2 勇者と村人
(嘘だろ……?)
フォンシエはその文字を、何度も何度も繰り返し眺める。
しかし、一向に変化する気配はない。
(嘘だ、こんな固有スキル聞いたこともない! なんで、なんでこんなことに……!)
フォンシエは思わず叫びそうになりながらも、すんでのところでぐっと堪える。
それから、僅かな希望を探すように、意識をあちこちに向ける。
通常、固有スキルは複数与えられる。
そしてほとんどの者にスキルポイントボーナスは与えられているため、最悪、レベルが上がらなくとも、初期のボーナスさえ高ければなんとかなる可能性もある。
だが――。
ない。どこを見ても、「レベル上昇1/100」の文字があるばかり。
呆然としていたフォンシエだったが、ふと、肩に重みを感じた。神父が彼の肩に手を置いていた。
すでに、周囲には誰もいなくなっている。皆が皆、それぞれの固有スキルを得て、礼拝堂をあとにしていた。
いつまでもここにいても仕方がない。
フォンシエはスキルポイントなしで取れる職業を選ばねばならなかった。けれど、それは「乞食」と「村人」くらいのものだ。
ここで選んだ職業は、一生涯固定されることになる。あとから得たスキルポイントでほかの職業のスキルを取ることもできるが、それでもあくまで「ほかの職業のスキルが使える村人」になるだけだ。
剣士であれば膂力が上がり、魔術師であれば魔力が増えるなど、職業には特徴的な能力がレベルに応じて付加される。しかし、村人は上げたところでほとんど恩恵がない。
レベルが低いうちはまだいい。自分の肉体的な能力だけで補えるから。
けれど、ベテランの兵ともなれば、もはや太刀打ちできないほどの差が生じる。
兵士としての道はもう、閉ざされたと言ってもよかった。
(……村人、か。はは、こんな未来、予想なんてしたこともなかった)
自嘲気味に笑いながら、彼は決断を下す。
こうして、フォンシエは一生、「村人」である運命を受け入れることになった。
彼はふらふらと、おぼつかない足取りで出口へと向かっていく。
先ほどまで輝かしく思えていた日差しが、今は眩しくて、痛くて仕方がなかった。
礼拝堂の外では、少年たちがそれぞれ語り合っていた。
「なあ、お前どうだった!?」
「魔術師の適性があったから、そっちにしたよ。こう、かっこよく剣を使いたかったんだけどなあ」
「へっへーん。俺なんか、スキルポイントボーナス使って、一気に剣術を覚えたぜ!」
そんな楽しげな言い合いばかりのところを見るに、外れを引いた者はほとんどいなかったのだろう。
「フォンくん! 大丈夫!?」
ぱたぱたと駆け寄ってくるフィーリティア。彼女はフォンシエの様子を見て、あらかた察したようだ。
「あ、ああ……なんともない。それよりティアはどうだった……?」
「あ……うん。その……勇者の職業になった、みたい」
その言葉を拾った周囲が急にどよめいた。
兵士が慌てて駆け寄ってきて、真偽を確かめようとする。
フィーリティアはフォンシエのほうを気にしていたが、それどころではなくなってしまった。
「勇者と言えば、光の剣を使うもの。見せていただけませんか?」
フィーリティアは請われ、兵から剣を受け取ると、そこに光を纏わせた。
そのまばゆい光に、誰もが息を呑む。
そうして人々が見守る中、フィーリティアは剣に纏わせていた光を消していった。
「本物の勇者だ……!」
「まさか、同期にいるなんて!」
騒然とする少年ら。
勇者なんて、そうそう現れるものじゃない。だから彼らの反応は当然だった。
けれど、フォンシエは彼らとは違う思いを抱いていた。
(俺だって……! 俺だって、戦う力がほしかった! 彼女と一緒に、魔物を退けると約束したのに!)
そんな思いはもはや叶わないだろう。
フィーリティアがフォンシエに困ったような視線を向ける。
当然、悔しいし、自分だってああなりたいと思う。
だけど、今すべきことはそうじゃない。
「おめでとうティア。これで、夢が叶うじゃないか。魔物のいない村を作れるんだ。……俺は一緒には行けないけれど……応援している」
「あり、がとう……フォンくん」
それからフィーリティアは、兵に連れられていくことになった。
勇者ということで、特別待遇なのだろう。なにからなにまで細かく指導してもらえるに違いない。
彼女を見送ってから、兵が一人一人、能力を確認していく。
ほとんどが、たいした能力があるわけではなかった。けれど、それすらもフォンシエにとっては羨ましくて仕方がない。
「……君の固有スキルは?」
「レベル上昇1/100です」
「む? 聞いたことがないな。だが、なんにしてもそれでは……」
その先を言わなかったのは、せめてもの思いやりだったのかもしれない。
兵は彼にあまり関わらず、次の少年のところに行った。
確認が終わると、それぞれに武器が渡される。
集団で魔物討伐の訓練が行われるのだ。これは職業を得ていい気になった新人が死亡する確率を減らすためである。
そしてフォンシエにも大人向けの剣が手渡されることになった。
「……一応は、決まりになっている。この任が終われば、村に帰っても構わない」
「お気遣いなく。剣は慣れてますから」
そう、慣れているのだ。
ただの村人が。剣を振ることに。こんな滑稽なことがあろうか。
けれど、フォンシエはそれでも泣くことなどすまいと、心に決めていた。
「それでは出発する。行き先は近くの森だ。危険は少ないが、紛れ込んだ魔物が生息している。十分、気をつけるように!」
兵が声をかけると、少年らはぞろぞろとあとに続く。
都市の人々は恒例となったこの行事に、自分の若い頃の姿を重ねてはあれこれと口にする。
少年らは胸を張り、通りを歩いていく。
彼らの中には、「農民」などの職業を選んだ者もいた。けれど、初期のスキルを得るために、こうして戦いに赴くのはやぶさかではないのだろう。
そうして彼らが森に到着すると、各々が武器を手に取った。軽く、基本的な動作の指導が行われるのだ。
フォンシエは本格的に剣技を習ったことはなかったが、一度村を訪れた兵に剣を教えてもらい、それからずっと訓練を欠かさずに行ってきた。
だから彼の剣技は、素振りだけでも冴え渡って見える。
そんなフォンシエを見た兵の残念そうな顔には、「これでまともなスキルがあれば」と書いてある。
もちろん、彼だってそんなことわかっている。
無心で剣を振り続けて少々。ようやく、彼らは森の中に足を踏み入れることになった。
「うわあ、薄気味悪いな……」
誰かがそんなことを言った。
森はうっそうと茂っており、なかなかに視界がよくはない。
家畜を率いて、餌を食わせるためにやってくる村人も少なくないが、たいていは大人と同伴だった。
というのも、大人であればただの村人だろうが、一応は女神の加護を受けているから、魔物が出たときに逃げるくらいはできるのだ。
しかし、今は兵が数人のほかは、15の少年少女しかいない。
そのことが不安とともに、期待をも抱かせていた。
森を進んでいくと、緑の小鬼がひょいと飛び出す。そして人間の姿を見るなり、棍棒を振り上げて飛び込んでくる。
「グギャアア!」
魔物にも神がおり、敵対する魔物や人を倒すことによって、レベルが上がると言われていた。
だから、この争いは必然。遠慮などする必要はなかった。
「うぉおおおおお!」
槍を持った少年が突撃し、ゴブリンにぶちかます。
穂先が抜けなくなって慌てた彼に、まだ生きているゴブリンがぎょろりとした目を向けると、少年は青くなった。
「く、くそ! 抜けねえ!」
しかし、側面から回り込んだ少年少女がゴブリンに刃を突き立てると、その魔物はかき消えて、魔石となった。
随分と拙い戦いだ。
しかし、農民や商人など、戦いに関わらずに生きていくには十分なのかもしれない。
森の深くに足を踏み入れるにつれ、魔物の数は増えてくる。
フォンシエは苛立ち混じりに、剣をゴブリンに叩きつけていった。
「食らえ!」
敵を切り、打ち倒し、魔石を拾う。たったそれだけの行為が、彼を落ち着かせていった。
そうして進んでいた彼だったが、兵が突如、全員に止まるように指示を出した。向こうに、十数匹のゴブリンがいたのだ。
弓を持っている者や、魔術が使える者に、遠距離から攻撃を仕掛けるように告げられる。それが終わると同時に、全員で一気に襲いかかる手筈だ。
「撃て!」
そして合図とともに、矢や炎の塊が放たれた。
それらはゴブリンを襲い、貫き、焼き払っていく。
「グギャアアアア!」
悲鳴とも雄叫びともつかないゴブリンの叫びが放たれる中、フォンシエはいの一番に飛び出した。
まだ混乱しているゴブリンの首を一太刀ではね、返す刀で襲いかかってきたゴブリンの手を切り落とす。
普段よりも調子はずっといい。女神の加護とやらは、村人でもそれなりに有用のようだ。
フォンシエが一体、二体と仕留めていく中、背後で悲鳴が上がった。
振り返ればそこには、ゴブリンよりも大きい緑の鬼の姿があった。
ゴブリンの上位種であるゴブリンロードだ。
(嘘だろ!? なんでこんなところに……!)
その魔物が棍棒を振るたびに、未熟な少年らがなぎ倒されていく。そして兵が切りかかると、ぱっと跳躍して木々の上に飛び乗り、そこから魔術による攻撃を始める。
炎の塊が幾度となく地面に着弾すると、絶叫が響き渡った。
(どうする……!?)
フォンシエは逡巡する。見捨てることなんてできやしないが、かといって行ってなんになる。ただの村人になにができよう!
兵たちが陣形を整えているのを眺めていると、ゴブリンロードは木々の上を軽々と移動しながら、この場を離れていく。
ほっと胸をなで下ろしたのも束の間、ここにいる少年らは傷を負い、中にはすでに命をも失った者がいる。
(……このまま戦い続けたとして、あんなのに勝てるのか?)
フォンシエはそう思わずにはいられない。
しかし、今すべきことは彼らの救助だった。
傷を負った者に手当てをし、都市へと引き上げていく。
そうして辿り着いたときには、すでに日が落ちつつあった。
無事だった者は皆、礼拝堂へと赴く。
魔物を打ち倒した褒美として、より強い加護を得るのだ。つまり、レベルが上昇し、そのたびにスキルポイントが得られる。
フォンシエはさして期待することもなく、祈りを捧げた。
そうすると、レベルが上昇したことが判明する。
レベル1.05 スキルポイント50
(……おや?)
レベルが1上がると、スキルポイントは10もらえることになっている。しかし、0.05しか上がっていないのに、スキルポイントは50増えている。
固有スキルの影響が及ぶのは「レベルのみ」であり、レベル上昇は1/100になっているが、得られるスキルポイントの量はレベルが5回上がったときと同じなのかもしれない。
(これはまさか……。スキルポイントが大量に稼げるんじゃないか?)
レベルが上がらない分、純粋な強化はあまり期待できない。
しかし、いつまでもレベルが上がらないということは、それだけスキルポイントを稼げるということでもあった。
魔物にもレベルは存在しており、格下の相手を倒したところでほとんどレベルは上がらないのだ。加えて、レベルが上がるほどより多くの敵を倒さなければならなくなる。
戦い続けた老兵でもせいぜい数十のレベルであることから、高レベルほど上げにくくなるのは間違いない。なにより、強敵と常に戦い続ければ命を落とす危険性が高い。
だが、フォンシエのレベルはいつまでたっても、レベル1かそこらに過ぎない。ならば、弱っちいゴブリンを倒し続けるだけでもレベルは上がり、スキルポイントはどんどん増え続けるだろう。
(まだどうなるかはわからない。だけど……!)
可能性はある。
フォンシエはその可能性にかけてみることにした。