第四章④
朝の村崎邸は昨夜の喧騒が夢だったみたいに静かだった。大人の男たちの声は聞こえなくて、中庭の松で羽を休める雀のさえずりだけが聞こえている。
アンナ、シキ、マアヤ、スズは布団から出て台所に向かった。その方向からご飯の匂いがしていた。
暖簾を押し、アンナは驚いた。
魔女モードに変化したいほどの驚きだった。
台所にはスイコと、まだ小さな光の魔女の千場オリコトが立っていた。オリコトは村崎組の紫色のメイド服を着ていて長方形のテーブルに料理を並べていた。ヨーロッパの朝、という感じの料理が並んでいる。金髪に、紫色のメイド服を着たオリコトはフランス人形のように美麗だった。しかし、アンナは愛らしい姿の彼女のことをゆっくり観察する余裕なんてなかった。
「おはよう、」スイコは四人に振り返って言う。「オリコトが朝ご飯を作ってくれたのよ」
オリコトは地下牢に閉じ込められているはずだ。
それなのにどうして?
紫色のメイド服なんて着ているの?
スイコはどうして平気な顔をしているの?
料理を作らせるなんて、どういうつもりなの?
スイコの裏切りを思った。
スイコの悪魔の表情が、脳ミソの画面に見える。
アンナの体は細かく震えた。
静かな朝。
急に来た、響き。警鐘。
アンナは一歩後ずさる。体は興奮と緊張に支配されている。
その代わり、シキとマアヤが一歩前に進み出た。
スズはアンナの手をぎゅっとしてくれた。
そんな女の子たちの優しさがなかったらきっと。
もう、叫んでいたと思う。
オリコトはアンナに視線を向け、そして恥ずかしそうな表情を一度見せて、スイコに視線をやる。
スイコはなぜか、オリコトに優しく微笑み背中をそっと押して言う。「オリコト、きちんと謝りなさい」
「……は、はい、」オリコトは頷き、「ごめんなさい、」と四人に向かって頭を下げた。「ごめんなさい、皆さんに、その、乱暴なことをしてしまって、私、反省しています、反省しています、だから、許して下さい」
「……どういうことなんですか?」シキは鋭い視線をスイコに向ける。
「オリコトは私のペットになったの、」スイコはオリコトを後ろから抱き締めて、金色の髪に指を入れる。「だから、大丈夫よ、ペットだから大丈夫、もう悪いことはしないわ、そうよね、オリコト」
「はい、」オリコトは大きく縦に首を振る。何度も頷く。「もう、悪いことはしません」
「……ペットって、」アンナは両手を広げて声を荒げた。「ペットって何なのよっ、理解不能意味不明っ!」
「ペットはペットよ、」気持ちが震えていてしょうがないアンナに向かって、スイコはウインクをして見せた。「ペットとは、奴隷のことを優しく言った表現よね」
「優しくされなくても私は大丈夫ですよ、」オリコトはスイコに向かって小さく言う。「痛く、強くされても、私は大丈夫ですよ、んふふ」
「まあ、つまり、」スイコはオリコトから離れて人差し指を立てて言う。「こういうことなんだわ、もうこの娘は村崎組の魔女よ、村崎組を裏切らない」
「はい、裏切りません、」オリコトは胸の前で拳を握り締め、真剣な目をして歯切れよく言う。「私はスイコ様のために、いえ、村崎組のためにお姉ちゃんと戦いますっ!」
オリコトの瞳は澄んでいた。
明方ターゲット・ビルで見た瞳とは、どこか違っている。
釈然としないけれど、その決意を信じてしまいたくなる、綺麗な瞳だった。
アンナの興奮と緊張は徐々に解けていく。
シキも、マアヤも、スズも表情から力を抜いた。
そんな四人に向かって、スイコは背中を向けて言う。「さ、皆、朝ご飯にしましょう」
釈然としない気持ちのまま、アンナたちは席に着いた。
スイコがどんな魔法を編んだのかは分からない。どんな風にオリコトのことをペットにしたのかは分からない。しかし、スイコは確かにオリコトのことをペットにしたみたいだった。スイコの美貌にオリコトは反応したのかもしれない。
とにかく。
アンナはビビりっぱなしの自分の心臓を「バカ野郎」って心の中で罵倒して、オリコトが用意した料理を食べた。エネルギアを満タンにした。
「このラジオにエネルギアを満タンまで注いだ雷の魔女はこのラジオでおコントロール出来るようになるんやで、」食後、シキはプロポになったラジオについて説明してくれた。「魔法を司るサブリナ・セクション、それから運動神経を、これでコントロールすることが出来る、お嬢を放棄に乗せればヘリコプタのラジコンみたいに空を飛ばせることが出来るんや、トリガを引けば音速に近い速度を出せし、この赤いスイッチを押せばお嬢はプラズマになって飛んでいく、まさに自由自在に操ることが出来るんやぁ、まあ、心まではコントロールする、っていうわけにはいかんけど」
「凄い発明ね、」コーヒーカップに口を付けながらスイコが言う。「それを上手く使えば、ええ、絶望的な状況から起死回生出来るかもしれない」
「関西弁?」マアヤがトーストをちびちびとかじりながら首を傾げている。育ちのせいか、マアヤの食事のスピードは極端に遅かった。「シキって関西弁だった? しかも下手くそ」
「しかし、まだ、まだなんや、まだお嬢はスズちゃんのラジオ・コントロール・ガールとして成立していないんや、」シキは口元だけ微笑ませてプロポを握り、腕を伸ばして対面に座るアンナを狙うように片目を閉じた。そしてトリガを軽く引いた。「トリガを軽く引く、そうすると赤外線が出て、狙いが付けやすくなる、狙うのはこめかみ、」アンナのこめかみに、赤い光の点が泳ぐ。「そしてトリガを強く引くと、稲妻が飛んで、そして初めてリンクするんや、しかし、リンクにはまだ条件があって、リンクさせる相手のことを思わなきゃならん、愛する気持ちがなきゃアカンのや、まあ、スズちゃんはお嬢の恋人やし、簡単なことやろ、」とそこまで言ったところで、シキは言い淀み、そして標準語に戻った。「……まあ、大丈夫だと思うんだけどな」
隣に座るスズはちょっと自信がないような顔をして呟く。「……愛する気持ち、かぁ」
「大丈夫よ、絶対、」アンナはスズに言う。「大丈夫、お嬢のことを一番思っているのは、スズちゃんでしょ、大丈夫、きっとスズちゃんなら、お嬢のことをコントロール出来る、千場ミチコトの隙を付いてリンクさせてプラズマを発動させれば、ええ、きっと何とか、なるんじゃないかな」
朝食を終え、そして六人はミノリ・ミュージアムに向かう準備をしていた。準備といっても徳富式の魔法を一度だけ反射するロープを纏い、ドゥーヴュレイ製のブーツを履き、ありったけの武器を鳴滝ナルミのフェラーリのトランクに詰め込んだだけだ。もちろん、ガトリングガンも。
藤井、辻野、それから他の村崎組のメンバはなぜか姿を見せなかった。こんな大事なときに何をしているんだろうと思っていたら、南明方署特殊生活安全課の風の魔女、大壷ヒカリが白いシトロエンに乗って姿を見せた。藤井が呼んだアンナのボディガードだった。彼女の黒髪のきらめきは凄まじく、その無垢な笑顔と相まって、彼女といると安心感があった。仲良くなりたい魔女なんだけど、ヒカリは年上の男性のことが気になる、珍しい魔女らしく、藤井のいろんなことをアンナに聞いたりしていた。今日も開口一番、運転席のウインドウを開けて、藤井のことを聞いてきた。「あれ、パパは?」
ヒカリは藤井のことをパパと呼ぶ。二人は親密な関係なようだった。正直、アンナは気持ち悪いと思った。娘と言ってもおかしくない年齢のヒカリにパパと呼ばせている藤井のことを変態だと思った。
「朝からいないんです」
「おかしい、」ヒカリは疑う目をする。「パパ、やっぱり私に何か、隠してると思うんだよね」
「何かって、何ですか?」
「何かだよ、」ヒカリは指をアンナに向けて言う。「何かだよ」
「はあ」アンナはとりあえず頷いておいた。
「あ、スイコさん、」ヒカリはスイコのことを見つけて笑顔になって、運転席から降りた。ヒカリはおっさんのことが好きなくせに、スイコには過剰に反応する。本当に、変な魔女だと思う。「スイコさぁん、おはようございます」
ヒカリが高い声でスイコにところに駆け寄ったタイミングで、アンナのスマホが震えた。藤井からだった。
「もしもし」アンナは電話に出る。
「おう、アンナ、」藤井の声はなんだか、ピクニック中、という具合に弾んでいた。「元気してたか?」
「ちょっと、藤井、今、どこにいんのよ!」
「そんなことより」
「はあ、そんなことよりって何なのよ」
「ミノリ・ミュージアムを爆破する」
「はあ!?」




