140 遺跡の中で
フォンシエは薄暗い部屋の中、中央に鎮座する巨大な石像を眺める。
(……いや、あれは石じゃないな)
よく見つめてみれば、女神マリスカ像と同じ物質で作られていることがわかる。
しかし、その姿は似ても似つかない。
足は獣の四つ、頭には角。頭部には鰓があり、背には翼。あらゆる動物の特徴を併せ持っていた。それでいて、どことなく人間に近い形をしている。
誰もが警戒する中、彼はゆっくりと近づいていく。勇者の光に照らされて、輪郭がはっきりしてくる。
あれはいったい、なんのために作られたものだろうか。
女神マリスカ像と同じ制作者であれば、もしかすると……。
いろいろな考えが頭の中を巡り始めるところに、外から入ってくる情報がある。
女神マリスカの加護 レベル 25.10 スキルポイント80
その文字を認識すると同時に、まったく異なる文字が頭に流れ込んでくる。
数十種類の異なる文字が、同じ形式で並んでいた。
「これはいったい……?」
フォンシエは一つ一つの文字をゆっくりと眺めていく。しかし、普段彼が使っている言葉以外に、見覚えがあるものはなかった。
が、勇者の一人が呟いた。
「まさか……これは、世界中の文字か?」
「どういうことです?」
「この中に古代ゼイル文字があったんだ。昔に信じられていた神と、レベルと、ポイントが書かれている。女神マリスカのものと、ほとんど一緒だな。ほかの文字も同様だとすれば……」
「これほど多くの神と、勢力が存在しているということですか」
基本的に、神は異なる神と対立している。魔物にはそれぞれの種族ごとに神がいて、互いに争い合っている。
(いや、その考え自体が間違っていたのか?)
人と魔物、などと言っていたが、そんな二つの区分に分けられるとは到底思えない。
何十という種族があって、人はそのうちの一つに過ぎず、ほかのものを魔物と呼称しただけではないか。
(だけど、そうだとすると――)
「こんなに種族がいたか?」
「魔人、魔獣、昆虫、水棲、死霊、無機、大翼……主な魔物の種類に珍しいものを追加しても、俺たちが知ってるのは十を超えるくらいだな」
「ってことは、ほとんどが滅びたってことか」
勇者たちの話を聞いていて、フォンシエは考える。
(俺たちは、この世界の果てを知らない。ついこの前、北の壁にぶち当たったばかりだ。けれど、もしあの壁に俺たちの世界が覆われていたのだとすると、種族間の争いによって、滅びるものが出てくるのも頷ける)
世界が遠くまで広がっているのなら、遠くに住んでいる魔物もいることだろう。ただ人類が知らないだけかもしれない。
反対に壁に阻まれて狭い土地に限定されているのであれば、興亡を繰り返しているうちに、種族の数が少なくなってくる。なにしろ、新しく種族が生まれるという話は聞いたことがないから、減る一方だ。
(……あとで見に行こう。この世界がどうなっているのかを)
距離があったとしても、この遺跡の中を探るよりは安全だろう。
少なくとも、もはや雑魚を相手に苦戦するようなことはない。
「ねえフォンくん」
「うん? なにかあった?」
「えっとね……ほかの神様に、ポイントを割り振れるみたい」
「……ということは、女神マリスカからほかの神に切り替えられるのかな」
「もしくは、二つの神を信仰できるのかも?」
「それで力が手に入るならいいけど……対立している種族の神を信仰してしまったら、戦えないことになるな」
もし、うっかり魔獣の神を信仰してしまえば、その魔物を切ってしまうとペナルティが発生するだろう。それが魔獣の神の加護にしか影響しないならいいが、女神マリスカのほうにまでペナルティがかかるようでは不都合だ。
一方で、魔獣の神にしか影響しないなら、間違って取っても、そちらの加護のレベルが上がらないだけだろう。
とはいえ、そんな賭けをする必要はない。試すのであれば、女神マリスカからたいした加護を得られなかった者たちなどで行えばいい。わざわざ、勇者が実験台になることはない。
フリートはそんな話を聞いていて、
「ってことは、ほかの神を信仰すりゃ、人を切っても問題ないって場合もあり得るんだな」
などと言うのだから、緊張が走る。
けれど、ラスティン将軍は冷静に返した。
「少なくとも、女神マリスカの加護にプラスになることはないだろう。ならば、勇者ではなく、別の加護で成長するしかない。それが強力な保証もない」
「もっと言や、今でもこれ以上は勇者のレベルも上がらねえんだから、ペナルティがあろうがなかろうが、礼拝堂に行かなけりゃ変わらねえな」
ちょっとおどけてみただけだとフリートが言うと、フィーリティアはくすくすと笑った。
「フリートさんは、そんなことをしませんよ」
「お、わかった風なことを言うじゃねえか」
「昔がどうだったかはわかりませんが、今は変わりましたから」
「わからねえぞ? 俺が暴れて、誰かに剣を向けるかもしれねえ」
「そのときは、フォンくんが倒しますよ」
フィーリティアは彼に視線を向ける。
フリートは「魔物をぶっ殺すのは大好きそうだが、人には甘そうだ。やれるのか?」なんて言う。
フォンシエはそんな会話を聞いていて、眉をひそめた。
「そんな事態にならないことを祈っていますよ」
もし、人に仇成すことがあれば、躊躇なく切るだろう。
彼は一度、勇者を切っているのだ。今更、綺麗事を言える身ではない。
フリートは「おっかねえな。大人しくしてるさ」などと、震える素振りを見せた。
それから部屋の中を調べてもみるのだが、入り口の反対側に階段があるばかりだった。ほかにめぼしいものはない。
「文字は写し終わったが、どうする?」
メモを取っていた勇者が尋ねる。
本来は、ケルベロスを倒して終わりの予定だった。しかし、問題なさそうだから、と中に入ってきたのである。
「いったん、帰りましょう」
「俺はまだまだ、戦えるけどな」
「フリートさん、わがまま言わないでください。これから、大翼の魔物と戦うことになるんですから」
「へいへい」
村人に言われて渋々、勇者が承諾する。
そうして彼らは入り口へと動き始めるのだが、階段を上がり始めたところで、背後から音が聞こえ始めた。
フォンシエは地上を指し示す。刺激しないように、できるだけ音を立てずに撤退する、と。
勇者たちが階段を上りきった瞬間、咆哮が響き渡った。
「グォオオオオオオオ!」
空間を震わす大音声に、かなりの大きさの魔物であることが窺える。こうなったら、もうなりふり構っていられない。
「逃げます! 急いで!」
一斉に光の翼をはためかせて、彼らは遺跡から飛び出していく。
背後に見えたのは、ゴブリンであった。しかし、その大きさは並の個体とは比べものにならない。最上位種、魔王ゴブリンキングであろう。
フォンシエは遺跡から抜け出すと、すぐさま背後を窺う。
その魔物は中から出ようとはせずに、こちらを睨みつけている。サイズはケルベロスよりも小さく、窓から出られるくらいだというのに。
(……あのケルベロスは、頭がつっかえて出られないだけでなく、そもそもあそこから出ようとしなかったのかもしれない)
いずれにせよ、これならば相手をしなくてもいいだろう。
しばらくすると、ゴブリンキングはくるりと背を向けて、遺跡の奥に戻っていった。
「さあて、これで楽しい探検ともしばしのお別れだな」
「フリートさん、また行く予定なんですか?」
「魔王がいたんだ。そりゃ倒しに行くだろ? ユーリウスだってそのはずだ」
「お前と一緒にするな」
「正義の勇者様は、魔物を放っておくのか?」
「馬鹿なことを言うな。魔物を倒すのが勇者の使命。放っておくはずがない」
「だそうだ。フォンシエだって勇者の端くれ、来るに違いねえ」
「……俺、村人なんですけど」
そんな会話をしていた彼らだったが、混沌の地を抜けてゼイル王国に戻ってくると、一息をついた。
だが、都市に着くと、呑気にしてもいられない雰囲気をすぐに感じ取った。
そして兵が駆け寄ってくる。
「フォンシエ様ご一行、帰還されました!」
彼らのところに、文官やら王の使いやら、大勢が一気に押しかけてくる。
「フォンくん、急に人気者になったね」
「まったくだ。なんの用があるんだろう」
視線を向けると、兵が状況を説明し始める。
「東のカヤラ領に魔王襲来の気配があります!」
「なるほど。サンダーバードとスザクかな?」
「はい! アルード様からそのように伝えられております!」
「予定よりも早いけれど……そうか。じゃあ、俺たちはすぐに向かうよ」
「ご武運をお祈りしております!」
話をしたがっている者が大勢いたが、フォンシエは政治についてはあまり興味がない。戦いに関わらない話だと判断するなり、すべてを断って、勇者たちに向き直った。
「休む暇もありませんでしたが、カヤラ領に向かいます。礼拝堂に寄って、レベルを上げてから行きましょう」
彼が告げるなり、勇者たちが頷く。
頼もしい仲間たちだ。彼らとなら、勝利を疑ってはいない。
あの二頭の魔王に震えたのも、昔のこと。今はただひたすらに闘志を燃やす。
(待っていろ、魔王。お前たちに平和を脅かせはしない)
フォンシエは東を見据えるのだった。
これにて第六章はお終いです。
次の第七章で完結となります。
去年は忙しく時間がかかってしまいましたが、予定どおり二年以内には最後まで辿り着けそうです。
物語が幕を引くまでお付き合いいただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。




