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第一章④

「うわぁ、素敵なお部屋ですねぇ、」調子はずれな高い声でノリコは言って、応接室のソファに腰掛けた。「後ろのタペストリも素敵ですね、まさか、組長さんのご趣味ですか?」

 指摘され、藤井はそれを見た。すぐにしまったと思って額を押さえた。掛け軸が吊るされるはずの場所には、アニメの美少女キャラクタのタペストリが吊るされていた。メグミコの仕業だ。彼女は小さな頃からアニメが大好きだったが、美少女アニメにのめり込み始めたのは、魔女に開花してからだった。画面の前で「萌えー」「テラかわゆす」などの奇声を発しながら、美少女アニメを見るようになった。メグミコの部屋の壁は美少女のポスタやタペストリですぐに賑やかになった。すぐに廊下の壁にまで賑やかにして、今日に至って応接室まで達してしまったようだ。藤井は無理に笑顔を作って、ノリコに言う。「いえ、その、お嬢の趣味なんです」

「あ、お嬢様って、魔女ですか?」ノリコはフランクな口調で聞く。

「ええ、まだ魔女になったばかりです、まだ十一歳です、まだ十一歳なんですけれど、いえ、それは関係ないですね、」藤井はノリコの対面のソファに座りながら言った。「とにかく魔女になってから、お転婆に拍車がかかってしまって」

「あ、もしかして、ミュージアムを無茶苦茶にしたのって」

「ええ、うちの組の、お嬢の仕業なんです」

「そうですか、それならば、仕方ありませんね、魔女なのでしたら、仕方がないことです、んふふ」

「ええ、そうなんです、仕方ないんです、」藤井は咳払いをして言い直す。「……いえ、仕方ないなんてことはありません、お嬢は悪いことをしたんです、いくら魔女になったばかりだからと言って許されることじゃありません、後できちんと教育をしておきます、ああ、賠償の方はきちんとさせて頂きます、きちんとさせていただきますので、ええ、出来ればこの件は警察沙汰にして頂きたくないのです、村崎組の未来の存続に関わることなので」

「はい、警察の方から、そのことは伺っていますよ、」ノリコは優しく微笑んだ。「ですから、安心してくださいね」

「ありがとうございます」

 藤井は頭を下げた。ノリコの優しい微笑みを見て、やっと胸を撫で下ろすことが出来た。シガレロを吸って、煙を吐き出したい気分だが、ここは辻野が用意してくれたアイスコーヒーで口を湿らせるだけにする。グラスをテーブルに置き、倍賞の細かい話をしようとしてノリコを見れば、グラスの中でストロを回しながら、藤井の方を見て、ニコニコしていた。「……えっと、どうしました?」

「いえ、なんでもありませんよ」ノリコは魔性に笑いながらストロを噛むように咥え、コーヒーを飲む。

 ノリコはおそらく二十代後半ぐらい。しかしそれよりも若いかもしれない。ピンク色のカーディガンに、花柄のズボンというカジュアルな出で立ちが藤井にそう見せる。肖像画の中のミノリは白いドレスを身に纏っていて、落ち着いた雰囲気の女性という印象だった。目の前のノリコは活発で、なんというか、イノセントな印象を受けた。「皆川さんは、魔女ですか?」

「え?」ノリコは笑顔のまま、聞き返す。「私?」

「すいません、」藤井はどうして質問をしたんだろうと、後悔している。「失礼なことを、聞いて」

「いえ、そんな、失礼だなんて、」ノリコは長く艶のある黒い髪を触りながら言う。「髪の毛を褒めてくれたんだなと思って、言葉を受け取って、少し動揺してしまったんですけれど、違いますか?」

「いえ、」藤井は首を振って、その髪をよく見る。「とても素敵な黒髪だったので、風の魔女の煌めきだと思いまして」

「祖母のミノリは魔女でした、」ノリコは少し寂しい表情を見せて言う。「でも、私は違うんです、この煌めきは、その、トリートメントの力です」

 ノリコは自分の髪に指を入れる。

 そして藤井に向けて微笑んだ。

 その様子を見ながら、藤井は少し、この場に相応しくない感情を抱いた。

 久しぶりに抱いた感情だった。

 もう抱かないと思っていた感情だった。

 ノリコが藤井のことを見つめてくる。

 藤井は見つめ返してしまった。

 それは何秒か。

 いや、もっと、長いか。

 応接室の扉近くに立つ、辻野の盛大な咳払いによって、藤井はノリコの瞳から視線を離した。

 でも、すぐにもう一度見つめたいと思った。

 本当にどうかしている。

 どうかしているけれど。

「……えっと、」藤井は首を振って、仕事のモードに表情を変える。「賠償の額についての話なんですが」

「お金の話はやめませんか?」ノリコはメランコリィな表情を見せる。「ちょっと、お金のことで色々あって、ええ、色々あったので、したくないのです」

 ミノリが築いた莫大な財産を引き継いだノリコのことだ。それを巡って、様々な嫌なことがあったのだろう。それは容易に想像出来る。しかし、お金の話はしたくないと言われたって、しなければ、この話は何も進まない。辻野に視線をやれば、彼の笑顔は引きつっている。「……いえ、そう言われましても、話をしなければ、いけないことでしょう」

「賠償金はいりません」ノリコは唐突に言った。

「え?」藤井は聞き間違いだと思った。「なんとおっしゃいました?」

「賠償金はいりません、」ノリコは再び笑顔を作って言う。「と、申し上げたのです」

「賠償金を支払わなくてもいいのですか?」辻野が聞く。

「だから、そう申し上げているでしょう?」ノリコは愉快そうに辻野に言う。「もう、ミュージアムはどうしようもない場所です、シャンデリアが落ちたミュージアムも、三階のガラスが全て割れてしまったミュージアムも、一緒です、むしろこれを機会に、取り壊す決心が付きましたし」

「でしたら、取り壊しの費用をこちらで、」

「お金の話はしたくないのです、」ノリコは藤井の言葉を遮って言う。「違う話をしませんか?」

 藤井は少し警戒していた。

 一度目を瞑って考える。

 賠償金を支払わなくていいというのは、村崎組の金庫のことを考えれば、素晴らしいことだ。願ってもない幸運だ。土下座して、涙を流して感謝をしなければいけない状況だ。

 しかし、藤井がそうしないのは、経験があるからだ。

 危険を感じているのだ。

 幸運と危険はいつでも、抱き合わせだ。

 何か、あるはずだ。

 何か、隠れているものが、あるはずだ。

 ノリコがここにいる理由は。

 なんだ?

「違う話とは、」藤井は目を開けて、ノリコを見据える。「なんです?」

「トロイメライをご存知ですか?」


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