116 その英雄に歓声を
魔王モナクが討ち取られてから数日。
レーン王国北の都市群のうちいくつかは、魔物に落とされてしまっていたが、多くの都市は活気づいて反撃の狼煙を上げていた。
王都の奪還がなされたことで、追い立てられた魔物は南から北へと逃げてきて、そのたびに都市を荒らしていく。
ドスドスと大きな音を立てながら駆けるオーガを見て、すでに倒壊した市壁の上にいた見張りの兵は、すっかり青くなっていた。
「魔物の群れが来たぞ!」
魔王モナクが南下する際に兵たちは襲われ、すでに戦える者は多くない。
しかし、それでも戦わなければ都市は蹂躙されてしまう。怪我をした者も、見習いの兵も、それどころか剣を握ったこともない農家までもが武器を手に魔物の群れに相対する。
彼らが希望を捨てずにいられたのは、ひとえに勇者という存在があったからだ。
勇者たちはどんな敵だろうと打ち倒してくれる。それがたとえ魔王モナクという強大な存在であっても。
彼らが強く逞しいからといって、感化された者たちまで力強くなれるわけではない。魔物と戦うなんて、自分たちにできる範囲を超えているかもしれない。
たとえ一時の気の迷いであっても、彼らの心は一つであった。この先に希望があると信じて疑わなかったのだ。
「グギャアアアア!」
声を上げながら勢いよく飛び込んできたのはゴブリン。
このような弱い個体は首都侵攻に加わってはいなかった。だからどこかにいたゴブリンが、北上する魔物を見て慌てて合流したのだろう。
「たかがゴブリン! 勇者様がついている我々が負けるものか!」
農夫が振り下ろした剣は、刃筋はぶれていて、ほとんど刃は通らない。けれど衝撃で仰け反ったゴブリンを何度も何度も叩きつけると、ぐったりとして動かなくなる。
「我々には女神マリスカ様の加護があるんだ!
「魔物など、なんするものぞ!」
男たちは勇み、オーガにも襲いかかっていく。
その恐れない姿には大鬼もたじろぎ、足を切り裂かれ、腕を掴まれ、頭に剣を突き立てられる。
わあわあと歓声が上がる中、魔物の群れはなおも都市に近づいてくる。
と、地響きが聞こえてきた。
踏み鳴らしているのは単眼の巨人サイクロプス。はるか遠方からものを投げつけ、首都を攻めたという話は、勇者の活躍とともに広く伝えられていた。
「ど、どうするんだよ!」
「あんなの、どうしようもねえだろ!」
市壁も破壊された現状では、守りに徹するわけにもいかない。かといって、敵の群れに突っ込んでいって切り倒せる者なんて、いるはずがない。そう、勇者を除いて。
絶望の淵にあった彼らが目にしたのは、希望の光である。
光の矢はサイクロプスの頭を消し飛ばし、さらにほかの魔物をも貫いていく。
「あ、あれは……!」
誰もがその光景を見て、驚きを隠せなくなる。そして少年のように目を輝かせていた。
そこにいたのは将軍ラスティン。彼は隻腕で剣を振るっていた。
「将軍! 無理はしないでください!」
声をかけるのは、フォンシエである。しかし、将軍は豪快に笑いながら返すのだ。
「すべての魔物がいなくなる日まで剣を取れと言ったのは君ではないか!」
「そうは言いましたけど……!」
ラスティン将軍は片腕でも軽々と敵を屠っていく。その動きは以前と変わらないどころか、ますます激しさを増しているようにも見えた。
勇者の光は意志の強さ。片腕の分、腕力が落ちたとしても、覚悟でまかなうこともできるのかもしれない。
フォンシエは彼の姿を見ていて実感させられる。
都市からも歓声が聞こえてくると、将軍が剣を取らずにいられない気持ちも理解できる。かつて人々を守ることができずに、魔物に蹂躙されたことがあるフォンシエだ。彼も同じ状況ならば、飛んでいって敵を切り裂いただろう。
勇者といえども中身はただの人だ。障害が残れば、戦いをやめて隠居する者も少なくない。
けれど、この志を誰もが褒め称え憧れ、英雄と称するのだ。
「フォンくん、将軍さん! もう時間がないですよ!」
ともに魔物を倒していたフィーリティアが告げる。
今日、首都では魔王モナク討伐のセレモニーが行われる予定になっていた。他国の勇者だからとフォンシエもフィーリティアも辞退しようとしたのだが、自らの意思でここに来た以上、生まれも育ちも関係ないと判断されたのだ。もしかすると、将軍が以前、フォンシエを英雄と扱ったことも影響しているかもしれない。
ともあれ、そんな彼らは首都から離れた都市まで飛んできて、魔物を切っている。こんな予定はなかったのだが、北で魔物が目撃されたと聞いて駆けつけ、移動している魔物を見つけた結果がこれだ。
彼らはすでにどれほど切ったかわからないほどで、全身はすっかり赤く染まっていた。
「我々の仕事は民の平和を守ることだ。見捨てていくことなどできやしない!」
「ですが、姿を見せて民を安心させ、国を安定させることも大事ではありませんか!?」
「もっともだ。では、早く片付けるとしよう!」
将軍ラスティンは光の海を用いると、一気に敵中に突っ込み、ことごとく肉片に変えていく。魔物どもはもはや尻尾を巻いて逃げることしかできない。
フォンシエも一緒になって続くものだから、フィーリティアも渋々、彼らと一緒にすべての魔物を消し飛ばすまで戦い続けるのだった。
◇
「もう、こんなに血まみれになってどうするの?」
急ぎ王都へと戻るフォンシエの顔を、フィーリティアは布で拭っていた。そう告げる彼女もまた、負けず劣らずすっかり赤くなっていた。
「うーん。このまま出たらダメかな?」
「ゼイル王国は野蛮だって笑われちゃうけど、いいの?」
「そう言われてもなあ。人々が勇者に期待するのって、こういうことだろ? 格好つけても仕方ないじゃないか」
「じゃあ、格好つけなくてもかっこよくなってね、フォンくん」
フィーリティアが尻尾でぽんぽんと彼をはたく。
いつもは柔らかな毛並みであるが、今は血が固まっているためにちょっぴりゴワゴワしている。
フォンシエが尻尾の汚れを手で落としていると、
「もうちょっと、優しく扱ってほしいな」
フィーリティアはちょっぴり頬を膨らませる。
「ごめん! 気をつけるよ」
すっかりフィーリティアにされるままのフォンシエを見て、ラスティン将軍は呟くのだ。「こんな英雄の姿は民に見せられないな」と。
それから首都に戻ってくると、かつての美しい街並みは影も形もない。今はがれきの除去が積極的に行われている段階で、家々は仮設の共同施設を利用している。
こんな沈んだ状況だからこそ、勇者という存在を人々に知らせる必要があったのだろう。
これからどうやって式典が行われる王城まで行こうか。
フォンシエが悩んでいると、遠くから彼らの姿を見つけた人々が口にする。
「あれ、将軍様じゃないか!?」
「え、でも式典に出てるはずじゃ……」
「あの姿を見ろよ! 戦ってたんだ!」
すっかり、注目の的になってしまう。
「フォンシエくん。我々は式典に遅刻した不名誉を被るべきではないと考える」
「ええ。そのとおりですね。というわけで、俺は先に行きますよ」
フォンシエは告げるなり、光の証を「気配遮断」のスキルに用いる。これで常人は彼を認識できなくなるだろう。
そう思っていると、
「フォンくんだけずるいよ!」
フィーリティアが彼の背に飛びついてくる。そして将軍も「君たちも同罪だ!」と、フォンシエを捕まえるのだった。
結局、彼らは三人でがれきの合間を縫うように城に近づいていく。多少、目撃情報があるのは仕方ない。
が、彼らに最後の難関が待ち受けていた。
城の前には、大勢の人が集まっているのだ。
「これはどうすればいいだろうか」
「どこを通っても、見られるんじゃないかな? 将軍さん、隠し通路はないんですか?」
「あったとしても、戦いで崩落して使い物にならないだろうな……」
壊れた建物の陰から様子を眺めていると、こちらから比較的近い城の一室の窓が空いた。そして女性がフォンシエたちに向かって手を振る。
「あそこに行けばいいってことか」
「でも、飛んでいったら見つかっちゃうよね」
もはや勇者らしくない悩みを見せる彼らであった。迷っていると、いよいよ式典が始まったのか、数人の勇者が姿を現した。魔王との戦いで生き残った者たちである。民の注目がそちらに集まり始める。
「まずいな……視線が向こうに集まるのを待っていたら間に合いそうもない」
「どうしよう……」
もう、多少見られても仕方がない。
そう思った瞬間、勇者たちと視線があった。すると彼らは光の海を使用してみせた。
勇者が人々から支持されているとはいえ、パフォーマンスでスキルを使うことはあまりない。とりわけ、勇者にとって奥義であるそのスキルは。
誰もがその美しい光に目を奪われる中、血まみれの三人はそそくさと移動して、窓から城に飛び込むのだ。
「……ふう。間に合ったか」
フォンシエが一息つくと、大勢の女性たちが駆け寄ってきた。ここの使用人だろう。
「全然間に合っていません! すぐに身嗜みを整えます! 失礼します!」
と、いつの間にかフォンシエは素っ裸にさせられていて、全身を洗われて衣服まで取り替えさせられる。
急ぎながらもテキパキと作業する彼女たちを見てフォンシエは、
(毎日城で働いているだけあって、すごいなあ)
などと呑気に感動するのだった。
そうして身嗜みが整えられた彼らは、式典のために城内の一室に案内される。そこには、魔王モナクの首があった。
「あれ、これは討伐した勇者たちで運ぶ手筈になっていたんじゃ?」
「ほかの勇者は全員、倒した者たちがやるべきことだと、この役割を辞退しました」
「なにも、遠慮しなくてもいいのに。戦ったことは間違いないんだから」
「そのようなことを言われた際に告げるよう申しつけられていた伝言があります。『勇者としての役割を果たさずに、その名を語ることは恥ずべきこと。いずれ堂々と名乗れる日が来るまで、首は預けておく』とのことです」
「うーん。魔王の首なんていらないんだけどな」
フォンシエが言うと、使用人たちがじれったいとでも言いたげな顔になったので、彼は口を噤んだ。
フィーリティアもラスティン将軍も、そんな彼を見て笑っている。
勇者として魔王討伐の証を運び始める三人は、きっと誰よりも勇者の称号に固執してはいない。その名前を失うことをなにも恐れてはいなかった。
勇者の自覚を身につけるといった段階はとうに過ぎて、まさしくそのあり方を体現している。ごく当然のようにその振る舞いを身につけているからこそ、誰もが彼らを尊崇せずにはいられない。
彼らが民の前に姿を現すと、割れんばかりの歓声が上がった。
フォンシエ、フィーリティア、ラスティン。三名の名を呼ぶ声が爆発する。姓も持たない彼らが、いつしか誰よりも慕われる場所にあった。そこは地位も出自も人種もなにもかも関係がない。
「ラスティン将軍」
勇者の一人が小声で告げてきた。
「なんだね?」
「いつか……我々もあなたのような勇者になります」
「若い芽が育っていくのなら、この国も安泰だな」
ラスティン将軍が告げると、勇者たちは覚悟を決めたように口を噤んだ。
それから別の者がフォンシエに一瞥をくれた。
「この国は、この国の力で民を守れるようになる」
「頑張ってくれ」
なんとも気の抜けた返事しかできないフォンシエであった。そんな彼をフィーリティアはにこにこと、いつも幼いときからそうしていたように、隣で見守っている。
それから式は順調に執り行われていく。
フォンシエは自分がここにいることに、違和感はなかった。ゼイル王国だとか勇者だとか、そんなことはどうでもよくて、ただただ、魔王から守れた人々の姿に安心する。
集まった人々の姿を目に焼きつけながら、これからも戦い続けると固く決意するのだった。
異国の地に、怯える人々の影はもうなかった。
これにて第五章は完結となります。フォンシエとフィーリティアが勇者の中でも群を抜き始める章でした。
次章からはまた舞台が変わって、物語はまだまだ続きます。




