148 女神と村人
フォンシエは剣を構え、集中力を高めていく。
突如、部屋の中央に現れたのは、植物の塊。そうと表現することしかできなかった。
宙に浮かぶその根は上下左右、ありとあらゆる方向に伸びており、草木を巻き込んでいた。
球体状に見える塊の中では枝葉が動き回り、ぬめりを帯びた蔓がにょろにょろと伸びてきている。
(あれは……植物の神か?)
以前、世界の南東に赴いたとき、植物の魔物がいた。
だが、どうにもそれとは違うように感じられる。別種の神がいたのかもしれない。
フォンシエがよく見ようと目を凝らした瞬間、
キィン!
眼前で激しい音が響いた。
いつしか目の前には二人の従者がいて、盾を構えている。そして植物の塊から伸びた蔓が叩きつけられるのを防いでいた。
(あれが当たっていたら)
おそらく、即死していた。
フォンシエはまったく動くことができなかった。もし、従者たちが彼を庇おうとしなければ……。
暗い想像を振り払い、彼は息を吐く。
これが神との戦いを行うということ。人の想像の埒外にある者たちの強さを乗り越えていかねばならないということだ。
(それでも……!)
剣を構え、敵を睨みつける。
従者はすぐさま動き出し、相手も蔓を伸ばして捉えようとしてくる。
フォンシエは「集中力」に光の証を用いると、なんとか動きを見ることができる。対応できるのではなく、見られるだけだ。
体はその動きに対応できず、動いてはくれない。
目でなんとか追い続けていくも、従者たちは劣勢になっていた。二人の翼が蔦に抉られて血が流れ始める。
女神マリスカはこの選択を推奨しなかった。つまり、従者たちに任せていて、自分が安全なところに引っ込んでいれば、間違いなく敗北するということ。
(……やるしかない!)
フォンシエは覚悟を決めると、従者に「癒やしの力」を用いる。彼女たちの傷は瞬く間に治っていく。
けれど、それは同時に彼が注目されるということ。
「グォヴォレロォオオオ!」
植物が唸りを上げながら迫ってくる。今までに敵対してきた魔王とは比べものにもならない速さで。
その姿を前にして、フォンシエは光の矢を放った。
二発、連続で撃ち出したそれは、当たるかに思われた直後、敵をすり抜けていった。いや、そうではない。敵が高速で動くのを目で追い切れなかっただけだ。
そして数本の蔓が彼目がけて放たれる。いつしか、従者たちの姿はなくなっている。彼我の間にはなにもなく、自分で自分の身を守るしかない。
フォンシエは歯を食いしばり、光の盾を生じさせた。
「止まれぇええええ!」
全力で生み出した盾は、すべての蔓を食い止めた。が、直後、あっさりと砕け散る。
「なっ――」
彼が光の翼で離脱しようとするも、そのときにはもう遅かった。
数本の蔓が彼の腕を捕まえていた。そして別の一本が体に巻きつくなり、猛烈な力が加わる。
「う゛ぁアアア!?」
メキメキと音を立て、左腕がへし折られる。
やがて力任せに引き千切られた左腕は、大量の血を噴き出した。
それでもフォンシエは歯を食いしばり、残った腕に力を込めた。
「切れろ! 切れろぉおおおおお!」
力のこもらない一振りであった。
しかし、剣はゆっくりと蔓に触れるや否や、その存在を消し飛ばしてしまう。神殺しの神器の威力は計り知れない。
ビチビチと跳ねながら蔓が引いていき、彼の左腕は投げ出された。
フォンシエはすぐさま、胴体に絡みついていたほうも断ち切る。
「ぐっ……げほっ!」
肋骨まで砕けたのだろう。うまく息が吸い込めない。
それでも、一瞬でも敵から目を離すわけにはいかない。すぐさま睨みつけたところ――
「俺を囮にしたのか」
背後に回り込んでいた従者二人は、神に剣を突き立てていた。
剣身には強い光。おそらく、勇者の光と同質のものだ。あるいは、それ以上の力強さがあるかもしれない。
そして剣が引き抜かれるように動くと、蔓の間から真っ黒な塊が出てきた。
剣で貫かれてなお、もぞもぞと動いている。
(あれが神の本体か……?)
フォンシエが疑問を抱いたときには、塊を貫いた剣を持つ従者の一人が側にやってくる。もう一人は、それを奪還しようと迫る蔓を叩き切り始めた。
「切ってください」
抑揚のない声で告げる従者に従い、フォンシエは剣を振りかぶる。
「うぉおおおおお!」
声を上げ、神器が一閃。
漆黒が真っ二つに裂けたかと思いきや、光を撒き散らしながら消えていく。そして同時に、フォンシエの中へとそれが流れ込んできた。
「……これが「能力吸収」のスキルか」
力が得られるとともに、使い方を把握する。
あの神の能力は、肉体の一部を自在に操るというもの。
「女神マリスカは相当、悪趣味なようだ」
これを手に入れてフォンシエができることなど、限られている。
おそらく、こうして神の力を奪い続けて、それでようやく混沌の地の神に挑むことができるのだろう。
それにしても、こうなることがわかっていたのであれば……。
フォンシエは従者たちに視線を向ける。
「君らも最初から言ってくれればいいのに」
「私たちは最善の選択を取ります」
従者二人はまったく意に介さない。だからフォンシエもまた、気にしないことにした。
「そうかよ。じゃあ俺もそうさせてもらう」
「ご自由に」
神の残骸がすべて消え去ると、室内に女神マリスカが再び現れた。
フォンシエは千切れた腕を手に取り、光の証を用いた「癒やしの力」を使用する。
いくら強力なスキルとはいえ、ここまで痛めつけられては、そのままつければ変なくっつき方をしてしまう。
けれど、奪ったばかりの神の力を使えば話は別だ。
彼の骨や筋肉、血管、神経などが、あたかも生き物のように動いていく。そして正常な構造を取ると、元どおりに修復されていく。
「よくぞ神を倒しました」
「こうなることがわかっていたのか」
「いいえ。倒せる可能性は非常に低く、成功はわずかな見込みでした」
「……そうかよ」
「ですが、これで次の戦いに移動できます」
「休憩くらい、させてくれよ」
「時間がありません。ここで時間を使うと、三つ目の神との戦闘における負傷の治癒に使える時間がなくなります」
どうやら、この神との戦いには時間制限があるようだ。
そして途中で抜け出すこともできない。
「くそっ。いいさ、やってやる。さあ、次だ。何が出てくるのか教えろ」
「死霊の神です」
それを倒せば、少なくとも地上では死霊の魔物による被害はなくなるはず。
「……あなたのレベルが上がった分、スキルを取得し、最適なスキル構成にしました。準備はいいですか」
先の一戦でどれほどレベルが上がったのか。もしかすると、倍にまで膨れ上がっているかもしれない。
これまで感じたことのない力が湧き上がってくる。けれど、それでも神と対等に渡り合える自信はなかった。もちろん、諦める理由にはなりはしない。
「さあ、来い」
女神が消えてフォンシエが構えるや否や、中央にボロ布が生じた。
真っ黒なその姿から、鎌がいくつも生えている。
カタカタ、と不気味な音を鳴らしながら、鎌が分離して迫ってくると同時に、従者たちが動き出した。
今度は動きがよく見える。肉体が強化された恩恵だろう。
すると先ほどの戦いでは、従者に庇われていたことがはっきりとわかった。
今はフォンシエを守る気などなく、敵目がけて飛び込んでいくのだから。守らなくていいほど、彼の力が上がったということでもある。
二人が躱した鎌は、すべて彼目がけて突っ込んでくる。
「躱しきれるか……!?」
背に光の翼を生やし、その場を離脱する。
けれど、鎌は素早く、逃げ切れない……!
「くそっ!」
光の盾を使うも、あっさりと切り裂かれてしまう。
そして彼の指が、腕が断たれ、足が切り裂かれていく。
もはや剣を握ることもできなくなるや否や、フォンシエは切り落とされた腕に、先の神の力を用いる。
腕は力強く宙を飛んでいく。その先にはしかと剣を握ったまま。
向かう先には従者二人。すべての鎌を失い、無防備な姿になった神を拘束していた。
フォンシエ目がけて刃は飛んでくる。剣が敵を打ち倒すのと、彼が切り刻まれるのと、どちらが先か。
「貫け!」
叫ぶとともに、切っ先が神を貫いた。
そしてフォンシエの首を断とうとしていた鎌はふっと力を失い、わずかに下がって胸に突き刺さる。
「うぐっ……!」
集中力が切れて光の翼が消えると、彼は地面に投げ出される。
けれど、そのときには鎌もまた消え始めていた。
死霊の神の力が流れ込む。これは死者を自在に操るものだ。
フォンシエはそれを実感しながら、神の力で切り落とされた自分の手足を動かし、正しい位置につけていく。
失われた血液もまた、彼の体の中へ。
荒い息で呼吸していた彼は、もう少し遅れていたら、出血によるショックで死ぬところだった。
なんとかなったとはいえ……。
すべての手足が元の位置に来ると、癒やしの力で繋げていく。
その途中で女神マリスカは現れた。
「よくぞ神を倒しました」
「死にかけたぞ。こんなのを続けろって言うのか」
「あと85体です。では、レベル上昇に合わせてスキルを取得します」
あっさりと告げる女神に、恨み言の一つでもぶつけてやりたくなる。
それでも、今すべきはそんなことじゃない。
「次はなにをして倒せばいい?」
「あなたが戦うのは炎の神です。従者二人が抑え込みますので、その隙に神器:神滅剣で切ってください。一瞬しか猶予はありませんので、開始とともに襲いかかってください。失敗すれば、神が爆発してあなたの命はありません」
つらつらと述べる姿には、もはや感心するほかない。
「わかった。それじゃあ、始めてくれ」
フォンシエは先ほどよりも中央に近い位置に陣取ると、従者はその前に出る。
そして開始とともに、敵の姿を認識する前に動き出した。
勢いよく飛び出した三人の前に現れたのは業火。
こんなところにどうやって飛び込めというのか。その疑問は、いともたやすく解決された。
従者二人がそのまま炎に飛び込むと、全身から勇者の光を放ち、炎がわずかに小さくなる。
すると、本体が見えた。
そこは魔力がどんどん膨れ上がっており、このままにしておけば、大爆発を起こすのは見えている。
「間に合えぇえええ!」
フォンシエ自身は光の翼で一気に加速し、炎の中へと突入する。
身を焦がす熱も痛みも、今は気にならなかった。
ただひたすらに、魔力の在処目がけて剣を振る。
手応えはなかった。いや、すでに感覚が失われていただけだろう。
癒やしの力を自身に用いていると、次第に感覚が戻っていく。今回は、彼自身の被害はそこまででもない。
といっても、全身火傷を覆ったわけだが。
(……あいつらは?)
慌てて従者の姿を探すと、二つの真っ黒な人型が転がっているばかり。
「そんな……!」
すぐさま癒やしの力を用いるが、まったく変化がない。いや、そもそも使うことができなかった。
ゆっくりと現れた女神マリスカに訴えかける。
「おい、あの二人をなんとかしてくれ!」
「死霊の神の力を使ってください」
「は……?」
「従者は次の戦いに必要です。死者として復活させた後、肉体を操る力で整えてください。自分の体同様に扱えるはずです」
「なにを言って……」
「早くしてください。次の戦いに間に合わなくなります」
「ああ、そうかよ!」
フォンシエは立ち上がり、奪い取った死霊の神の力を使う。
真っ黒焦げになった従者二人が起き上がる。そして肉体を操る力を用いた。
自由自在に動かしていくと、元の形を取り戻していく。
もはや意志は存在していないのだから、戦うための部位だけでよかった。それでもフォンシエは、彼女たちをできる限り最初の形に近づけていく。
相変わらずの無表情は、しかし今、生気が感じられなかった。
女神マリスカはこうなることをわかっていて、死霊の神と先に戦わせたのだ。すべて、納得の上で戦わせている。
「さあ、次の戦いを始めましょう」
「あと84回、繰り返せと言うのか」
「はい。ですがご安心ください。これから23回は、格下との戦いが続きます」
「ただの村人が、もはや神以上の存在となったってわけか」
「ですが、混沌の地の神にははるか及びません」
「わかっている。続けよう。平和のために必要ならば、俺は戦い続ける」
フォンシエは剣を握り、女神マリスカは消えていく。
そして再び戦いが始まった。
◇
カヤラ領の旧首都で、人々は空を見上げていた。
こちらに避難してきていた獣人の女性ルミーネもまた、窓から空を眺めていた。
無数の死霊の魔物が空を飛び交い、中には地上に降りてきて人を襲うものもいる。さらに遠くでは、混沌の地から溢れ出た魔物に襲われているらしく、これでもマシなほうらしい。
といっても、このままでは、数日と経たないうちに、ここは死者の都市になってしまう。
「どうか、どうかお救いください……」
ルミーネは女神に祈りを捧げる。
女神は彼女に祝福などくれはしなかった。けれど、それでも、女神の決断は間違っていなかったと思えることがある。
勇ましい少年と少女。
二人に相応しい力を与えていたのだから。
彼女には、この現状をどうすることもできない。
なんとかする力がないのだ。
だから天に祈り続けることしかできない。どうか、どうかお救いください、と。
そうして彼女がどれほど祈ったときのことだろうか。
さっと日が差し込んできた。いつしか、空から死霊の魔物は消え去っている。影も形も見当たらない。
「うそ……?」
晴れ晴れとした空を見ながら、ルミーネはそれが現実であるとようやく認識する。
そして理由はわからない。けれど、あの二人がなんとかしてくれたのだという気がした。
とはいえ、彼女の命運はまだ明らかにはなっていない。死霊の魔物がいなくなるなり、今度は大翼の魔物がどっと押し寄せてきたのだから。
果たしてこの世界はどうなるのか。
彼女は待つことしかできなかった。
次で完結です。




