第三章⑤
「これは、これは、」甲原リッカは跡見クウスケのアトリエの中心で回りながら、感嘆の声を上げた。いや、酔っている跡見でも分かる。リッカは呆れているのだ。「これは、これは、なんと言いましょうかぁ、適切な言葉が見つかりません、いえ、素直に気持ち悪い、と申しましょうか」
「気持ち悪いとは、失敬な、」跡見は丸椅子に腰掛けながら、頭を押さえる。跡見の頭には包帯が巻かれていた。二階の事務所でリッカが巻いてくれたものだった。手際よく、二針縫われた。彼女の家は代々医者の家系で、リッカも医学部を出たという。そんな経歴の落ち主がなぜピンク・ベルの本店で働いているのかは謎だ。とにかく彼女は跡見の頭に包帯を巻いてから、掃除の行き届いていない事務所に視線を巡らせた。何かを探している風でもなく、ただ事務所の風景を観察しているようだった。そしてリッカは跡見の静止を無視して勝手に三階への階段を登った。そして気持ち悪いと言ったのだ。「気持ち悪いとは、ちょっと許せない言葉ですね、僕が描いてきた魔女たちは皆、綺麗だ、気持ち悪いと言われる魔女たちじゃない」
「違います、魔女の絵を気持ち悪いと言っているんじゃありません、」リッカが不機嫌そうに跡見を睨む。「魔女の絵を描き、こんな風に部屋の壁中に魔女の絵を飾って、部屋の中心で歌を作るあなたが気持ち悪いと言ったんです、この絵の魔女たちに罪はありません、罪はあなたにあります」
「罪とは、少し言い過ぎではありませんか?」跡見は薄ら笑いを浮かべて言う。「絵を描いて、歌を作る、そんなロマンチックな僕は素敵じゃありませんか?」
「あなたを素敵という魔女はいるでしょう、いるかもしれません、世界には様々な魔女がいますからね、いてもおかしくない、不思議じゃない、」リッカは早口で言いながら、勝手にアトリエの窓を全開にした。「しかし、そんな魔女はマイナ、きっとサブリナ・セクションが狂った魔女ね」
サブリナ・セクションとは、魔女のポテンシャルを司る中枢のことで、細かいことは知らないが海馬の上の方にあるらしい。それが狂った魔女とはつまり、どういうことだろう。魔女の構造までは詳しくない跡見には想像が難しいことだ。
「窓を勝手に開けないでください、」跡見は語気強く言った。「ちゃんと、温度と湿度をシャープの高性能なエアコンでコントロールしてるんですから」
「でも、これほどとは、思わなかったな、」リッカは窓際に形のいいヒップを乗せて言う。入ってくる風に、銀の髪の毛が揺れて、煌めいている。「ちょっと、強引にやらないと駄目かもしれない」
「なんの話ですか?」跡見は聞く。
「とぼけないで、分かっているのでしょう?」リッカは跡見を睨み言う。「私が本店からやってきた理由」
「えっと、難しいな、」跡見はとぼけた。「あ、そうか、なんだ、僕に会いに来てくれたんだ」
リッカは無言で銀色の髪を煌めかせた。
右手にナイフ。
素早い動作で跡見の方向に投げる。
跡見の肩のすぐ上をナイフは通過した。
跡見の自慢の長い髪が切られ。
アトリエの床に落ちる。
跡見は落ちた髪を見て、震えた。
「……よ、よくも、」跡見は頭に血が上る。「よくも僕の自慢の髪を!」
「女みたいなこと言うんじゃないわよ!」リッカは声を張り上げた。そして右手にブレイドを編んだ。細くて、長くて、硬い、あらゆるものを切断するブレイドだ。そのブレイドの切っ先を跡見に向けて、リッカは跡見の方に歩いてくる。「明方支店の再生には、まず、店長のあんたをどうにかしないといけないようね」
跡見はブレイドの鋭さに後ろに下がった。
しかし、背中はすぐに壁に当たる。
跡見は殺される恐怖を感じて、髪のことよりも、命の大切さを考えた。
跡見は諸手を上げて、必死に笑顔を作った。「ちょ、ちょっと、リッカさん、じょ、冗談はやめてくださいよ」
「冗談じゃないわよ、ええ、本当に、冗談じゃない、」ブレイドの切っ先が僅かに跡見の喉に触れていた。その箇所から、ゆっくりと細く、血が落ちる。「明方支店を再生させるために私は新幹線の中で様々なことを考えていたわ、もし人材がいないのであればまずは魔女を集めることから考えよう、もし立地条件が悪いのであれば移転先を考えよう、店長がクズだったら徹底的な指導を考えよう、それでも駄目そうだったら、首を切ろうって考えていたの、今、私はとっても、あなたの首を切ってしまいたい、でも、あなたの返答次第で気持ちが変わらないこともないわ、あなたが明方支店を本気で再生する気があるのなら、気持ちが変わるかもしれない、その気がある?」
「は、はい、」跡見は小さく声を出した。大きく声を出したら、ブレイドに切られてしまいそうだったから。「もちろんです、本気で、やります」
「そうよね、そうよ、私はブレイドであなたの首を切りにきたわけじゃない、」リッカはブレイドの切っ先を跡見の喉元から離した。「あくまで、目的は再生、破壊じゃない、ギアにグリスを注入しに来たのよ」
跡見は壁を背中に座り込み、大きく呼吸をした。喉はカミソリで切ったみたいに細く切れていた。跡見の酔いはすっかり冷めた。この魔女には絶対に反抗的になってはいけないと思った。今まで会った明方市の魔女とは、何かが違う。きっと、育ちが違うのだ。革命の歴史のページを飾る魔女たちとは、リッカのような魔女たちなのかもしれないと思った。
「クウスケ、うなだれてないで、椅子に座りなさい」
「え?」
顔を上げるとリッカは猟奇的な、まさに鋼の魔女という目をして、右手に銀色のハサミを持っていた。刃渡りは長く細い。人間の首を簡単に切断出来そうな武器だ。ハサミをチョキンと鳴らして、リッカは笑顔で言う。「まずは髪を切らなくちゃね、アシンメトリィなままじゃ変でしょ、それにクウスケは髪が短い方が似合うと思うよ、七三分けにしましょう、うん、決まり、絶対に似合うよ」