3 アルードの家
「……なるほど。北の向こうの世界か」
あれから外の世界の話を聞いていたアルードは頷いた。
「ええ。向こうでは別の神が見つかったそうです」
「ふむ。……どうするんだ? 壁がなくなったってことは、侵食神とやらも、こっちに入ってくるってことだ」
放っておくわけにはいかない。
これまで中の世界が安全だったが、今後もそうとは限らない。いや、むしろ侵食神は領土を広げ続けているのだから、こちらも呑まれると考えるのが妥当だろう。
「防ぐ。倒す。それしかないじゃないですか」
「相変わらずだな。……とはいえ、俺はもう勇者じゃない。手助けはできねえぞ」
「ええ。今じゃただの飲んだくれですからね」
「フォンくん、それは前からだよ」
「そっか。えっと……使い物にならない飲んだくれですからね」
「ったく。お前ら、言い放題だな。……ま、そんなことは俺が一番わかっちゃいるが」
「戦う力が欲しいのでしたら、譲渡できますよ」
「いや、いい。もう年なんでな」
アルードは十分働いた、と主張する。
フォンシエよりもずっと長い間、魔物と戦い続けてきたのだ。もう引退したいのだろう。
少ししんみりしていると、
「ミルカちゃん! だ、だめだよそんなところまで勝手に漁っちゃ!」
台所のほうからシーナの声が聞こえてきた。
アートスとシーアに止められながら、ミルカが床下を漁っていた。フォンシエたちの常識では、そこまで人の家を勝手に使わないが、外では違うのだろうか。
「適当に見繕ってくれってアルードさんは言っていました。つまり、自由に使っていいということです」
「違うと思うよ……」
違ったらしい。ミルカだけが遠慮がないだけで。
「がさごそ。おや? 謎の瓶がたくさんありますね」
「そいつは俺の秘蔵の酒だ!!」
アルードが慌てて飛んでいった。
フォンシエはそちらに視線を向ける。酒瓶の中に、なにかが浮かんでいた。
「……魔物を使った酒かな?」
「おう! もう今じゃ滅多に手に入らねえ品なんだ」
「これが噂の魔物ですか!! すごいですね! ぜひぜひ、薬品に漬けて標本を作りましょう!」
「やめろおおお!」
アルードがミルカに飛びついて、酒を奪い合う。
アートスとシーナはさっと距離を取った。
「……なにやってるんだろう、あの二人」
「仲良くなれたみたいだね」
「まあ、そうだね。……これからどうしようか?」
「えっと……侵食神の動きは?」
「内側の世界の近くにはないみたいだよ」
だから、考える時間はある。
「まずはミルカちゃんたちが住んでいる場所の近くから調べてみようよ」
「そうだね。外がどれくらい広いのか、全然見当がつかないし、少しずつ進めようか」
二人があれこれと相談する一方で台所では、
「こんなにたくさんの食料があるんだ……」
「どうせつまみくらいしか作らないからな。腐らせるのももったいねえし、欲しけりゃやるぞ。レシピもあるぞ」
「え、いいんですか!?」
シーナとアルードが平和なやり取りしていた。ミルカは面白そうなものを見つけては、散らかしていた。
あの天幕の中がガラクタだらけだったのは、ミルカのせいのようだ。
フォンシエは苦笑い。
「……アルードさん、本当に生活力がないね」
「おつまみを作るだけ、マシなんじゃないかな? お酒だけ飲んでることもあるし」
「そうかもしれないね」
やがて包丁のトントンという小気味いい音が聞こえてくる。シーナが料理を作っているようだ。
アルードはちょっとずつつまみ食いをしては、
「ふむ。悪くねえ」
だとか
「こいつはうまそうだな」
だとか、あれこれと評価している。
「本当ですか? 初めて作るので、不安だったんですけれど」
「住む場所がなくなったら、このまま住み込みで飯を作ってくれてもいいくらいだ」
アルードが冗談めかして言うと、アートスが複雑そうな顔をし、ミルカがぴょんと飛び上がった。
「わかりました! 住み込みでたくさん調べ――おほん。料理を作ります!」
「おい、お前さんは飯を作ってないどころか、散らかしてるじゃねえか」
「まあまあ。落ち着いてください。そういう日もありますよ」
「ミルカちゃんは、そういう日しかないんじゃないかな……」
彼らの話を耳にしていたフォンシエは、ふと、気になった。
「そういえば……言葉を司る力を使っていたんだけど、ほとんど働いてないみたいだ」
「使わなくても、一緒だってこと?」
「何千年もたっているみたいだから、違うところも多いんだけど、基本的な部分は似通ってるね」
世界のシステム上、設定された言語が同一だったのだろう。
しばらくして料理が運ばれてくると、六人でいただくことになる。
「こうしていると、外も中も、人は変わらないね」
「だね。一緒に暮らすこともできるだろう。といっても、やっぱり遠慮のいらない自分たちの土地がいいんじゃないかな」
「はいはい! 私はこの魔物というのが気に入ったので、アルードさんと一緒に調べることにしました」
「おいミルカ、俺は手伝うなんて言ってねえぞ」
「どうせ暇なんですし、大丈夫です」
「確かに暇ではあるが……」
「面倒を見るって言いました」
「うむ……」
すっかりミルカに言いくるめられてしまうアルードであった。もはや勇者の面影なんてありゃしない。
食事を取っている間、ミルカたちは楽しげであった。
向こうの土地は荒れ果てていて、食糧難でもあるようだ。
ミルカがお腹を膨らませてころんと寝ころがり、アルードが顔をすっかり赤らめたところで、フォンシエが表情を変えて立ち上がった。
「……フォンくん?」
「敵が来たようだ」
アートスが勢いよく立ち上がった。
「あいつらか……! くそっ!」
「ちょ、ちょっとアートス!? どうするの!?」
「向こうの車を移動させる! 放っておいたら、呑み込まれちまう!」
「じゃあ、あたしも――」
「シーナはここにいてくれ」
アートスは強い口調であった。ミルカは「じゃあ、私もシーナさんと一緒にのんびりしていましょうか」なんて言っていた。
が、フォンシエが
「神使っぽいな。話ができなければ、とりあえず倒してみようか」
なんて言い出したので、「わあ! 歴史的な場面に立ち会えそうです! ついていきます!」と心変わり。
「ミルカちゃん、危ないよ」
「ティアが守っていてあげてくれる?」
「わかったよ。フォンくんも無理しないでね」
「……やっぱり私もついていく!」
シーナも彼らと同行する決意をする。
アルードは「俺は行かねえぞ。もう若くねえんだ。フォンシエがいりゃなんとかなるだろ」と、酒をぐいと呷った。
「それじゃ、行くか」
フォンシエを先頭に楕円形の空間を通って外の世界へと飛び出すと、ボロの天幕の中に出る。
帷幕を引いて外を見れば、慌てる人々の姿。
「押すな! 急げ!」「南だ!」「いや、東――」「誰か、うちの子を知りませんか!?」
唐突な出来事に、誰もが混乱している。
フォンシエは彼らの姿を見つつ、自身の気配を消しながら、一瞬にして飛び上がった。
はるか遠くに見えるのは、漆黒の大地。
そこから近づいてくる存在がある。
「あれが神使か」
フォンシエは狙いを定めると、動き出した。




