第三章⑧
村崎邸の西側、道路を挟んだ向かいには別邸があって、その敷地には母屋の他に十六の倉が並び、ほとんどが特殊な武器の保管庫となっている。その倉の一つは研究室で設備が整えられていた。その中でシキはガスマスクを付け、厚手のビニル手袋をして、特殊な薬品を湿らせた布で、アンナの錆びたガトリングガンを研磨していた。
その作業を始めたのは、夜の七時頃。作業が中断されたのは、スズが食事を運んできてくれたときだけだった。おにぎりを二口食べて、それからシキは再び作業に戻る。作業中、シキは一言も発しなかった。
すでに時計の針は夜の十時に近い。その頃になると、ガトリングガンは元の鉄の輝きを取り戻していた。シキはマスクを取り、手袋をゴミ箱に投げて、アンナの方を二時間ぶりに振り返って言う。「ふぅ、こんなものかな、」すぐにシキは丸い目を細くする。「……って、二人とも、何してんの?」
研究室には歯医者の病室で並ぶようなリクライニングベッドが一つあって、その上でアンナはマアヤといちゃいちゃしていた。
「セックス」マアヤが平気な顔で答える。
メグミコが誘拐されてアンナは正直、かなり動揺していた。
スズを安心させたくて、無理に笑顔を作ったけれど。
気持ちは藤井と同じ。
いや、それ以上だと思う。
メグミコはアンナにとって、大事な、妹みたいな、ううん、もっと、それ以上の女の子だ。
だから。
じっとしていられなかった。
体中が熱っぽかった。
だからと言って、明日の正午までに出来ることってない。
何か、するのは正午からだ。
組員たちは皆、明日の正午に向けて準備をしている。
藤井、辻野、スイコら村崎組の主要メンバ、普段なサラリーマンの組員たち、警察のナルミとヒカリは明日の正午に向けて、会同していた。
議論はまとまらなかった。
「まとまったら、後で教えて」そう言って、アンナは広間から抜けてきた。
倉に来るとシキはずっとガトリングガンをいじっていて、マアヤは倉の奥の方を漁っていた。
「何してるの?」アンナは不審に思ってマアヤに聞いた。
「探してるの、武器を、」マアヤは木刀を片手に答えた。「アンナにはガトリングガンがあるんでしょ? 私も武器が欲しいって思って、アンナはどんな武器が私に似合うと思う?」
「ギターとか?」アンナはリクライニングベッドに横になって言った。「あれで叩かれたら絶対痛いね」
「ギターが武器なんてダサいよ、」マアヤはアンナの上に乗って言った。「ダサダサだよ」
マアヤの黒い髪がアンナの顔にかかる。「……マアヤ、何してるの?」
「セックスしよ」マアヤはアンナに短くキスした。
「……いや、今そんな場合じゃないし、シキだってそこにいるし」
「じゃあ、しないの?」マアヤはジャージのファスナを降ろしながら聞く。
「……する、」アンナは答えた。「っていうか、もう、触ってるじゃん、」アンナはマアヤに敏感なところを触られて声が出た。「あっ、ちょっと、マアヤ、やっ、……あっ」
アンナはシキにいちゃいちゃしているところを見つかって慌ててマアヤから離れようとした。けれどマアヤは平気な顔して、アンナの唇にキスして舌を入れてきた。マアヤはキスが上手だった。メイドの左近はキスとセックスのことを毎晩教えてくれた、だから、きっとヨウコやシキと比べて上手だと思う、とマアヤは途中でアンナの耳元で囁いた。マアヤにキスされると脳ミソが溶けて、思考力が落ちて、変になる。何も出来なくなるのだ。アンナとマアヤの唇が離れるといやらしい音がした。シキは「むぅ!」と唸ってガトリングガンを構えた。「マアヤ、アンナから離れて、離れないと、」シキはトリガに指を掛け、照準を合わせてくる。「ぶっぱなす」
「弾入ってないでしょ?」マアヤは平気な顔をして言う。「ねぇ、シキもこっちおいでよ、キスしてあげるから」
「じゅばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばっ」シキはトリガを引きながら言った。
ガトリングガンは弾を発射しないどころか、回転すらしなかった。「……あれ、おかしいな、回らない、ああ、そうだ、グリスをさしてなかった」
シキは再び作業台にガトリングガンを乗せて、グリスを注入している。もう、アンナとマアヤがいちゃいちゃしていたことには関心がないみたい。
「……グリスが足りないのかな、」アンナはマアヤにロンズデールの緑のジャージを着せながら小さく言う。「だから、私のギアは繋がらなかったのかな、私のギアは回転しなかったのかな」
「勇気が足りないんだよ、心に、スイコに体を売るときそう言われた、勇気がないと駄目だって、だから、勇気があるマアヤのところに来たって、でも勇気ってなんだろう、よく分かんないな、」マアヤはアンナの心臓に触って、そこにキスした。「はい、グリスは注入して上げたから、とにかく、後はアンナの勇気次第だよ、でも安心して、絶対、アンナは私が守るから」
「とっても恥ずかしいことするんだね、マアヤは勇気があるんだね、」アンナはマアヤを見つめてニヤケる。「ちょっとドキッとしたよ」
「恥ずかしいって何が?」マアヤはアンナから離れてシキに静かに歩み寄る。
「アンナを守るのは、私の武器だよ、」シキはこちらに背中を向けたまま不要なグリスを布で除去しながら言う。「マアヤは魔女モードになる必要なんてないよ、とっおきの武器で武装した私は強いよ、騎士になった私は強いよ」
「シキ」マアヤはシキの隣に立ち、髪を掻き上げ名前を呼ぶ。
「なぁに?」
マアヤは顔を上げたシキの唇に強引にキスした。シキは一瞬暴れたけれど、すぐに静かになった。
アンナの心臓はちょっと、いや、かなりなんていうか、チクチクした。
ちくちくちく。
心臓に針が刺される気持ち。
スタジオのときと同じ、嫌な感じ。
唇が離れて音がなる。
「ちょ、ちょっと、いきなり、何するの!?」シキは顔をピンク色にして怒鳴る。「いきなり、キスするなんて、そんな、そんなぁ、」シキの表情は次第に乙女チックになる。「アンナが見てる前でぇ、もぉ、やだぁ、恥ずかしいよぉ、気まずいよぉ」
シキは軽くマアヤの額を小突いた。
「私、皆と仲良くなりたいんだ、」マアヤは唇を舐めて平気な顔で言う。「アンナとキス出来ればいいって最初は思ってたけど、一度魔女モードになったせいかな、シキとヨウコとも仲良くなりたいって思うようになったの、コレが魔女の欲望なんだと思うんだよね、えっと、シキ、駄目かな?」
「駄目じゃないよ、駄目なんて思わない、」シキは可愛い子ぶるように首を竦めた。「仲良くすることって悪いことじゃないと思う」
「そうだよね」マアヤは小さいシキをぎゅっと抱き締めた。
「うん、そうだよ、誰が誰とかじゃなくて、皆で仲良くすればいい、それが平和ということなのかもしれないね」
「ねぇ、ちょっと、ねぇ、」アンナは抱き合う二人に向かって声を荒げた。「ねぇってば!」
『なぁに?』二人の声はユニゾンしている。
「私は嫌だな、嫌、そういうの違うと思う」
「じゃあ、」マアヤがシキの柔らかい頬を触りながら聞く。「アンナは何が正解だって言うの?」
「そうだね、」アンナは腕を組み、しばらく考えた。考えてみると纏まった。これが正解だと思うものを言葉にしながら手繰り寄せる。「私はシキのことも、マアヤのことも、ヨウコのことも好き、選べない、皆可愛い女の子だから選べるわけないし、皆私のことを好きでいてくれて嬉しいよ、でも、私のことを好きな女の子たちが、私の女の子たちがね、仲良くするのは違うと思うの、私の女の子たちには、純粋に私のことを好きでいてもらいたいの、今、考えて思ったんだけど、私ね、私のことを三人で取り合って欲しいみたいなんだ、俗っぽい言えば、ハーレムっていうのかな、えっと、私の気持ち、お分かり?」
「自己中女」マアヤが無表情で言った。
「ろくでなし」シキは冷たい目をして言った。
二人に言われ、ぐらっとちょっと後ろにヨロメいたけど、でも、アンナは倒れなかった。倒れて溜まるもんか。自信満々のとびっきりの笑顔を二人に見せて、アンナは言う。「でも、二人とも、そんな私のことが大好きなんだよね、知ってるよ」




