第三章⑦
俺が村崎組に就職して以来、最大の厳戒態勢を敷く、と藤井は組員たちの前で言った。「お嬢が誘拐されるなんて前代未聞のことだ、危機感が足りなかった、お嬢が小さい頃は何度も様々な組織に誘拐されそうになった、しかし、俺たちは何度も守ってきた、守れたのは危機感があったからだ、今の俺たちには危機感がなかった、お嬢が魔女になり、ライトニング・ボルトを編めるようになって、お嬢を守る必要がないと思っていたんだ、でもそれは間違いだった、圧倒的な魔女がお嬢を拉致する可能性を俺たちは考えていなかった、それは間違いだった、危機感が足りなかったんだ、俺は反省している、反省しなきゃいけない、いや、反省よりも、お嬢のことだ、お嬢は、お嬢がどこにいるか、お前ら、お前ら、」藤井は大きく息を吸い込みがなった。「さっさと探して来いっ、バカ野郎っ!」
『おおおおっ!』組員たちは藤井に呼応し雄叫びを上げた。
お嬢こと、村崎メグミコが光の魔女の千場ミチコトに誘拐されたという前代未聞の事態に、昼間の時間は世間的に真っ当な仕事をしている組員たちのほぼ全員が、ここに会同した。その人数は数え切れないほどだ。広間に入りきらないので中庭に面した方の障子を開放している。中庭に敷き詰められた砂利が組員たちの靴に踏まれて騒がしかった。
「ちょ、ちょっと、待って、待って下さいっ、待てって言ってんだろっ!」スイコはアニメ声を張り上げ、組員たちを静止する。「お嬢がまだどこにいるかは分かっていないんですよ、街を闇雲に探したって無駄です!」
「じゃあ、どうしたらっ!」叫んだのは藤井だった。彼は珍しく、過度なパニックに陥っているようだった。スイコに接近して上からがなる。「俺たちはどうしたらいいんだよ、バカ野郎っ!」
「頭を冷やせ、」スイコはかっとなった。瞬間的にヒステリック満タン。群青色の髪の毛を煌めかせた。「バカ野郎っ!」
藤井の顔にスイコが編んだ水球が衝突する。頭どころか全身がズブ濡れになった。広間の畳が濡れてしまったことは失態だと思った。とにかく、藤井は黙った。濡れた藤井にヒカリは風の魔法を編み込んだ。藤井は一瞬で渇いた。髪の毛は変になってしまったが、渇いた。
「ちょっと、落ち着いてよ、パパ、落ち着いて、」ヒカリは藤井の前に立ち、笑顔を見せる。「スイコさんを困らせないで、スイコさんを困らせたら許さないんだから」
「ああ、すまん、すまんな、」藤井は小さく言って、髪型を直してスイコの方を胡乱な瞳でふらふらと見る。「でも、スイコ、俺は、俺たちは、どうすればいいんだよ?」
「電話を待ちましょう、」スイコは言う。「ミチコトは電話をすると言ったそうです、後で電話すると、随分、なんていうか、簡単ですけど、電話をすると言ったそうです、そうよね、スズ?」
スイコの隣で目を赤くしたスズが小さく頷く。「後で電話するからって、魔女が」
「とにかく、電話が掛かってくるまでは、それまでは動かない方がいいでしょう、まだ魔女がお嬢を誘拐した理由すら明確でない、もちろん、簡単に理由というのは推測は出来ます、魔女はお嬢を返して欲しければ、と要求してくるでしょう、牢獄にいる千場オリコトの解放、それからアンナを渡せと要求してくるでしょう、とにかくこれは、慎重に扱わなければいけない事案です、拳を振り上げて、雄叫びを上げてどうにかなる場面ではない、ヤクザの抗争とはジャンルが違うんです、いえ、もちろん拳を振り上げる場面もあるでしょう、ええ、皆さんのエネルギアはそのときにとっておいて下さい、分かりましたか?」
スイコの問いに会同した組員たちは頷いた。
「とにかく、藤井さん、あなたならそういう簡単なことは分かるでしょ、今まで村崎組を統べて来たのですから、分かるでしょ、どうか、お願いしますよ、お願いしますから、お願いだから、ちょっと私をヒステリックにさせることはしないでよね」
「すいません」藤井は目を瞑って言った。
「謝らないで下さい」
そのときだった。
スズが握り締めていたスマホが震えた。
スズは一度スイコの顔を見た。「メグのスマホからだ」
スイコはスズに頷く。
スズは着信に出た。「……もしもし?」
スズのスマホは細いケーブルでコンピュータと繋がっていた。コンピュータには会話を録音する機能と、発信電波の位置情報を特定出来る機能がある。しかし、後者の機能は働かなかった。メグミコのスマホからの位置情報は割り出せなかった。
「もしもし、スズ?」コンピュータのスピーカからメグミコの声が聞こえる。
組員たちは静かにそれを聞いている。
「メグ、平気、大丈夫?」
「こちらの要求は、」メグミコの声が言う。そう言わされていると分かる。「オリコトとアンナ、明日の正午、ミノリ・ミュージアムの三階で待つ、そこに来てもいいのは二人だけだ、二人とお嬢様の交換という単純な要求だ、それ以外の人間がミュージアムにいたら村崎メグミコを殺す、村崎メグミコの未来のために、分かりますね?」
それから二秒の沈黙。
「メグ、メグってばぁ」スズは呼びかけたが、通話はそこで切れた。
ツー、ツーと、スピーカから聞こえている。
村崎組の全員が大きく息を吐いた。
そのとき村崎邸に声が響く。「なるほど、分かりやすいね、お嬢の命か、私の命かってことだね、分かりやすい」
中庭の組員たちの間から、アンナとシキとマアヤ、それからナルミが姿を見せた。
「なんだか、全員集合って感じ?」シキが口元に指を当て笑顔で言う。「お勤めご苦労さまです、あ、なんか違うか」
「へぇ、こんなにいるんだ、村崎組って、」ナルミが周囲を見回しながら言う。ナルミが三人をフェラーリに乗せて村崎邸に連れてきたのだろう。ナルミはずっとアンナを護衛している。「これで全員、ちょっと数を数えてもいい? 警察だってあんたたちのことを正確に把握してないから、いい機会だわ」
スズはアンナを見つけると彼女の元に駆け寄った。そして彼女に抱き付いて、その胸に顔を埋め、泣き声を上げる。「ごめんなさい、アンナさん、私が、私のせいで、メグが、メグが、メグがぁ」
「ああ、もう、こらこら、スズちゃんってば、泣かないの、」アンナは優しく言って、乱暴にスズの頭を撫でる。「もう過ぎた時間は取り戻せないだから泣いたって仕方ないでしょ、お嬢が誘拐された事実はもうどうにもならない事実なんだから、大丈夫だよ、スズちゃん、お嬢は私が絶対助ける、お嬢を助ける、あいつを殺してお嬢を助ける、私は死なない、だからスズちゃん、笑って、はい、ピース!」
アンナのピースに、スズは応えてピースを作る。「ぴ、ピースぅ?」
村崎邸の緊張がわずかに緩んだ。
前代未聞のことも何とかなりそうだっていう空気が、一瞬で完成した。
スイコは思う。
やっぱりアンナは。
スペシャルな少女だって。
「いけるの?」スイコはアンナの方に近づきながら聞く。
「誰に言ってるわけ?」アンナは笑顔のまま、首を絶妙な角度で傾ける。
「村崎組の、」スイコは立ち止まって答える。「アンナに」