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第一章⑦

 明方第二ビルのディクシーズがある地下と同じ区画には、『ピュア・クラウン』という楽器の練習スタジオがある。ヨウコがずっとやりたかったことと言うのは、バンドだった。ロックンロール・バンド。でも、人見知りで、友達を作りたがらないヨウコとミヤコは、メンバを集めることに苦労していた。だからドラムスなしで、今までずっと練習していた。ミヤコはギター、ヨウコはベース、ドラムは正確なリズムを刻んでくれる機械に任せて練習を続けていた。

 とにかく、シキがドラムをやってくれれば一応バンドとしての形が成立する。

「太鼓?」シキは狭いスタジオの奥に置かれたドラムを見て、そう言った。「太鼓なんて、簡単じゃないですか」

 ベースを肩から下げたヨウコは、露骨じゃないけれど、期待の表情を見せた。何も言わないけれど、天才のシキに期待している、という感じだった。ミヤコはドラムのことを太鼓と言ったシキを可愛いと思って脳天気に笑っていた。

「じゃあ、やって見せて」パイプ椅子に腰掛け、ギターのチューニングをしながら、ミヤコは言った。

「うん、やって見せてあげる、」シキはスティックをフォークとナイフを持つみたいに両手に持って、ドラムの前にちょこんと座った。座って、シキはミヤコを見て、ヨウコを見た。「……いや、まずは一度、お手本を見せて下さい、私はコレがどういうものか、細かいことを知りません」

「どいて、」ヨウコはシキを立たせ、スティックも奪った。そしてシキを睨むように見る。「ちゃんと見てなよ」

「素晴らしいお手本と見せて下されば、文句はいいません」

 ヨウコは苛ついた顔をシキに露骨に見せてから、始めた。

 ヨウコが演奏したのは、フォレスタルズの『ビューティフル・ブルーマ』という曲。『イエロー・ベル・キャブズの変身』というキネマの主題歌だ。ミヤコとヨウコはずっと、この曲を練習してきた。三分とちょっとのロックンロール。五月の終りに、『ピュア・クラウン』が企画する定期ライブの予定がある。もし、ドラムが見つかったら、それに出ようって約束していた。

 三分とちょっとの間、シキはちょっと、世界に驚く顔をしていた。

「どう?」完璧に演奏しきったヨウコがシキに向けて挑発的に言う。ヨウコは友達も少ないし、性格も悪いけれど、音楽に対する情熱とその腕は、本物だった。小さな頃から磨き上げてきた腕で、何でも出来るのだ。ミヤコもヨウコにギターを教わったのだ。「簡単よね?」

 シキはニッコリと微笑み、答えた。「当たり前です」

「よし、言ったな、」ヨウコは立ち上がり、場所を開ける。「さ、私のお手本通り、やってみなさい」

 シキはスティックをヨウコから受け取り、またナイフとフォークみたいに両手で持ってから、ちょこんと腰掛けた。

 そして。

 一回。

 二回。

 音を確かめるように、スネアドラムを叩いた。

 バスドラムを一度、キックした。

 ヨウコは壁にもたれ、シキが演奏するのを待っている。

 シキはしかし、始めないで、音を確かめてばかりいる。

 ミヤコはそりゃそうだと思って、シキから目を伏せて笑った。

「始めないの?」ヨウコは腕を組み、怖い顔をして言う。「お手本見せたでしょ、お手本通り、始めなよ」

 シキは言われて、始めた。

 滅茶苦茶なリズムが三十秒くらい続いて、シキは止めた。

 スティックを膝の上に二本、並べて置いて悔しそうな顔をして言う。「……天才にだって、出来ないことくらいあるんです」

 ミヤコがそんなシキの顔を見るのは、初めてだった。意地悪かもしれないけれど、可愛いなって思った。

「簡単じゃなかったの?」ヨウコは前髪を触りながら言う。「太鼓なんて簡単だよね、シキちゃん?」

「……ちょっと、これはなんていうか、太鼓じゃないんです、そう、太鼓じゃないんです、だからちょっと、難解です、から、だから……、」

 そこでシキは言い淀んだ。いや、口の中で、何か言ったようだ。

「え、なんて言ったの?」ヨウコは悪い目をしていた。「聞こえなかったんだけど」

「……教えてください」

「え、ごめんねぇ、」ヨウコはすっごい笑顔でシキに体を傾けて、耳を寄せる。「聞こえなかったなぁ」

「いじわる、いじわる、いじわる、」シキは上目でヨウコを睨み付け、早口で、ヒステリックに言う。「天才の私が教えてって言ってるのよ、天才の、この私が教えてって言ってるのに、いじわるして、すぐに教えなさいよ、素直に教えなさいよ、いじわるしないで教えなさいよっ」

「教えるわよ、教える、教えるから、機嫌を直して、そして、」ヨウコはシキをまっすぐに見つめる。「本気でやるんだよ」

「もちろん、私はいつだって、」シキはヨウコの目を見つめ返す。「マジなんだから」

 それからヨウコの厳しいレッスンが始まった。何度も口論があったけれど、でも、シキは不思議とスティックを投げて、逃げ出したりしなかった。それは天才のポリシィだからか、シキの心理の細かいことはミヤコには不明だけど、とにかく、隅っこでギターを弾き歌いながら、そんな二人のやりとりを見ているのは愉快だった。ロックンロールは絶対に上手くいくなって思った。

 さて、スタジオの時計は明方市の夜の七時。

 レッスンの熱は冷めない。

 ミヤコはちょっと休憩して、チョコレートをかじっていた。

 そんなときだ。スカートのポケットの中のスマホが震えた。

 この異常な程の激しい揺れは、呼び出しだ。

 画面を確認する。

 藤井からメールが来ている。

「ごめん、ヨウコ、シキ、」ミヤコは立ち上がり、ギターをケースに仕舞い、荷物を纏め、鞄を肩に担いだ。「私、帰るね」

「え、また、家の用事?」ヨウコは訝しげにミヤコの方を見る。

「うん、」ミヤコは頷きながら、そろそろ言い訳が苦しくなってきたなって思う。ヨウコがマジな顔で問い詰めて来たら、隠し切れる自信はなかった。まあ、隠す必要もないんだけど。ヨウコだったら、誰かに言いふらす心配もないし。「それじゃあ、またね」

「いってらっしゃい、」おそらく事情が分かっているシキはミヤコの方を見ずに言う。シキはドラムに真剣だった。「ヨウコ、ねぇ、ヨウコ、やっぱり椅子を低くした方がいいと思うんだ」

「そうね、足が短いもんね」

「ああ!?」シキはまたキレた。


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