵たちが騒ぐ中、彼はいつしか眠くなってくる。なんだかその場を離れるのは寂しい気もしたが、明日も早くから活動するのだ。
喧噪を耳にフォンシエは宿に戻ると、泥のように眠るのだった。
◇
北の大地を兵たちは駆けていた。
息はすでに上がっており、全身の筋肉が限界を訴えている。
だが、それでも彼らは走らねばならなかった。必ず生きて帰らねばならなかった。
(あんな化け物がいるなんて……くそっ!)
内心の悪態を口にすることはない。
そのような気力はすでに失われており、なにより口が動いたとしても、恐怖でその言葉が出てくるはずがない。
――魔王ランザッパがいた。
彼らの目的は北の調査に赴くことだ。そして敵が集まっている場所を探り、今後の動きを予想するのに役立てる。
彼らも長くその仕事をこなしてきた。それゆえに、敵の居場所をぴたりと当ててしまった。そう、あまりにも正確に。
男はせっせと足を動かす。不安のあまり足がもつれそうになるが、ひたすら精神を集中させることでなんとか堪えていた。
が、突如。
糸が切れるように倒れ込んでしまう。
すぐに起き上がろうとした男だったが、うまくいかない。
苛立たしげに振り返ると、そこには牛頭の化け物が見下ろしていた。
ミノタウロスだ。手には鉄の斧を手にしている。
膂力だけでさえオーガに勝り、その上こちらは武器の扱いに長けている厄介な相手だった。
そして今、その牛頭の人型は思い切り斧を持ち上げようとしていた。
逃げなければ。
そう思って男は身をよじり、ようやく気がついた。すでに彼の足が両断されていることに。
「ひっ!」
思わず声が漏れる。
死への恐怖。そして役割が果たせないことへと後悔。
せめて、同胞が一人でも生きて帰ってくれたなら、彼の人生は少しでも意味があったものになっていただろう。
しかし、彼が見た光景は、額傷のある巨大なミノタウロスが、彼の同胞を打ち砕いているところだった。
鉄の兜も鎧もなにもかもが一撃でひしゃげ割れて、そして中から臓物が飛び出す。
もう、一人として生き残っている者はいない。
呆然と眺めていた彼だったが、それも僅かな時間だった。
屍が風に晒される。
偵察部隊の全滅をもって、ミノタウロスたちはようやく斧をゆっくりと下ろした。血塗られた刃がてかてかと輝いている。
魔王ランザッパはもはや転がっている人間に興味を示すこともなく、移動を開始した。




