第一章⑧
「……見えないが、」藤井は目を細めてスイコのタブレットの画面を見たが、どう見てもそこにトロイメライに関することは表示されていなかった。藤井は息を吐き、スイコを見る。「……雨森、お前、ふざけたのか?」
「は? ふざけてなんてないし、」スイコは珍しく素の反応を見せて、藤井を睨み、タブレットの画面を確認した。「……あれ、おかしいな」
「水上大学のセキュリティに阻まれたか?」
「それにしたってブラックアウトはおかしいでしょ?」スイコはタブレットの電源を一度落とした。「もう一度、やってみる」
それからスイコは何度か、トロイメライの情報が掲載されているページにアクセスしたが、どうしたって画面から光が消えてしまうみたいだ。
「なるほど、」藤井は顎をさすりながら、勝手に納得していた。「これがトロイメライか」
「は? 何、勝手に納得してるの?」スイコはタブレットを叩いて、原始的になんとかしようとしている。スイコはメグミコやスズよりも、年齢的には藤井に近い。「もう、何なのよぉ、コレ、高かったのにぃ」
「そういう魔具なんだ、きっと、トロイメライは、ノリコさんは言っていた、トロイメライは記憶に残らない」
「記憶に残らない?」スイコはタブレットの上で指を動かしながら言う。「記録には残らないなんてことはないでしょ、トロイメライという名前も私は覚えているし、水上大学のデータベースにはきちんと表示されないけど、でも記録として残されている、記憶に残らない、というのは矛盾している」
「ああ、確かにそうだな、ノリコさんはトロイメライが指指の形状をしていること、それから魔女が触ると煌めく、という情報を持っていた、おそらく微妙に、絶妙に作用していると思うんだよな、記憶に完全に残らない、というのが、適切かな、」藤井は考えながら言葉にした。「トロイメライは、芸術作品だ、芸術作品は誰かに見つめられることによって価値がある、見られなくなってしまったら終りだ、トロイメライは一度意識の中に入り込み消えていく、印象だけを残して消えていくんだ、素晴らしかったという印象だけを残して消えていくんだ、楽しい思い出と同じさ、楽しかった思い出の細かなことって覚えていないだろ? ただ楽しかったことだけを強烈に覚えてしまっているんだ、それはもう一度、体験したいと思うほど、トロイメライはそれと同じだ、もう一度見たいと思うほどの強烈な印象を残して消えていくんだ、トロイメライに編み込まれた魔法によってね、全ては芸術作品としてずっと、トロイメライが見つめられるために、トロイメライは絶妙に、俺達に働きかけてくるんだ」
「え、ちょっと、意味分かんない、」藤井の熱のこもった口調に、スイコは若干引いていた。「芸術品としてずっと見られるために……って、うーん、どうかな、メグ、スズ、分かった?」
『分かんない』メグとスズは声を合わせて、一緒に首を横に振る。
「確かに私は一度画面を見て、何かを見たはずで、そこに表示されたものについて何も覚えていなくて、トロイメライの強烈な印象だけが残っていて、細かなことは思い出せない、でも、その編まれた魔法が、芸術を目指すものならば、なんか、おかしいなって私は思う、いや、一種の試作的なものとして造られたものだとしたら、なんとなくは納得できるけれど、」スイコは黒い画面のタブレットを藤井に突き付けて言う。「このブラックアウトもトロイメライの仕業だっていうのはちょっと、釈然としないな」
「釈然としないっていうのなら、俺は一度だって魔法に釈然としたことなんてないな」
そのとき、藤井のスマホが震えた。
明方南警察署特殊生活安全課の拂田からの電話だった。合コンの件だと思って出たが、違った。藤井は要件を聞き、頷き、表情を変えて、即座に村崎組の主要メンバ全員にメールを送った。『至急、会同』