109 レーン王国の動乱
「フォンシエ様、フィーリティア様、至急お伝えしたいことがございます」
「うん、なんだろうか?」
伝令の慌てように比べて、フォンシエは落ち着いたものであった。幾度となく魔王との戦いを切り抜けてきたのだ。ちょっとやそっとで動じるはずもない。
フォンシエとフィーリティアを前にして、男はすっと息を飲み込んでから、ゆっくりと告げる。
「魔王が動きました」
「いよいよか。魔王モナクだな?」
「はい。こちらは囮だったようで、西を南下し王都へと向かっているとのこと」
フォンシエはその話を聞き、少し考える。
(囮か……いや、違うな。焦って動かねばならなくなったんだ)
多くの兵は、ラスティン将軍たちが人質を取られて動けなかったということを知らない。
しかし、実際には動けなかったはずの彼らは、この都市をなかば捨てる形で、少数で粘ることで抗戦の意を示した。
東の水棲の魔王セーランが西に移動するにつれ、昆虫の魔物も西に移動し、魔王モナク率いる魔人どもも西に移動しなければならなくなった。
そして今、この東よりの都市には各地から戦力が集まっており、加えてフォンシエがデーモンロードを打ち倒した今、ラスティン将軍たちが動けるようになった。
となれば、もはや敵が首都を取る好機は今しかなかったのだ。将軍たちが東にいるのは残りわずかな時間に過ぎず、集まってきた兵もいずれは元の持ち場に戻っていくのだから。
けれど、それを伝令に話したとしても仕方がない。
将軍と魔物の因縁を知っている者は限られているのだから。
「詳しい話は、ラスティン将軍からお聞きください。軍議にはフォンシエ様も参加していただくよう、要請が来ております」
「わかった。そのほうが早い。行こう、ティア」
フィーリティアは頷き、フォンシエとともに部屋を出る。
それから早足にて移動していき、見張りの兵がいる部屋の中へと入ると、勇者たちはすでに揃っていた。
「フォンシエ殿。よく来てくださった」
「魔王討伐のために来ているのですから。敵が動いたと知って、じっとしているわけにはいきません」
「おお、なんと勇ましい。では、早速だが状況を説明してもよろしいか」
「はい、お願いします」
フォンシエが告げると、将軍は話を始める。
すでにこちらでは状況の確認が終わって、皆で今後どう動くかを考えていたところらしく、彼らは話を再確認することになるのだが、考えることがあるらしく悩んだ素振りを見せていた。
「現在、魔王モナクは西の土地を南下している。各都市を落としながらの行軍ゆえに、王都へと到着するまでは時間があるだろう」
しかし、それは同時に、到着するまでに無辜の民が魔物の毒牙にかけられているということでもある。フォンシエは体に力がこもるのを感じつつも、じっとして話に耳を傾けていた。闇雲に飛び出していっても、無駄足になるだけだから。
「だが、魔王モナク自身は敵の先頭を進んでいる。ひとたび形勢が傾いた都市の鎮圧は、すべて部下に任せてな」
それゆえに、魔王は突出する形になっているらしい。
背後の都市は問題なく抑えているから、確実かつ素早い進行なのだろう。
「しかし、ここで敵を分断すれば、敵は孤軍奮闘を迫られることになる。魔物の群は南北に伸びる形になっており、分断は難しくない」
「将軍。少しいいですか」
声を上げたのはフォンシエである。
まったくの部外者というわけでもないが、完全なる当事者というわけでもない。
「なにかね」
「魔王モナクを孤立させる意図はわかります。ですが、それでは進みかねた魔物が付近に溢れ、分断された位置より北の都市群は魔物に迫られることになるでしょう」
「言いたいことはわかる。だが、我々とて守られるばかりの存在ではない。各地の兵たちもまた、魔物と戦い民を護るために覚悟はしている」
そしてここにいる勇者たちが戦いに参加するという。
これまで、ここで激しい戦いを強いられてきたものとは思えない気迫があった。
ずっと魔王の策によって封じ込められてきた思いが今、解き放たれようとしているのかもしれない。
これはもはや、レーン王国の問題だ。その覚悟を、フォンシエがとやかく言うべきでもない。
だから彼は戦いに意識を向ける。やれることは、すべきことは、一体でも多くの魔物を屠ることだと。
「こちらが無防備になりかねない、ということで、ゼイル王国にも救援の要請を出している。魔王モナクが西にいて、ゼイル王国には攻めてくる危険がないため、快く引き受けてくれた。これまで悩まされてきた北の昆虫の魔物の討伐が主だそうだが、それにより、敵の数が減ることは間違いない」
ゼイル王国としても、北の昆虫の魔物を片づけるいい機会だったのだろう。
魔王モナクの動きが掴めず、なかなか手出しもできなかったのだから。ゼイル王国国内の活動が主になるだろうが、いずれにせよ、魔物もこちらを攻めにくくなるはずだ。
「フォンシエ殿。そこで、君には魔物を分断する役割を手伝ってほしい」
「……つまり、将軍は魔王のところに向かうということですか」
「そうだな。王都を守る勇者は未熟だ。あの土地が落とされたなら、それはもはや魔物に屈したも同然になる。行かねばなるまい」
ラスティン将軍は叩き上げと言っていた。
王都では、勇者でも貴族の出身だとか、ツテがあるとか、そういう者が多いのだろう。無論、実力者がいないわけでもないだろうが、魔王との戦いには全力を尽くす必要があるのだ。
「わかりました。必ずや、敵を打ち倒してみせましょう」
「頼もしいな。英雄殿は」
ラスティン将軍は笑う。
フォンシエは英雄なんて、柄じゃないと思う。今回そう言われるようになったのだって、あくまで政治的な理由だ。
けれど、それが活躍を反映したものならば、英雄とやらになろうとも思うのだ。民が思わずそう呼ばずにはいられない偉業――魔王殺しを成し遂げて。
それから、それぞれの役割が細かく割り当てられて、いよいよ話し合いが終わり、行動に移すときがやってくる。
「では、皆の者。休む間もなかったが……敵は今もなお進み続けている。すぐに出発してくれ」
そのときにはすでに馬車も用意されており、勇者たちは急ぎ各地へと向かうことになった。
そしてフォンシエとフィーリティアもまた、大急ぎで進み揺れる馬車に乗ることになる。
西に到着するには、まだ時間がある。今は夜だが、西に着いたときには日が昇っているだろう。
「フォンくん。眠れない?」
「なんだか、気持ちが高ぶってしまって」
眠っていても探知のスキルは働かせることができるし、フィーリティアもその聴力からすぐに異変には気づくだろう。だから休んでいるべきときである。
そんなフォンシエの隣でフィーリティアは、彼を尻尾でぽんぽんと叩いた。
「フォンくんらしいね。でも、剣を握ったときにクマができていたら、英雄譚も格好がつかないよ」
「休むのも、戦いの備えだってのはわかるんだけど。……ダメだな」
「ほら、膝を貸してあげるから」
フィーリティアが自分の膝を軽く叩くと、フォンシエは、
「それじゃあティアが休めないじゃないか。借りるのは尻尾にしておくよ」
なんてフィーリティアの尻尾を抱き寄せて、荷物を背にして体を横たえる。
そんなフォンシエの態度に、彼女は優しさを感じつつも、尻尾を抱かれて気恥ずかしさを覚える。
こんな戦いを前にして、考えることでもなかったかもしれない。けれど、戦いの緊迫感ではなく、ほんのり甘い緊張を抱きながら、フィーリティアはまどろむのだった。
そして翌日。日の出とともに、にわかに騒がしさが増してきた。




