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第三章②

 明方タワー・ビルディングの最上階から見える景色は絶景だった。愛川ヨウコは窓に張り付くようにして景色を見ている。その窓は北の方角だ。その方角は遠くに行くほど緑が広がり、その緑はやがて厚みのある白い雲と交わる。雲の切れ間、左の方には日本で一番巨大な面積を誇る丸湖が見える。「うわぁ、高いなぁ」

「全く、子供みたい、」ヨウコに並んで景色を見ている冲方シキが言う。「景色を見て感動するなんて、まさに子供思考、おこちゃまの所行だわ」

「ぬぅ、」ヨウコはシキを睨む。「堂々と双眼鏡を覗いている子供に言われたくないね」

 シキは双眼鏡を目元から離し、ヨウコに差し出す。「子供に鮮明な世界を見せて上げようと思ったの、ピントを合わせただけなのだよ、だから私は子供じゃない」

「あ、貸してくれるの?」ヨウコは笑顔で双眼鏡を受け取り、覗き込んだ。「あ、シキちゃん、見てみなよ、丸湖の上にドラゴンがいるよっ」

「ドラゴンになんて興味ないよ、」シキはそう言いつつ未だ視線は窓の方に向いている。「あれは、ベルファストの方のドラゴンだね、羽根の第一骨格が巨大で、尾が長く、その先端は扇のように広がっている」

「二人は仲がいいんだね、」ソファの横に座る市長の娘の弥城マアヤが阿倍野ミヤコに言う。「羨ましいな、私、誰かと仲良くなったことなんてないから」

 ここはマアヤのアトリエの隣にあるスタジオだった。彼女は絵を描く以外に、音楽を奏でることも趣味にしていた。アトリエにクリームソーダ色のフェンダ・ストラトキャスタがあるのは知っていたけれど、こんなに本格的な設備があることをミヤコは過去三十五回、マアヤの部屋に来ていたけれど三十六回目にして初めて知った。確かに、ストラトキャスタが部屋に来る十回目くらいから不自然にアトリエの中心に置いてあった。ミヤコがヨウコとバンドをやっている情報をどこからか手に入れて、マアヤはずっと分かりづらいサインを発信し続けていたらしい。マアヤがミヤコのことを気に入っているのはなんとなく分かっていた。でも、ストラト・キャスタのサインには気付かなかった。いかんせん、彼女が描く絵がアヴァンギャルド過ぎるから、そっちの方に目が行ってしまっていたのだ。とにかく、ミヤコ、ヨウコ、シキの三人がマアヤのスタジオにいる理由は、彼女が一緒にバンドをやりたいと言ってきたからだ。マアヤはずっとそのことを考え続けていたのだろう。そのことを言いたくて、マアヤはスイコに魔女にされて、最高と許せないほどの最低を味わうことになったようだ。本当に、どうかしているって思った。狂ってる。魔女になる前に、素直に言えばよかったのにとミヤコは思う。しかし脳ミソが複雑迷宮回路のマアヤは、ギアを繋いで、魔女にならなかったらきっと、それを言うことは出来なかったのだ。その気持ちは、マアヤ以上に脳ミソが複雑迷宮回路のミヤコには、なんとなく理解出来る。

 事情の細かいことを飲み込めないまま、ヨウコはマアヤのスタジオに来た。ヨウコの不審の眼はシキに向けられたものよりも鋭かったけれど、マアヤが奏でるサウンドを聴いてすっかり彼女のことを認めてしまっていた。「凄い、素晴らしいよ、マアヤ、これは私が求めていたサウンドだよ、実は不安だったんだ、ミャコちゃんのギターが不安だったんだ」

 ヨウコにそんな風に言われて、ミヤコはちょっとショックだった。しかしミヤコには、歌を歌うという役割がある。ギターは別に、巨大な首飾りで構わない。

「マアヤ、そんなことを言うのはつまり、私と仲良くなりたいってことかな?」ソファの前の膝の高さくらいのテーブルの上のカップを手にして、ミヤコはコーヒーで口の中を湿らせて聞いた。「いいよ、可愛い女の子なら、いつでも大歓迎よ」

 マアヤはじっとミヤコを見て、恥ずかしそうに舌を出し唇を舐めた。「……別に、アンナと仲良くなりたいってわけじゃないんだけどな」

「アンナじゃなくて、ミヤコ、今はミヤコだよ」

「ああ、そうだった、そうだった、ミャコちゃんだった」

 マアヤは首を大げさに上下させて頷く。揺れる左耳のヒスイのピアス。今まで緑色だった髪の毛は、産まれたときの黒に戻っていた。魔女モードになって、本物の緑が彼女の髪に出たときに、人工的な緑の染料は全て弾け飛んだのだ。ミヤコは彼女の緑も嫌いじゃないが、黒の方が似合うと思った。

「それで、ミャコちゃん、バンドの名前、どうする?」

 バンドの名前は何にしようかって、さっきから四人で話していたのだ。

「うーん、」ミヤコは腕を組み、ぎゅっと目を瞑って唸る。バンドの名前なんて今まで考えたこともなかった。「うーん、どうしよっか、ヨウコ、シキ、何か、ある?」

「うーん、」シキは指を立てて答える。「ミヤコ・キャッツとか、どうみゃあ?」

「いいね、」ミヤコは即答した。「私の名前が入っているところがいいね」

「ヘブンリィ・メイデン」ヨウコは凄く素敵なスマイルで言う。「意味は天女、実はね、中二の頃からずっと考えてたんだ」

「アイアン・メイデンが好きなの?」マアヤが聞く。

「うん、分かる?」ヨウコは音楽の話が出来て楽しそう。

「なぁに、拷問の話?」シキは見当違いのことを言う。「二人とも拷問に詳しいの?」

「ヘブンリィ・メイデンはダサいね、」ミヤコは真顔でヨウコに言った。「ヘブンリィ・メイデンはダサいよ」

「そうね、」マアヤも無表情で頷く。「ダサい、名前でちょっと、敬遠するレベルだね」

「え、ダサい?」ヨウコは笑顔を崩して言う。「ダサくないでしょ、シキはどう思う?」

「だっさ、」シキは声を低くしていった。「このダサさ加減はヤバイっすよ、ヨウコさん」

「ええ、かっちょいいでしょ、ヘブンリィ・メイデン!」ヨウコは訴える。「だって、中二のときから考えていたんだよ」

「中二のときに考えたことは忘れようよ、ヨウコ」ミヤコはヨウコに優しい目をしてあげる。

「ミヤコ・キャッツで決まりだにゃあ」シキが両手を広げて笑顔で言う。

「そうね、ミヤコ・キャッツがいいね、」マアヤは無表情で頷く。「うん、メジャー感があるっていうか、いいよ、ミヤコ・キャッツ、いいよ」

「ま、別にいいけどさ、」ヨウコは唇を尖らせて言う。「バンドの名前よりも、重要なのは、奏でる、音楽だからね、」ヨウコは咳払いして、納得した表情を見せた。「よぉし、それじゃあ、我ら、ミヤコ・キャッツ、」ヨウコは拳を振り上げて、その場で小さくジャンプした。「一週間後のステージに向けて頑張るぞいっと!」


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