第四章⑧
吹き抜けの玄関ホールの床に落下したシャンデリアは、相変わらずそのまま残骸だった。そのガラスの欠片が三階の部分から差し込む高い位置にある太陽の光を反射して、煌めき、星屑のように見えた。
音を立てないように慎重に藤井を先頭に階段を登る。人の気配はまだしない。
「ふう!」
急にピクシィが高い声を上げた。
振り返ればニコニコしたピクシィの口をノリコが押さえていた。
スーツの内ポケットに入れているピストルのグリップを握り、周囲の様子を窺う。
藤井はピクシィに顔を近づけ、声を押し殺して言う。「どうか静かにしてくれないか?」
「ふう」とピクシィは笑顔で小さく頷いた。しかし笑顔は変わらない。この状況をとても楽しんでいるようだ。まあ、悲観するよりはきっと、正しいのかもしれないが。「ふふうっ」
三階のフロアに付いた。三階のフロアの円周上にあったガラスはすでに全て割れている。そこから僅かに風が吹き込んでいる。フロアを一周する。光の魔女の煌めきも、メグミコの紫色も見つけられなかった。
「まだいないみたいですね」辻野が小さく息を吐き、藤井に言う。
「ああ、さっさと爆破してしまおう」
「うわぁ!」ピクシィの高い声が聞こえる。「ノリちゃんにソックリだねぇ!」
藤井と辻野はそちらに向かう。階段を上がって右手の太い柱の影に、ミノリの肖像画はあったはずだ。
ノリコは壁に掛けられた肖像画の前に立ち、じっと観察していた。祖母を懐かしんでいるのか、ミノリ・ミュージアムの盛衰を思っているのか。とにかく、その横顔から彼女が何を考えているのか知るのは、藤井には難解過ぎる。
「はずしますよ?」藤井はノリコの隣に立ち聞く。「いいですね?」
「……ええ、」ノリコの反応は少し鈍い。「お願いします」
肖像画を藤井は一度見る。ピクシィが言ったように、ミノリという人はノリコにそっくりだった。ノリコの肖像画だと言われれば、そう信じるだろう。肖像画は黄土色の額に入れられている。藤井は肖像画の右側に立った。「辻野、向こうを持て」
「はい」辻野は肖像画の左側に立つ。
「慎重にだ」
「はい」
辻野と息を合わせ、額を少し上に持ち上げるために力を入れた。すぐに力を入れるのを止める。「これは」
「ええ、」辻野が頷き言う。「壁に完全に接着されていますね、どうします?」
「うーん」藤井は腕を組んだ。
「壁ごと爆破すればいいじゃんっ!」ピクシィが両手を広げて言う。「ふふうっ!」
「お嬢ちゃん、」藤井はピクシィを睨むように見る。「爆破すれば、肖像画も無茶苦茶になってしまうだろ?」
「そうじゃなくてね、分かんないかなぁ?」ピクシィは肖像画に近づく。「肖像画の周りの壁だけを爆破するんだよ」
「君にそんな器用なことが出来るの?」藤井が今まで出会ったピンクの魔女と言うのは皆、天真爛漫で、大雑把で、不器用だった。「君の色は認める、しかし、まだ小さいし、そういう難しいことが出来るようには思えない」
「ふんっ!」ピクシィはピンク色の髪の毛を払い不機嫌そうに言う。「失礼しちゃうわっ!」
「藤井さん、ピクシィに任せて下さい」
「そうだよ、」ピクシィはニッコリと藤井に微笑む。「なんでもかんでも、ピクシィに任せれば、大丈夫なんだからんっ!」
ピクシィは小さな瓶を取り出した。中にはピンク色の液体。液体、というよりもジャムだ。
ピクシィは瓶の蓋を開けて、まさにパンにジャムを塗りつけるような小さな銀色の小手をそこに入れてグルグルと掻き混ぜた。ジャムのピンクが煌めき出す。その煌めきは徐々に増す。その煌めくジャムが入った瓶をピクシィは辻野に渡した。「はい、コレを肖像画の周りに塗って」
辻野は言われた通り、肖像画を囲むようにジャムを塗っていく。そのジャムは瞬間的に壁に染み込んだ。「これでいいですか?」
「うん、上手、」ピクシィは頷き、髪を煌めかせた。「皆、三歩後ろに下がって」
言われた通り、三人は三歩後ろに下がる。
ピクシィは右手を前にかざし、発声する。「エクスプローション」
その発声にジャムが応答。
爆発音。
綺麗にジャムが染み込んだ跡に煌めく線だけが破裂した。
そして縁取られた壁が、こちらに落ちてくる。
藤井と辻野は機敏に反応し、肖像画を傷つけることなく、受け止めた。
「ね、」ピクシィはすっごい笑顔で言う。「大丈夫だったでしょ?」
「ああ、そうだな、よく出来る娘だ、……いや、そんなことより、」藤井は肖像画を上に壁の欠片を床に置き、空いた壁の穴を見ながら言う。「その箱はなんだ?」
縁取られて破裂された箇所の中にさらに、正方形の穴があって、そこに小さな、宝石箱と呼ぶに相応しい金色の箱があった。
「まさか」
ノリコはその箱を手にした。
手にした瞬間に、金色が煌めいた。
蓋がゆっくりと開き。
金属の旋律が、静かに始まった。
その旋律は、トロイメライ。
その箱はオルゴール。
「藤井さん、」振り返ったミノリの瞳は濡れていた。「ありました、コレが、トロイメライです、間違いありません、だって、ねぇ、藤井さん、見て、私が言った通り、すぐに忘れてしまうでしょう?」
ノリコは指輪を嵌めた。
藤井はその指輪を見つめる。
そのリングは美しい。
そして美しいという気持ち、その余韻を藤井の心に残して、脳ミソから瞬く間に姿を消した。
目が霞む。
一度目を閉じ、再び目を開けて、ノリコの指を見つめた。
美しいと感じて。
すぐに消える。
「不思議なものですね、」辻野は感想を言った。「本当に、記憶から消えてしまうんだ」
「うーん?」ピクシィはトロイメライを見つめて何度も目を擦っている。「なんで?」
「さあ、なんでだろう、なんで消えてしまうんだろう?」ノリコは上機嫌に微笑み、トロイメライを大事そうにオルゴールの中に仕舞った。「なんでこんなところにあったんだろう? お祖母ちゃんが隠したのかな」
「あらゆることに釈然としませんが、」藤井は肖像画を持ち上げてノリコに微笑みかけた。「とにかく、あなたのご依頼を成し遂げることが出来たようで、よかった」
四人はミノリ・ミュージアムの外に出た。外では群青色の髪の警官がまだいた。
「何してんの?」藤井は警官に言う。
「爆破するというのなら、早くして下さい、一時間だけ道路を封鎖しています」
群青色の警官が言うようにミュージアムの前の道路は封鎖されていた。警察官数名が赤く点滅する警棒を回していた。
「じゃあ、ピクシィ、」ノリコはピクシィに言う。「任せたよ」
「うん、」ピクシィは勢い良く頷き言う。「ピクシィに任せておけば、大丈夫っ!」
ピクシィは両手を広げて、ピンク色に煌めき始めた。
先ほどのよりも、強く。
濃く。
その輝きは徐々に増していく。
藤井と辻野とノリコ、それから群青色の警官も、ピクシィから離れ、彼女の煌めきを見つめている。
ピクシィは両手を前にして、発声する。
「ブージィ・クレイジィ・ベイビィ・パッピィ・バースデイ、」
その時だった。
ピクシィの肩に黒猫が飛び乗った。
「ぎゃあ!」ピクシィは驚き、声を上げた。
破裂の狙いが、上にズレる。
爆発音。
それは三階だけが破裂した爆発音だった。
ピンク色の煙が上がる。
ピクシィは後ろに尻もちを付く。「こらぁ、ビックリさせないでよぉ!」
黒猫はピクシィの周りを周り、そしてミノリ・ミュージアムの中に入って行ってしまった。
「あ、こらぁ!」ピクシィは声を上げる。
「ピカソじゃないですか?」辻野が藤井に言う。「黒猫のピカソですよ」
「ピカソ?」ノリコは首を傾げる・
「ああ、俺もそう思う、」確かにあの黒猫は、マアヤの黒猫のピカソだった。「おい、警官、」藤井は慌てて言う。「火を消せっ、火を消すんだよっ!」
「え?」警官は戸惑いながらも頷いた。「ああ、わ、分かりましたっ」
群青色を煌めかせた警官は、水を編み、ミノリ・ミュージアムの三階から立ち上る煙を消した。
「よし、よし、よくやったぞ、」藤井は警官の背中を強く叩く。「よし、警官、引き続き、警護に当たってくれ」




