128 混沌の地、遺跡にて
混沌の地を進んでいったフォンシエとフィーリティアは、次第に魔物が強くなるのを感じていた。
「……これから先は、見つからずに進むのが難しいかもしれない」
「そのときは、戦うしかないね」
「よくわからないことが多いから、できれば避けていきたいところだけど……」
フォンシエにしては珍しく、弱気なことを言う。
今回は魔物を殺すことよりも、奥地を調べるのが目的だからだ。
二人はそうして木々に隠れながら進んでいたのだが、突如視界が開けた。
「あれはなんだ……?」
思わず呟いてしまう。
付近一帯はやや低くなった土地で岩場ばかりだというのに、そこには自然に相応しくない金属の巨大な建造物があった。
構造は城に似ていて、あちこちに窓がある。しかし、どこを見ても入り口やそれらしき扉がなかった。
フィーリティアはまじまじと眺めつつ狐耳を動かす。
「あれって、北にあった壁と同じ材質かな?」
「見た目は結構違うけれど、どちらもほかじゃ見たことがないよ。……いや、本当にそうかな?」
「なにか知ってるの?」
「そういうわけじゃないけど、似たような材質を見たようなことがあるような……気のせいかもしれない」
フォンシエは引っかかりを覚えて思い出そうとするも、ピンとこなかったので、気を取り直してこれからのことを考える。
遺跡の調査に来たのだから、できれば中まで見ておきたい。
「フォンくん、行こう?」
「危なくなったらすぐに撤退しよう。無敵の勇者だって、たまには逃げるときくらい必要だから」
「もう、からかわないでくれる?」
フィーリティアは尻尾でぽんぽんと彼を叩く。
そんな戯れも一瞬のこと。フォンシエは付近の状況を把握しようとするのだが、ふと違和感を覚えた。
正体はすぐに明らかになる。
「あの遺跡の中、探知が働かないな」
「北の壁の向こうもそうだったよね」
「ということは、壁が分厚かったわけじゃなく、探知が働かない状況だったってことか」
「そうみたいだね。でも、女神様のスキルが働かないなんてこと……」
「女神だってたまにはサボりたいのかもしれないよ」
「フォンくんじゃないんだから、そんなに拗ねないよきっと」
フィーリティアが笑うと、フォンシエは肩をすくめる。
「なんにせよ、これじゃあ敵が早く見つけられないな」
「じゃあ、私に任せて!」
フィーリティアは狐耳をぴょんと立て、ぐっと拳を握る。
彼女の聴力があれば、近くの敵ならばすぐに発見できるだろう。もっとも、息を殺して潜んでいる個体もいる可能性があるため、楽観視はできないが。
「頼りにしているよ」
フォンシエに言われてフィーリティアは尻尾を振りながら、飛び出して先導する。
ここから遺跡まではなにもないため、姿を晒すことになる。できる限り早く移動したいところだった。
しきりに周囲を気にしているも、襲いかかってくる魔物は見られない。
張り詰めた空気の中、必死に足を動かしてようやく遺跡に辿り着くと、フォンシエは窓から中を窺う。
そこは小部屋になっているようで、誰もいやしない。フィーリティアに合図を出して、二人で揃って飛び込んだ。
「……近くにはなにもいないみたい」
「すでにものが奪われてしまったのか、はたまた元からなにもなかったのか、がらんとしているな」
「大事なものは、こんなところに置かないんじゃないかな」
「盗んでくれと言っているようなものだろうね」
中の壁もまた、同様の金属でできている。
フォンシエはそっと撫でてみてから、軽く小突いた。
音の反響からするに、向こう側が空洞ということでもなさそうだ。あるいは、単に壁が厚いのか。
「魔物が出るまで進んでみよう」
小部屋を出ると、左右に長い通路が続いている。外側はすべて、同じ作りになっているようで、無数の入り口が見える。これならどこからでも入れるし、どこからでも出られるだろう。
フォンシエたちは歩いていくのだが、一向に内部に続く道が見つからない。
この階層には、外周だけしかないのかと思い始めた頃、階段が見えてきた。その先は暗くなっていることから、明かりもないようだ。
とはいえ、しばらくはまだ見えなくもない。
「ここにはなにもないようだから、降りようか」
「まだなにも音は聞こえないよ」
「よし、それじゃ行こう」
覚悟を決めて階段を下っていく。
コツコツと足音だけがやけに響く。それくらい、階下は静まっていた。
やがて階段の終わりが見えてくると、向こうには広がった闇。やや大きな部屋があった。
そして中央に鎮座するのは巨大な魔物。
(なっ……! どうして気がつかなかった!?)
フォンシエだけでなくフィーリティアも、目視するその瞬間まで敵に気がつきはしなかった。
咄嗟に剣を抜くと同時、咆哮が響き渡った。
「グォオオオオ!」
猛烈な勢いで駆け出したそれは、三つの頭を持っていた。唇はめくれ上がって鋭い牙を剥き出しにしており、獰猛な目はこれでもかとばかりに見開かれている。
紫がかった犬に似た胴体は薄い毛で覆われており、首の付け根は筋肉で膨れ上がっていた。
小刻みに息をしながら迫ってくるその魔物はケルベロス。最上位個体、すなわち魔王である。
「フォンくん! 逃げよう!」
フィーリティアは光の翼を用いて急速に離脱する。
フォンシエもまた、彼女とともに階段を駆け上がりながら、背後目がけて光の矢を撃ち込む。
ケルベロスはまったく意にも介さず、向かってくる。光が吸い込まれるも、表皮に浅く傷を作るばかりだった。
「なんて丈夫な!」
このままでは追いつかれてしまう。
フォンシエは敵に意識を傾けると、「高等魔術:炎」を発動させる。
その位置は、自分が向かう先。範囲が狭いため魔力は少なくて済むとはいえ、発動まで時間がかかる。それを見越してのことだ。
魔力が高まっていく間にも、敵は食い殺そうと駆けてくる。
その姿がどんどん近づいてきて――
「これならどうだ!」
フォンシエが光の盾を発動して自身を覆った次の瞬間、
ズドォン!
爆発が生じて付近一帯を飲み込んだ。
「くっ!」
光の盾で覆っているとはいえ、衝撃を殺しきることはできない。
吹き飛ばされたものの、方向は問題ない。それを利用して加速して階段を飛び出した。
投げ出された彼は、向かいの壁に衝突してうめき声を上げる。
しかし、呑気に寝ている余裕はなかった。
「フォンくん! 躱して!」
フィーリティアの声が聞こえて顔を上げると、飛び込んでくる獣の頭があるのだ。
「くそぉ!」
光の翼を用いながら地面を転がると、ケルベロスの正面の頭を回避する。それはまっすぐに壁にぶち当たって、痛みに首を引く。
(あの衝撃でも壁は壊れないのか)
傷一つついてはいないことから、いざとなったら破壊して逃げるといった方法は採れそうにない。
そして彼へと、別の頭が狙いを定めてきている。
フォンシエは咄嗟に光の証を「魔力増強」から「対魔獣剣術」に切り替える。敵の牙が近づいてきている以上、受け止めねばならない。
剣を振るったフォンシエであったが――
(重い!?)
自分の体の動きと予想とのズレに、タイミングがズレてしまう。
「グゥウオオオオオ!」
ケルベロスの牙は彼の剣を弾き、腕を抉って鎧をへこませる。
焼け付くような痛みを堪えながら、フォンシエは光の証を「対魔物剣術」に切り替えて、持ち替えた手で光の剣を振るった。
「こいつっ!」
切っ先が眼球を掠めると、確かな手応えがある。
ケルベロスの頭が痛みで下がった瞬間、彼は地面を蹴って飛び出した。
続いて追ってこようとする敵に対して、フィーリティアは光の矢を何度も撃ち込む。先ほどの攻撃が効いているのか、ケルベロスは頭を下げて目に当たらないようにする。
「フォンくん、早く!」
小部屋の前で待つフィーリティアのところへと急ぐが、後ろから敵が追ってきている。もう入り口が見えてきた瞬間、ケルベロスは大きな口を開き、フォンシエを食らうべく跳躍した。
「フォンくん!」
彼が手を伸ばすと、フィーリティアは掴んで一気に室内に引っ張り込んだ。
直後、眼前を通り過ぎていく牙がある。あれに噛みつかれていたら――。
ぞっとする光景だ。
「助かった!」
フォンシエはすぐに窓のところまで離れて、外を伺う。混沌の地の魔物は相変わらず見られない。ここには近づいてこないようだ。
小部屋の入り口はケルベロスが入れるサイズではない。
フォンシエはそちらに視線を向けると、一つの頭を無理矢理突っ込もうとしている姿が見られた。
壁は壊れないだろうから、追撃もここまでだ。
フォンシエがそう思った直後、ケルベロスが口を開けた。瞬間、魔力が高まっていく。
「まずい! 逃げろ!」
フォンシエは窓から飛び出し、続くフィーリティアをぐいっと引っ張った。
光の翼で急降下した直後、窓から漏れた炎が放射される。それは岩場のはるか向こうにある木々に命中して燃え上がらせていく。
ケルベロスが吐いたものだが、もし直撃していれば……。
「ティア! 無事か!?」
「大丈夫だけど、フォンくんの傷が……」
「今はろくに動かないけど、これならたぶん治る。大丈夫だ」
フォンシエは光の証を「癒やしの力」に用いて使っていく。
魔力が一気に失われるとともに血が止まり痛みが引いていく。
魔力の喪失は大きいが、ほとんどの外傷はこれで治すことができそうだ。とはいえ、完全に治すには時間がかかりそう。
「行こう。こんなところで回復を待つくらいなら、魔物の群れの中にいたほうがまだ一息つける」
「私が守るから」
「ごめん、今はお願いするよ」
フォンシエはフィーリティアに戦いを任せて、探知のスキルを働かせる。遺跡を出てからは問題なく使うことができた。
(それにしてもあのケルベロス……妙だったな)
まず、対魔獣剣術が効かなかったこと。対魔物剣術は効果があったから、おそらくあれは魔獣ではないのだ。
しかし、それ以外に当てはまりそうな種族はない。
(そもそも、種族が設定されていない、あるいは遺跡だけの特別な存在なのか?)
こればかりは答えの出しようがない。
そしてケルベロスが近くなるまで気づけなかったこと。あれは心音一つ立てていなかったのではないか。
「わからないことだらけだ」
「……あとでじっくり考えようよ」
「そうだな」
たった一つ、明らかなことは、ただでさえ強力な魔王が混沌の地に出没したら、手に負えない強さになってしまうということ。
(レベル80の勇者がなんとか戦える、というのも無理もないな)
それ以外の職業であれば、もはやついていくことなんてできやしない。
どうすればあいつを倒せるだろうか、とフォンシエは考えながら、ガレントン帝国への帰途に就くのだった。




