126 異国を二人で
ガレントン帝国首都の研究所にフォンシエは来ていた。来る前に話していたように、案内してもらうことになったのである。
ここでは混沌の地から産出されたものを研究しているそうだ。なにかその地に関する情報が得られるかもしれない。
丁寧に保管された品々がそこかしこに置かれている。歯車であったり、謎の箱形物質であったり、用途不明なものが多い。
「どう分類しているんですか?」
彼が尋ねてみると、案内の研究員は残念ながら、と首を横に振った。
「大分部分がわかっていません。私たちが知ることができたのは、一割にも満たないほんのわずかです」
「想像もつかないものが多いんですか?」
「いえ……まず、調べること自体ができないんです」
フォンシエが首を傾げると、彼は続けてくれる。
「壊れないように慎重に行っているのもありますが……ほとんどは全体が硬く、傷をつけることすらできません」
近くにある箱形の金属を手に持って、こんこんと叩いてみせる。中は空間があるようで音が響くが、開け方はさっぱりわからないようだ。
「ねえフォンくん、これって……」
「似ているね」
フォンシエがフィーリティアと話していると、研究員がどういうことかと興味を示した。
(話してもいいものだろうか?)
あの件はゼイル王国以外では知られていないはず。
しかし、隠すほどのことでもないかもしれない。口止めはされていないし、ゼイル王国ではすでに知られているのだから、いずれここにも伝わるだろう。
今のうちならば、交渉の材料にでもすれば、うまく話を聞き出せるかもしれない。
「これとよく似た壁があったんですよ。壊せそうにないものですね」
「と言いますと、それを作った者を見つければ、真実がわかるということですか」
「いえ、街中じゃないんです。この世界の北には、魔物の領域を取り囲む壁が存在しています」
「どういうことでしょう?」
すっかり困惑する研究員にフォンシエは概略だけを説明する。彼は半信半疑ながらも、勇者たちの言葉を疑うわけにもいかず、考え込んでしまった。
「うーん。にわかには信じがたいですが……そういうことでしたら、同じ物質で作られているのでしょうね」
「混沌の地の魔物が作るんですか?」
「いいえ。ここにあるものは、混沌の地の遺跡から持ち出されたものなんですよ」
そこでフォンシエは、昔聞いた話を思い出す。
混沌の地の調査に向かった80レベルの勇者たちが奥地で奇妙な遺跡を見つけたと。あのときは自分とは無縁の話だと聞き流していたが、まさかこのような形で役立つとは。
「もしかすると、混沌の地の遺跡は数ある遺跡の一つに過ぎなかったのかもしれませんね」
「北の壁の付近には、強い魔物はいませんでした。むしろ、レベルが上がらなかったようで、弱い魔物ばかりです」
「ということは、遺跡が魔物の強さを左右しているわけではないというのが妥当なところでしょうね。しかし、相当古い話なので確かではありませんが、混沌の地の遺跡の中にいる魔物はいっそう強力だそうです」
「だとすれば、やはり遺跡が魔物を強くしているのではありませんか?」
「その可能性もあります。……平たく言ってしまえば、なにもわかっていないということなんですよ」
研究員はつい肩をすくめた。
「ですが、性質が違うのはおそらく正しいでしょう。混沌の地の産物は、ほかとはやや異なりますから。行ってみたことはございますか?」
「ええ。強力な魔物がたくさんいました」
「そうです。姿形もほかとは違っていたはずです」
「……なにか理由が?」
「調べてみると動植物もほかの土地と違っていますから、生育環境ががらりと変わっています。ただ、外の土地に出てきた個体も、混沌の地にいたときと変わらないようなので、先天的なものの可能性が高いですね」
「なるほど。実験したんですか?」
「まさか。放っておいても、いくらでも出てくるんですよ」
研究員は呆れてしまった。
ガレントン帝国では混沌の地から魔物が出てきてしまうのだと言っていた。口ぶりからすれば、長いことそんな状況が続いているのだろう。
「動植物の例を一つお見せいたしましょうか。ついてきてください」
研究所内を歩いていくと、フィーリティアが鼻を鳴らした。
「火薬の臭いがするよ」
「そういえば、元々はそれを見にきたんだっけ」
「そうだね。たぶん、オーガに使われたのと同じものじゃないかな?」
「お見事です。素晴らしい嗅覚をお持ちですね」
研究員は彼女を褒めながら、一室に案内してくれた。
そこには黒くなった植物が加工され、粉末が混ぜられている。
「炭とこうした粉末を混ぜて作るのですが、あの混沌の地の植物の炭はよく燃えまして。魔石を加えるとますます効果を発揮するんですよ」
「魔石って削れたんですね。てっきり、そのままでしか使えないと思っていました」
「大きいもののほうが価値は高いとされていますから、あまり考える人がいないんでしょうね。このように、よそでは見られない植物があそこにはあるわけです」
「なるほど。ほかにも見せてもらっていいですか?」
「もちろんです」
それからフォンシエとフィーリティアは、混沌の地の情報をあれこれと仕入れていく。魔物の研究も盛んに行われているが、ほかの土地の魔物と違いはほとんどないらしい。たとえばゴブリンは、混沌の地にいるゴブリンと運動能力は天と地ほどの差があるが、体の仕組みはほとんど変わらないのだとか。
では、いったいなにがそんな違いを生み出しているのか。
「それがわかったら、ぜひ教えてください」
研究員が笑うので、フォンシエも苦笑いするしかなかった。
そうして研究所の見学を終えたときには、昼食どころかすでに夕食の時間になっていた。
「今日はもう、外に出るのはやめておこうか」
「……いいの? フォンくんが明日に回すなんて、珍しいね」
「いろいろ考えたくてさ。ちょっと、夕食に寄っていこうよ」
「うん。なんでも相談に乗るよ」
「それは頼もしいな」
二人で街中を歩いていき、お洒落なお店を見つけてはどうかとはしゃぎ、夜風が吹くとフォンシエはフィーリティアをそっと抱き寄せる。
「寒くない?」
「大丈夫だよ。フォンくんの手、あったかいね」
フィーリティアは彼の手に、自分の手を重ねた。
フォンシエは気恥ずかしくなって、
「近くのお店、入ろうか」
そう誘うのだが、フィーリティアは首を横に振る。
「もうちょっとだけ、このままでいてほしいな。ダメかな?」
「ダメじゃない。うん。このままで」
フォンシエはそっと道の端に寄ると、フィーリティアと二人で並んで行き交う人々を眺める。
今日、勢いのままにゼイル王国を飛び出して異国の地にやってきた。当然のことながら、まったく知らない人たちが、まったく知らない土地で暮らしている。
だというのに、隣にはいつも一緒の少女がいるのだ。
なんだか奇妙な思いがしつつも、心の拠り所にも思われる。
「ねえフォンくん」
「うん?」
「これからも、一緒にいてね」
「もちろん。ティアが勇者としてこれからも活躍していくとしても、俺は頑張るよ」
「……逆だよ。今はフォンくんに私がついていってるの。あちこちに飛び出していっちゃうんだもの」
「ご、ごめん……! そんなつもりじゃ……」
「いいの。私は今の生活、嫌いじゃないよ。もうフォンくんと離ればなれにならなくていいから」
フィーリティアは尻尾をぱたぱたと振りながら、とびっきりの笑顔を見せた。
フォンシエは思わず言葉を失う。そんな彼の手を引っ張りながら、
「さ、食事にしよう」
と、彼を店に連れていく。
フォンシエはいろいろと考えたいことがあったが今は、
(なんだか一つ、考えたいことが増えてしまったな)
ということで頭がいっぱいだった。
けれど、それを考えるのは悪くない。なんだか胸の内が温かくなる。
不思議なこともあるものだと、フォンシエは思うのだった。




