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第一章⑥

「トロイメライ?」

「ええ、組長でしたら、何かご存知かと思いまして」

 藤井は村崎組の組長、村崎ジュンジに電話を掛けていた。彼は今、シンデラのボストンの大学に教授として勤めていた。専門は魔法工学で、以前は京都大学でも教鞭を取っていた。そのときにジュンジは数学に退屈していたシキと出会い、天橋立の研究所に誘ったのだった。そう言えば、明方のこの邸に休暇で来るはずのシキはまだ姿を見せていなかった。すでに空から青の色素は失われ欠けている。

「音楽の話かい?」

「いえ、魔具の話です」

 トロイメライ。

 ノリコはそういう名前の魔具を探しているのだと言った。

 指輪の形状をしていて、とても。

 綺麗なもの、だと言う。「祖母のコレクションの内、ミュージアムから盗み出されたものの中で、トロイメライ、という魔具の行方だけが、今でも分かっていないのです、トロイメライは祖母にとって特別だったようです、父と母にトロイメライだけは誰にも渡してはいけない、そう言っていたそうです、祖母が他界したとき、私はまだ小さくて、よくは覚えていませんが、祖母がこの世界から消えてすぐでした、トロイメライは何者かによってミュージアムから盗み出されてしまいました、父と母は懸賞金を掛けてまでトロイメライの行方を探しましたが、結局見つけ出すことは出来ませんでした、写真も、絵もない、トロイメライを見つけ出すことは不可能に近かったのです、ええ、トロイメライは写真に映りませんし、絵としても描けないのです、人の記憶に残らないのです、まさにその名に相応しく、夢、のように消えてしまうものなのです、私もおそらくは、トロイメライを見たことがあるのでしょう、しかし、記憶にありません、記憶にあるのは、トロイメライが私たちの前から姿を消した後の不幸です、両親はシンデラ行きの飛行機の墜落事故によって死にました、両親はトロイメライの手がかりが見つかったと言ってその飛行機に乗ったのです、原因はジェット・エンジンの故障、でも、私は、両親の死の原因は、トロイメライの呪いだと思っています、両親はトロイメライを失ってから、まるで人が変わったように、トロイメライを探し出すことに生涯を費やしたのです、それは、ええ、まるで呪われたような、黒い顔つきをしていたんです、良くないものに取り憑かれたような、そんな表情をずっとしていました、私はそんな両親に一度言いました、おかしいって、こんなの変だって、言ったんです、私は初めて両親から怒鳴られました、私はとても悲しかった、私たち一家には祖母が残してくれた莫大な財産がありました、コレクションがいくら盗難されてもなんとも思わなくてもいいほどの財産があったのです、それなのに両親は全てを失ったような表情でトロイメライを探していたんです、私はトロイメライを恨みました、今でも恨んでいます、父と母を殺したのはトロイメライだと今でも思っています、私の全てを奪ったトロイメライを、私は壊したいのです」

 ノリコは言いながら、涙を落としていた。

 表情に変化はない。

 自然に落ちた涙。

 という、不思議なものか。

 それに対してなんて言えばいいか分からなかった藤井は、ゆっくりと息を吐き、彼女の涙を無視するように質問した。「……我々がトロイメライ、という魔具を見つけ出せば、賠償金を皆川さんに支払わなくてもいい、そういうことですね? 皆川さんの依頼、という形で引き受けさせていただくことになります、村崎組が動くことになります」

「ええ、そのようにして頂ければ、」答えてから、ノリコはやっと自分の涙の存在に気付いたようだ。「……あ、すみません、えっと、」ノリコはカーディガンの袖で涙を拭いた。「すいません」

「いえ、謝らなくて、結構ですよ、女性の涙ほど、美しいものはありませんから」

「え?」

「いえ、」藤井は盛大な咳払いをして、引きつった笑顔をノリコに見せた。「戯言です、気になさらないで下さい、それで、期日は?」

「いいえ、特に、」ノリコは子供みたいに首を横に振る。「期日というのは」

「なるほど、村崎組の力を、信用なさっていない、ということですね?」

 ノリコは笑顔を見せた。「……いいえ、そんなこと、ありませんよ、では一年以内に」

「一年とは、なんていうか、気の長いことですね」

「それでは半年?」

「もう季節は冬になりますね」

「それじゃあ、一ヶ月?」ノリコは愉快そうだった。

「ええ、必ず見つけ出しましょう、」愉快に頷き言って、根拠もないのに言ってどうするって、すぐに藤井は後悔していた。一ヶ月なんて短すぎる。しかし、自分の表情はおそらく、自身に満ち溢れているから、もう、撤回出来ない。「村崎組の未来に掛けて、見つけ出しましょう」

「それは頼もしいです、」ノリコはいたずらっぽく微笑んだ。「では、一ヶ月以内に」

 辻野を見れば、額を押さえていた。

 藤井は少し、冷静さを欠いていた。「それにしても、なぜ、今頃になって?」

「え?」ノリコは質問の意味が分からない、という顔をした。

「なぜ、今頃になって村崎組に依頼に?」

「ああ、それは、もちろん、お嬢様が、ミュージアムを滅茶苦茶にしたからです、それで私は、あなたたちのことを知ったんですよ」

「ああ、言われて見れば、そうか、そうですね、」藤井は後頭部を触って言う。「いや、でも、絶対に見つけますよ」

 見つかるか?

 藤井は目を瞑って考える。

 見つからなければ、賠償金を払わねばならない。

「絶対に賠償金を支払いたくはないという感じですね?」

「いえ、別に、」藤井は少し慌てる。財政難、という状況は出来れば部外者に知られたくないところだった。「そういうわけでは、決して、ありません」

「村崎邸とはもっと賑やかな場所だと思っていました」ノリコはチャーミングに首を竦めて言う。

「いえ、えっと、」藤井はとぼけるように言った。「まだ、昼間だからですよ、賑やかになるのは、夜になってからです、昼間は基本的に皆、サラリーマンをしていますからね」

 そしてタクシの後部座席に乗り込んだノリコを見送り、辻野に嫌味を言われたのだ。「知りませんよ、僕は知りませんから」

「知りませんって、バカ野郎っ、」藤井は珍しく怒鳴った。「俺はやるっていったら、やるんだよ、バカ野郎っ!」

「バカ野郎」

 ノリコの依頼の経緯を細かく説明していたら、電話の向こうのジュンジにそう言われた。笑ってはいた。しかし、呆れた、という感情がボストンから明方まできちんと伝わるのが、とても心臓に痛い。「上手く交渉すれば、賠償金のことは綺麗サッパリなくなったんじゃないのかい?」

「すいません、仰る通りです、」藤井はスマホに耳に当てたまま、中庭の松の木に頭を下げた。縁側に座って携帯ゲームをしながらいちゃつくスズとメグミコは不思議なものを見る目を藤井に向けている。「仰る通りです」

「仰る通りですじゃないよ、バカ野郎っ、ちゃんと分かってんのかよ、バカ野郎っ」

「ええ、もちろん、ことの重大さは把握しているつもりです」

「藤井、いいか、」ジュンジは声色を神妙に変えた。「村崎組は今、厳戒態勢なんだよ」

「はい、分かっています」

「厳戒態勢だから、俺はボストンの大学でまずい学食を食べなくちゃいけないんだ、厳戒態勢だからシキに休暇を与えて金を使わせないようにした、厳戒態勢だから、メグミコから目を離すなと言ったんだ」

「はい、分かっています」藤井は再び、松に向かって頭を下げた。

 いつの間にか、両脇を十一歳の魔女に挟まれていた。藤井はメグミコとスズを睨んだ。スズはちょっと後に引いたが、メグミコはピタッとしていて離れる様子はない。メグミコは藤井のことを怖がらないのは、村崎組の常識だ。組長のジュンジから全権を委ねられているのは藤井だけれど、実質のリーダは娘のメグミコであり、さらに言えばその師匠である魔女のスイコが村崎組の進路と速度を決められるポジションにいるのだ。メグミコの母のエミコがいてくれれば、勢力図は大幅に違っただろうが、しかし、彼女はジュンジとともにボストンだ。だから、藤井が睨んだところで、どうしようもないのだった。

「トロイメライのことはこっちでも調べてみる、」ジュンジは言う。「とにかく、藤井、なんとかしろよ」

 通話は一方的に切られた。

 藤井はスマホをポケットに、色が変わりゆく空を眺めた。

 ちょっと、途方に暮れる、ということを実感している瞬間だ。

「トロイメライですか」

 振り向けば、庭園の岩に腰を降ろしたスイコの姿があった。群青色の髪に、夢に見そうな程、鮮やかなブルーのドレスを纏っていた。今日は少し気温が高めだからか、ノースリーブだった。スイコはタブレットに視線を落としながら、指先を細かく動かしている。スイコの後ろをから、メグミコとスズは画面を覗き込んでいる。彼女の指先が、止まると同時に再び、スイコは声を出した。「なるほど、トロイメライですか、お話は、なんとなく、把握しました」

「何か知っているのか?」藤井はスイコに三歩近づき聞く。

「今、調べました」

「調べられるものなのか?」

「このタブレット、水上大学のデータベースとリンクしています、認可がなければ開かない情報にもアクセスできます、」スイコはニコッと笑った。「もちろん、認可なんて貰ってません、お金がかかるので」

「ああ、そうだな、なんでも金がかかるな、それで、」藤井は大きく頷き聞く。「それでトロイメライのことが分かったのか?」

「コレです」

 スイコは画面を藤井に見せた。「トロイメライとは、このことです」


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