133 大翼の魔物
フォンシエとフィーリティアは、ガレントン帝国の東に向かっていた。
人の領域を離れ、森の中に一歩足を踏み入れれば、そこは魔王フォーザンの領域である。
獣の鳴き声がそこかしこから聞こえてくるのだが、二人はさして気にした様子もない。
居眠りしているケット・シーを見つければ蹴り飛ばし、立ちはだかるダークウルフがいればあっさりと牙をへし折っていく。
「……魔王フォーザンが幅を利かせている、と聞いてきたんだけど、あまりにも緊張感がないな」
「そうかな? でも、傷ついている魔物も結構いるよ」
「ということは、戦いがあって、休んでいるところなのかな。そんなところを襲うのは悪い気がするけれど、遠慮はしないよ」
フォンシエはクー・シーを切り飛ばしながら、あっさりと告げる。
たとえここでの戦いが一方的なものだったとしても、魔物を倒さねば、いつかどこかでその反動が来る。生かしておけば、都市が襲われることになるのだから。
彼はそれから探知のスキルに光の証を用いて探っていくと、魔物の動きに統一感がある一帯が見つかる。
おそらくその先にいるのは――
「魔王フォーザンか」
「……倒しに行くの?」
「いや。あの魔王はそこまで積極的に人の領域を攻めてはこなかった。だから、倒す優先順位は低いよ」
「じゃあ、もっと東にいるって言ってた、大翼の魔物を探しに行く?」
「そうしよう。そっちに関しては、情報がなにもないんだ。……危険な調査かもしれないけれど、ついてきてくれる?」
「もちろんだよ。フォンくん一人にはできないからね」
フィーリティアは尻尾をぱたぱたと振りながら、笑顔で答えるのだ。
だからフォンシエも頼もしく思いながら、迷う事なく東に進んでいく。
それからしばらく行くと、聞こえてくる鳴き声が変わってくる。鳥のものだ。
フォンシエは息を潜め、視線を上に向ける。枝葉に紛れて、鳥の魔物の姿が見える。
ゼイル王国では大翼の魔物はいなかった。それゆえに、見るのはこれが初めてということになる。
じっくりと眺めていたフォンシエだったが、その必要もなかった。
バサバサと音が立つと、空を飛んでいく無数の魔物が見えたのだ。その数は百を優に超える。あれほど多くの個体が同時に襲いかかってきたら……。
(都市の市壁は役に立たない。あっという間に陥落してしまう)
フォンシエとフィーリティアは息を殺して潜んでいたのだが、魔物をやり過ごすと一息ついた。
フィーリティアは狐耳を動かして音を拾い、近くに敵がいないことを確認してから口を開いた。
「さっきの魔物。すごい数だったね」
「そうだね。でも……たぶん、あんなのがたくさんいる。探知に引っかかるんだ」
「じゃあ……魔王フォーザンが西からやってきたって言うのも、これが理由?」
「魔獣もいきなり空から襲われたら、抵抗できないだろうね」
地上で活動しているその魔物では、少々相性が悪い。
フォンシエは以前のことを思い出す。確か、魔王フォーザンがやけに活動するようになったのは、彼が最初に魔王を倒したとき。魔王モナク討伐のあとだ。
南方に移動したとき、魔獣がやけに西に向かってくる出来事があったのである。
となれば、あのときからすでに、この大翼の魔物による領地拡大は進んでいたのかもしれない。
「行こう。できれば、この魔物を従えている頭を見つけておきたい」
「そうだね。やっぱり、魔王がいるのかな?」
「おそらくね」
そうでなければ、魔物が群れを成すこともないだろう。
フォンシエはそれから東へと進んでいく。あまりにも遠くまで来てしまったから、もはや助けを呼んだところで、人の耳には入らない。
けれど、問題はない。
上げる声は、敵に立ち向かう勇ましい雄叫びだけでいい。
フォンシエは探知のスキルを働かせていると、やけに活発に動いている集団を発見する。
フィーリティアと視線を交わし、そちらへと向かっていく。
様々な魔物が途中の木々に止まっているが、姿勢を低くして気配遮断のスキルを使えば、ほとんど気づかれることはない。
そうして、一本の大木が見えてきた。
そこには数えきれないほどの魔物がいる。そしてやけにずんぐりむっくりした鶏の魔物が麓には寝ころがっている。
その尻尾は蛇になっている特徴がある魔物、コカトリスだ。
大翼の魔物のくせにろくに飛べないのだが、その尻尾である蛇には強い毒がある。
(確か、あれは魔王ではなかったが……上位個体だったはず)
おそらくはアレがほかの魔物を従えている個体だろう。フォンシエは腹ばいになりながら、狙いを定める。
ここからなら光の矢で狙い撃てる。
フォンシエはそう判断し、機会を窺っていたのだが――
(なっ――! 違ったのか!?)
遠くから、同じような丸っこい鳥が現れたのだ。わずかばかりフォルムが異なっているが、雄雌の違いか。
思えば、コカトリスは最上級の魔物、すなわち魔王ほど威厳があるわけでもない。あまり特徴がないのだ。さして強い魔物ではないかもしれない。
上位個体が複数体揃っているというケースは珍しく、だとすれば、コカトリスどもを従えているさらに上の存在、魔王がいる可能性が高い。
フォンシエは咄嗟に視線を動かし、洞察力や探知のスキルを働かせる。
しかし、そのようなさらに上位の個体がいる気配はない。
(あの二体が協力しているのか?)
そう考えている間にも、居眠りしていたコカトリスが目を覚まし、
「コケーー!」
大声を上げた。同時に多数の魔物が一斉に動き出し、起きたばかりのコカトリスがフォンシエたちへと鋭い眼光を向けてくる。
「気づかれた!?」
「フォンくん! あの魔物、たぶん混沌の地の魔物だよ!」
「ということは、もう一頭のほうは通常の個体ってことか!」
であれば、同格の魔物であっても、太刀打ちできないくらいの差がある。
現に、別のところからやってきた個体は呑気に歩いている一方、混沌の地のコカトリスはドスドスと音を立てながら、すさまじい勢いで駆け寄ってきていた。
「くそっ。迎え撃つか!」
フォンシエは光の矢を敵に定める。
「ダメだよ! 倒すのは!」
フィーリティアが咄嗟に告げると、フォンシエは光の矢を、敵の手前の地面を貫くように撃つ。
しかし、コカトリスはそんな脅しにはまったく怯えはしない。
「くそ、そうか。倒したら混沌の地から、別の魔物が出てくるようになってしまう」
あの土地から出てくる魔物は、どうやら一定数を保っていた。
ということは、東の魔物を倒したとしても、あの土地から出てくる魔物の数を増やすことになる。すなわち、人の領域に近いところから攻められやすくなるのだ。
そうしている間にも、コカトリスは間近に迫っていた。
勢いよく蹴りが放たれると、フィーリティアは光の盾で受け止める。そして剣を振るうと、うにょうにょと動く蛇の頭を切り落とした。
「クケーッ!」
コカトリスが痛みにのたうち回るなり、フィーリティアはフォンシエの手を取って、光の翼を羽ばたかせた。
一気に離脱すると、草陰に隠れて、追跡されないようにしながら、距離を取っていく。
「……ティア、ダメだそっちは」
「え?」
「別の魔物がいる。それもおそらく……混沌の地の魔物だ」
「そんな……」
フォンシエは探知を働かせるも、東のほうには、まだまだたくさんの魔物がいる。
もし、そんなに混沌の地の魔物が蔓延っていたのなら、どうやって太刀打ちすればいい。倒したところで、混沌の地から魔物が出てくるのを増やすだけだ。
そう悩むフォンシエに影が落ちた。
(あれは――!)
見上げた彼の視界に映ったのは、雷を帯びた巨大な鳥、サンダーバード。最上位の魔物、すなわち魔王である。
それもただの魔王ではない。
あの遺跡にいたケルベロスのように、混沌の地の魔物が進化してできあがった魔王なのだ。
圧倒的な力を持つその存在を前にして、フォンシエは気配遮断のスキルを用いて息を殺すことしかできなかった。
そしてそれが通り過ぎたかと思えば、今度は燃えるような炎が空を飛んでいく。
全身に炎を纏った大鳥、スザクである。こちらも混沌の地から出てきた魔王だ。
二頭の魔王に見つかったら、もはや命はない。逃げることすらできないだろう。
フォンシエは恐怖を押し殺しながら、震える手を握りしめた。
命などと、悠長なことは言っていられないかもしれない。もし、ここからさらに東が、あんな魔物が蔓延る土地になっていたら。
人類が滅亡する日も遠くない。
(魔王モナクが西にやってきたのも、死霊の魔王がカヤラ国にまで来たのも、昆虫の魔王や水棲の魔王セーランが西に来たのも、全部、追われてきたんだ)
領地を拡大したかったからではない。東には居場所がなくなったからだ。
それらの魔王があっさりと居場所を奪われた。そこまで化け物染みた強い個体がいるなんてにわかには信じがたいが、ただでさえ強い混沌の地の魔物が魔王に昇格したのであれば頷ける。
(どうすればいい?)
フォンシエは頭の中がぐちゃぐちゃになって、考えが及ばなかった。
けれどフィーリティアがじっと見つめてくると、少しばかり冷静になる。
「もう魔物はいなくなったよ」
「そうか……ありがとう」
「フォンくん、どうやってあの魔王を倒すの?」
「………………え?」
あっさりと告げるフィーリティアに、フォンシエはぽかんとしてしまう。
「いつもフォンくんが言っているんだよ。魔王を倒すって」
「そうだけど……今回は状況が違うだろう?」
「そうかな? いつだって、強い魔物に立ち向かっていくのがフォンくんだよ。私は信じてるから」
自信たっぷりに言われては、フォンシエもへこんでなどいられない。
「このままじゃ勝てない。だから、強くなる必要がある」
「混沌の地で魔物を倒すんだね」
「レベルを上げれば、なんとかなるかもしれない。ユーリウスさんやフリートさんにも声をかけよう。……いや、勇者たち全員、できる限りの人を集める」
「来てくれるかな?」
「わからないけれど、レベルを上げるのはやってくれるだろう。そしてその先に進むためにも、俺たちが魔王を倒せるんだって、力を見せつける必要がある」
「うん。頑張ろうね、フォンくん」
フォンシエは頷き、一歩を踏み出した。震えていた足はもう、しっかりと地面を踏みつける。
どんな強い相手だって、倒してみせる。
魔物に未来を奪わせやしない。
フォンシエはフィーリティアとともに、覚悟を決めるのだった。




