第四章⑥
「あなたもピンク・ベルで働きませんかぁ?」
明方市駅二階北改札を出てすぐのところにある「欠けた角」というオブジェの前でピンク・ベルのリッカは高い声を出し、通り過ぎる魔女たちにビラを配っていた。跡見はその近くでピンク色の看板を持ち、リッカに習ったばかりのスマイルを作っていた。ビラを受け取ってくれる魔女はすくなかった。朝で忙しいということもあるだろう。朝だから機嫌が悪いということもあるだろう。現代になっても、キャブズのことをバカにしている魔女もいるだろう。キャブズとは、古い時代は空しか飛ぶことの出来ない、乏しいポテンシャルの魔女の職業だったのだ。蔑まれていた時代は長くあったのだ。それはともかく、朝でもビラを受け取り、跡見に説明を求めてくる魔女は比較的多かった。もちろん、跡見が七三にしたからではない。理由はリッカだ。リッカを見て、瞳をハートマークする魔女は何人もいた。何人もいたが、跡見がリッカは本店の魔女で明方支店の魔女はまだ誰もいないということを説明すると、落胆したぎこちない笑顔を作り、跡見にビラを返して改札に向かっていった。
「やっぱり難しいわねぇ」リッカは大きく息を吐き言う。
「いや、きっと、」跡見は看板を降ろして提案する。「ルッカさんが明方支店のキャブズになってくれたらきっと、キャブズになりたいって魔女が沢山来てくれるんじゃないかなって思うんですよね」
「どういう意味よ?」リッカは跡見を睨むように見る。
「リッカさんと一緒に働くことで幸せだと感じる魔女は多いと思います」
「ああ、まあ、そうでしょうね、」リッカは照れた風に笑う。「でも、恋されても困るんだよな、私、一途だからね」
「そういう選択肢はないんですか?」
「うーん、まあ、」リッカは口元に指をやり、二秒考えて言う。「ないわね」
「それは残念だ」
跡見は薄ら笑う。リッカとは跡見にとって、脅威だが、しかしずっと、エンドレスに眺めていたい対象でもあるからだ。
「あなたもピンク・ベルで働きませんかぁ?」リッカは再び、セーラ服を纏った魔女たちの集団に近づいていく。
跡見もピンク色の看板を持ち上げた。
そのタイミングで警官が跡見に近づいて来て言う。長い髪は群青色をしていた。水の魔法使いだ。水の魔法使いは基本的に、ネガティブな思考の持ち主で気が弱い。その警官も基本に漏れず、弱気な顔をしていた。「ちょ、ちょっとぉ、困りますよ、駅前でのビラ配りは条例で禁止されているんですからぁ」
仕方なく、二人は場所を変えた。駅から少し離れ、人通りの多い路地で再びビラを配り、看板を持ち上げていた。
通勤、通学のピークが過ぎると人通りは極端に減った。成果はゼロのまま、時間だけが過ぎていった。駅周辺を練り歩いた。時計を見れば、すでに正午に近い。二人は雑居ビルが両脇に立ち並ぶ細い道路にいた。
「むむむむ、」とリッカはヒステリックが溜まっているようで低く唸っていた。「どうしてよ、どうしてなの、せっかくクウスケが七三になったっていうのに」
「あんまり関係ないと思いますよ、僕が七三になったところで、ええ、所詮僕なんかが七三になったところで、魔女は何も感じない、いや、そんなことは思いたくはないんです、しかし、はは、それが現実なのかなって、思ったりもするんです、いやぁ、こう思えるのはきっと、七三になった成果じゃないかなぁ、」跡見は道路脇の自販機にコインを入れて、缶コーヒーのボタンを押した。再びコインを入れて聞く。「えっと、リッカさん、何飲みます?」
「コーラ」
跡見はコーラのボタンを押して、取り出し、リッカに渡す。「はい、どうぞ」
リッカは受け取り、信じられないという表情で跡見を見て言う。「なんでペプシなの?」
「え?」
「コーラと言えば、コカ・コーラでしょ!」コカ・コーラの自販機は道路を挟んで向かいにあった。
「いや、コーラなんて、どれも同じ味でしょう?」
「ペプシなんて、」リッカはペプシ・コーラの缶をめっちゃ振っている。「飲めるかよっ!」
リッカはペプシ・コーラの缶を跡見に向かって投げた。
何も投げることはないだろう、と思いながら跡見は身を捻って簡単に避けた。
避けて、ペプシ・コーラの缶の行方を見れば、こちらに向かって歩いていた女性めがけて飛んでいく。
その女性は金の髪の色煌めく、光の魔女だった。
まだ小学生くらいの紫の魔女と並び、手を繋いで歩いていた。
「もぉ、危ないじゃないのっ」光の魔女はペプシ・コーラの缶を胸の前で両手でキャッチして声を上げた。
「ご、ごめんなさぁい、」リッカは声を上げて、光の魔女に近づいて頭を下げた。「本当に、ごめんなさい、すいません、この男がコカ・コーラじゃなくて、ペプシ・コーラを買ったものだから、その、ヒステリックになってしまって、本当にごめんなさい」
「ああ、なんだ、そうだったんだ、なら、仕方ないよね、」光の魔女はペプシの缶をリッカに返しながら、意見に頷いている。「ペプシ・コーラなんてコーラじゃないものね、それは仕方ないわね」
「あ、分かってくれます?」リッカは胸の前で手のひらをあわせて体を斜めに傾けた。「ペプシなんて、コーラじゃないですよねぇ」
「ええ?」光の魔女の隣の雷の魔女が声を上げた。「ペプシ、おいしいけどなぁ」
「あ、それじゃあ、どうぞ、」リッカは雷の魔女にペプシの缶を渡した。「お飲みになって」
「ありがとう、」雷の魔女は邪気のない笑みを見せて受け取り、光の魔女を見上げ聞く。「飲んでいい?」
「そんなこと聞かなくていいわよ」光の魔女はそっけなく言った。
「でも私、」雷の魔女は光の魔女に自分の腕を絡めて言う。「人質なわけだしさ」
「……人質?」リッカは首を傾げる。
光の魔女は一度大きく咳払いをした。「いえ、その、この娘、私のペットみたいなもので、あははっ、そんなことより、」と光の魔女は跡見の方に視線をやり聞く。「えっと、ピンク・ベル?」
「はい、そうなんです、」リッカは営業スマイルを作って高い声を出した。「私たち、ピンク・ベルになってくれる魔女を探していて、実は今、この明方市にはピンク・ベルの魔女が一人もいないんです」
「へぇ、ああ、そうなんですか、」光の魔女は話を聞いて来たくせに興味がなさそうだった。「へぇ」
「あの、どうですか?」リッカは聞く。「興味はありませんか?」
「えっと、あんまり」光の魔女は困ったように微笑んだ。
「お嬢さんは?」リッカは雷の魔女に視線をやる。
「うーん、どうしようかなぁ、」雷の魔女は興味がある目をした。「最近、お小遣いだけじゃ足りないんだよなぁ」
「そうなんだぁ、」リッカはしゃがみ、雷の魔女よりも目線を下にする。「お洋服とか、沢山欲しくなる年頃だもんね」
「ううん、」と雷の魔女は首を横に振る。「お洋服じゃなくて、エロゲ」
「……え、エロゲ?」リッカの眉はひくひくしていた。
「うん、エロゲ、」雷の魔女は何かを恥ずかしがる様子もなく言う。「初回限定版で、コレクションしたいから、お金がいるんだぁ」
「へ、へぇ、そうなんだぁ」
「ごめんなさい、あの、」光の魔女は金の懐中時計で時刻を確認して言う。「私たち、急いでいますので」
「ああ、ごめんなさい、」リッカは雷の魔女にビラを渡した。「もし、働く気があるのなら、後でまた電話してね」
「うん、」雷の魔女は大きく頷いた。「電話しますっ」
二人の魔女は跡見とリッカから離れていく。
「いい感じじゃない?」リッカは腰に手を当て跡見に言う。「まだ、小さいけれど、小さな魔女をお好みの女性も多いからね、ってどうしちゃったの? さっきから、黙って」
「リッカさん、僕、」跡見は薄ら笑いながら看板をリッカに渡した。「一目惚れをしてしまったみたいです」
「はあ?」リッカは眉を潜めた。「一目惚れって、あの光の魔女に?」
「違います」跡見の薄ら笑いは止まらない。
「げ、まさか?」
「すいません、ちょっと、電話なんて待っていられません、この衝撃は本物です、いや、まさか僕が、小さな魔女のことを気に入るなんて、いや、自分でも信じられないんですけれど、それじゃ、ちょっと、行ってきます」
跡見は二人の魔女が歩いていった方向に走り出した。すでに二人の後ろ姿は小さいが、全然走って追いつける距離だ。
「あ、おい、ちょっと、」リッカは後ろで叫ぶ。「止まれ、変態っ!」
二人の魔女は一つの箒に跨がった。
魔女は飛び立つ。
跡見は走りながら、声を張り上げ呼び止めた。
「ま、待って下さい!」
光の魔女の後ろに乗った雷の魔女は振り返り、跡見の方を見た。
跡見は手を伸ばし、再度、叫ぶ。「待って下さい、お嬢、」
そのときだった。
進行方向、およそ百メートル先で。
何かが破裂した。