103 民の声、英雄の姿
レーン王国を北上していくと、熱気が少しずつ冷めていく。
フォンシエとフィーリティアは馬車に乗りながら、辺りを眺めていた。
街道を進んでいくのは、数十の兵たちだ。二人が呼ばれた都市から北に派兵されることになった者たちである。
彼らのほとんどは歩兵であり、鎧姿で歩いていた。けれど、疲れた素振りも見せないのは、訓練されているからか、はたまたこの気候になれているだけか。
そうして馬車に揺られていたフォンシエであるが、ふと、遠くの草陰に緑色の頭を見つけた。ゴブリンである。
「こっちの魔物も、ゼイル王国と大差ないようだね」
放った光の矢に貫かれて倒れるゴブリンを見ながらフォンシエは呟く。いきなり馬車から光が飛び出せば、何事かと思うものであるが、この二人は出立したときからずっとこんな調子だから、今更兵たちもなにも言わなかった。
「北はすっかり、魔人の領域になっちゃったみたいだね。以前は魔獣もいたって話だったけど」
「ということは、西のほうに行けば、追い立てられていった魔獣もいるのかな。ゼイル王国では南部でしか魔獣は見られなかったし、逃げるならその方向だろう」
「もう、これから倒しに行く相手のことはそっちのけ?」
「不測の事態に陥ったときのための、思考訓練だよ」
「フォンくんは血の気が多いね」
「そう言うティアこそ」
フィーリティアもまた、窓の外に魔物を見つけると、光の矢を撃ち込んでいた。
あれからゼイル王国の勇者たちは戻ってしまったため、レーン王国にいるのはこの二人だけだ。それゆえに魔王と戦うとなれば、この国の勇者たちと協力することになるだろう。あるいは、二人だけで挑むことになるか。
(魔王モナクは、アルードさんたちが倒せなかった相手だ)
彼は酔っ払いではあるが、実力は確かである。
それが倒せなかったのだから、いかに魔王モナクが強力であるかが窺える。
けれど、だからといって怯んでなどいられない。必要とあらば、どんな勇者だって越えていく覚悟があった。
グッと拳を握ると、もうそこに迷いはなくなっている。誰よりも勇者らしい顔だったかもしれない。
やがて馬車は北の城塞都市との中間地点にある都市に到着する。こちらでは砂漠が遠く、砂煙を浴びることもないようで、石造りの市壁の向こうには、木製の家々が見える。雨も多少は降るようで、水に困ることもなさそうだ。
兵たちはここで一夜を明かし、翌日にはさらに北に向かうことになる。
こちらの兵舎を借りる手筈になると、フォンシエたちも同行することにした。
「とても勇者様にお出しできる場所ではございませんが」
と、与えられた一室は、古びてこそいるが、毎日掃除はしっかりされているようで、汚れてはいない。
「ありがとう。俺は村人だからここでいいよ。ティアは豪華な屋敷がいいかい?」
「もう、フォンくん。からかわないで?」
フィーリティアは頬を膨らませて、つんとそっぽを向いてみせた。そんな姿はとても勇者とは思えず、少女らしいものだ。
兵は困惑しつつも、二人の邪魔をしても悪いと退室していく。
フォンシエは中を見回してからベッドに腰掛ける。するとフィーリティアも隣にやってきた。
「なかなかいい部屋じゃないか」
「コナリア村の家よりも、ずっと綺麗だよね」
「あれは雨漏りしないだけ、マシなくらいだったから。開拓村での生活も悪くなかったけれど、立派な家でもなかったな」
「もうゼイル王国が恋しくなってきた?」
「どうだろうね? そこまで距離があるわけじゃないし、たいして違いも感じられないよ」
そんな調子で話をしていたが、やがてこれから向かう北の情報を仕入れるべく、街に繰り出すことにした。
そうは言っても、フォンシエもフィーリティアも、こちらのことはよく知りもしないから、基本的には聞き耳を立てながら街を歩くのが中心だ。
人々は不安の陰を見せていたが、まだ魔物の大軍が攻めてくる気配はないようで、避難の準備もそこそこに、変わらぬ暮らしを見せている。
フォンシエは視線を動かして、北からやってきたと思しき人物を見つける。かなり薄汚れているから、避難してきたばかりなのだろう。
男の姿を見ながら彼は呟いた。
「北の都市に行くには、人の足でどれくらいかかるんだろう?」
「都市って、どこのこと?」
「ええと……確か、ラスティン将軍がいた都市は落とされてしまったから、行き先はその一つ南になるのかな?」
そこで彼はふと気がついた。
難攻不落の都市が落とされたと聞いていたが、どこまで魔物が南下してきているのかは聞いていない。
(奇妙だな? こっちまで情報が入ってきていない可能性はあるけれど)
増援として北に向かっているのに、行き先もわからないなんて。
フォンシエがそんなことを考えていると、先ほど視線を向けていた人物がつかつかとやってくる。
「おい、あんた」
ぐっと掴みかかってくる勢いは激しいが、一般市民のそれであった。だからフォンシエはあっさりと躱すこともできたのだが、そうすることもないと、黙って鎧の端を掴まれる。
「ラスティン将軍は死んじゃいねえ」
「……ええと?」
意味を把握しかねていると、男の眉間に皺が寄る。
「将軍が生きてるんだ。だから、まだあの都市は落ちてなんていない!」
それは男の願望なのか、それとも事実として将軍は落ち延びたということなのか。けれど、フォンシエに告げられた言葉はそのどちらとも違っていた。
「一般市民が避難させられただけだ。足を引っ張る者がいなくなった今、将軍は攻勢に出るはず。あのクソ魔物どもを、ぶっ殺すはずなんだ!」
歯ぎしりの音を立てるその男によれば、ラスティン将軍は部下たちとともに、いまだにその都市に残っているらしい。
そうなると、防衛拠点として都市はさほど機能しなくなる。少数がいたところで、状況はなにも好転してはいない。攻勢に出るどころか、都市内部に入り込まれては、すぐに退路を断たれてしまうだろう。
けれど、それだけラスティン将軍という人物は信頼されているのかもしれない。
フォンシエはそれから、男の言葉を何度もぶつけられていた。なにを返せばいいのかわからなかったから。
やがて男が肩を怒らせながら、その場から去っていくと、一息ついた。
「フォンくん。さっきの話って……」
「市民を逃すのは、都市をなかば捨てたからだろうね。だからこそ、急いで北に援軍を出したんだろう。都市を奪われないようにするのはもう難しいから、被害をその都市だけに抑えるためにさ」
フォンシエたちがいる部隊が北に向かっているが、明確な行き先が指示されていなかったのは、状況がどうなるのか不明だったからだ。
「もう少し、教えてくれればいいのにね」
フィーリティアが不満をこぼすと、フォンシエは笑った。
「いや、もしかすると、皆知っていることなのかもしれないよ。なんせ、ただの市民ですらわかっているんだから。やっぱり、ここではよそ者で、当たり前のことを当たり前にこなすのが難しいんだろう」
「でも、魔物と戦うための技術は同じでしょ?」
彼女が剣に視線を落とすと、フォンシエは鎧の胸部装甲をとんと叩いた。
「もちろん。そうでなくちゃね。俺たちはそのために来たんだから」
「頼もしいね、フォンくんは」
けれど今は、フィーリティアと一緒に街中を見ている最中だ。剣を抜く機会はない。
流行の店に立ち寄ってみたり、鍛冶屋によって剣の手入れをしたり、鎧を身につけていなければ、年頃の少年少女とそう変わらない時間を過ごして、やがて日が沈んでいく。
晩飯を取る段になって、ようやく北の情報と今後の段取りが伝えられることになった。




