7 いってらっしゃい
「ありがとうございました!」
少年の元気な声がかけられた。
フォンシエが先ほどの戦いに行くきっかけとなった者たちだ。
彼らの顔を見れば、親しい者たちが帰ってきたことが窺える。フォンシエの戦いも無駄ではなかったのだ。
一方で、ここに来ていない子供たちもいる。きっと、どこかで声を殺して泣いているのだろう。
(もう少し早く行っていれば)
そう思うが、すべての命を助けようなんてのは、まさしく神の行いだ。
所詮、人の身に過ぎない彼が実行しようとするのは、おこがましい。
「よかったね」
だからフォンシエはそう声をかけるだけで、深くは関わろうとしなかった。
自分の行動の結果、助かった人たちがいる。彼らの結末を見届けたら、あとは簡単な天幕の中に引っ込んだ。
「おかえり、フォンくん」
「ただいま。ご飯はできてる?」
フォンシエの問いには、「できていますよ! おいしいです!」と楕円形に切り取られた空間の向こうから聞こえてきた。
アルードの家と繋がっているのだが、ミルカはすっかり、我が物顔で出入りするようになってしまったらしい。
「……俺が来るまで、待っててくれてもいいのに」
「ミルカちゃんだもの。仕方ないよ。……それとも、私と一緒に食べるのは不満?」
「そんなことないよ。行こうか」
切り取られた空間の中に入ると、もうアルードの家の中に足を踏み入れた。
中と外の世界を繋ぐ神の力であるが、これほど簡単に行き来できるのであれば、急速に両者が関わってしまい、軋轢が生じるのではないかとも考えた。
しかし、今となってはその心配はない。
「……あのさ」
フォンシエは話を切り出そうとしたのだが、アルードはすっかり酔っ払っているし、ミルカは肉にかじりついて、こちらを見ようともしない。
シーナとアートスは台所で仲良く料理中だ。
「フォンくん。言いたいことがあるなら、私が聞くよ!」
フィーリティアは尻尾をぱたぱたと揺らして、自分の存在を主張する。
「じゃあ、ティアに聞いてもらおうかな。……外の世界だけど、もう生き残りはほとんどいない。ほとんど侵食神に呑み込まれたみたいだ」
「そうなんだ――」
「やはりですか! その根拠は!?」
ミルカがぴょんと飛びついてくるのだが、フォンシエは手で追い払う。
「……肉汁のついた手で触ろうとするなよ」
「おっと、これは失礼しました」
指をぺろぺろと舐めるミルカは、実に狐っぽい。
フォンシエの言葉を聞いて、シーナとアートスも視線を向けてくる。
「心配しなくていい。アートスたちはこっちの世界に避難できるように手配してくれるから。アルードさんが」
「おいおい、勇者じゃなくなった俺にそんな特権はねえぞ」
「ほら、なんとかしてくれるって」
「言ってねえっての。まあ、面倒は見るけどよ」
「とはいえ、俺が負けたら誰も侵食神に勝てないし、どうにもならないけどね」
あっけらかんと言うフォンシエ。
アートスは突っ込まずにいられない。
「そんな簡単に言うことか……?」
「フォンくんはいつも、そういう戦いを切り抜けてきたから。大丈夫だよ。フォンくんは負けないから」
「ティアちゃんも、微塵も疑ってないんだね」
不安そうなシーナもちょっぴり、二人の関係に呆れ気味だ。
が、彼らのこれまでの戦いを知らなければ、無理からぬ反応である。
「それでフォンシエさん。生き残りがいないという話はどうなったんです?」
ミルカが食いついてくる。
「侵食神の記憶……みたいなものを辿ってみると、すでに世界を覆っているような状況なんだよ」
「なんと! フォンシエさんがあと一歩遅ければ、私たちもドロドロになっていたわけですね! 危機一髪です!」
「そんな楽しそうに言われても……」
生き残りもほとんどいない以上、中と外の軋轢など生まれようがない。
考えることが少なくなったとはいえ、とても喜べる結果とは言えない。
が、なんにせよ。
「このご飯を食べたら、侵食神を倒してくるよ」
「フォンくん。私はなにを手伝ったらいい?」
「ここの防衛をお願い。あと、ミルカの世話も」
「わかった! 任せて!」
フィーリティアは布でミルカの汚れた口元を拭い始める。
ミルカはほっと一息。
「至れり尽くせりですね」
「今から面倒見なくてもいいんだけど……まあいいや」
フォンシエも料理を軽く腹に入れると、準備運動をする。
神の力があるため、いつだって最高のコンディションに持っていけるのだが、やはり体を動かさないと落ち着かない。
剣をぴたりと構えると、その威圧感だけで常人は動けなくなる。
が、
「おいフォンシエ。家の中で振り回すなよ。新築なんだぞ、当たったらどうするんだ」
気軽に声をかけるのは元勇者。胆力が違う。
「すみません。壊したら直すので、気にしないでください」
「いや、壊さないように気をつけろよ!」
アルードが突っ込むが、フォンシエは特に気にもせずに剣を振るう。
一分の狂いもなく振るわれる剣は、あたかも体と一体化しているかのよう。
「バッチリだ。行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。気をつけてね。遅くなるようだったら連絡してね」
フォンシエがフィーリティアと見つめ合っていると、
「いってらっしゃいのチューはしないんですか?」
ミルカが茶化してくる。
「新婚さんはするものですよ」
「え、ええ!? えっと……ええ!?」
混乱するフィーリティア。
顔を赤らめながら、フォンシエをじっと見て、それからミルカたちに視線を向ける。
アートスとシーナはなんとも居心地が悪そうに、目を逸らす。
フィーリティアはフォンシエをじっと見つめて、ぎゅっと目をつぶる。
顔がどんどん赤くなるが、なかなか一歩前に踏み出せないでいると、
「大好きだよ、ティア」
頬に触れる感覚。
フィーリティアが目を開けると、穏やかな彼の顔が間近にある。
「それじゃ、また会おう」
フォンシエは亜空間を通って、外の世界へと出ていく。
フィーリティアはしばし固まっていたが、やがて頬を撫でる。
「……フォンくん、ずるいよ」
「なかなか鈍そうだと思っていたのですが、やりますね……」
恥ずかしがりながらも幸せそうなフィーリティアと、なぜか悔しそうなミルカであった。
◇
フォンシエは光の翼をはためかせながら、侵食神の居場所へとまっすぐに向かっていく。
地上にいる神使目がけて光の矢を打ち込むと、片っ端からその力を奪う。
数が非常に多いため、攻撃は自動化しており、フォンシエが意識を傾けることもない。
果てしなく続く漆黒の大地を眺めていると、なんとはなしに寂しい気持ちになる。
(さっさと終わらせよう)
フォンシエは進む速度を速めた。
彼が通ったあとには、正常な茶色の大地に戻っている。しかし、放っておけばいずれ神使たちに食われてしまうだろう。
敵を倒せなければ、帰り道はまた黒い大地を眺めることになってしまう。
倒そう。
フォンシエは気合いを入れると、神の力をたぐっていく。
そしていよいよ――
巨大な漆黒の塊が見えてきた。
「さあ、こいつをお見舞いしてやる!」
フォンシエは特大の光の矢を放った。




