表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/66

第一章②

村崎邸に、その女はやって来た。

 皆川ノリコ。ミノリ・ミュージアムの現在の所有者であり、皆川ミノリの孫に当たる人物だ。彼女の他にミノリの血縁者は存命しておらず、彼女の財産は全てノリコに引き継がれている。

 ノリコが村崎邸に来たのは、村崎組組長の娘である、村崎メグミコ、その幼なじみである室茉スズ、それからメグミコの魔法の師範として雇っている雨森スイコ、それから村崎組のアンナによってミノリ・ミュージアムを無茶苦茶になったからだった。その無茶苦茶さはパトカーが来るほどだった。

 主として、魔法による事件の捜査に当たる、南明方署の特殊生活安全課の拂田は藤井に例によって質問する。「これ、事件にするの?」

 カレンダは五月。

 スーツの上に、くしゃくしゃのモッズコート、という、汗を掻きそうな出で立ちの拂田は、仕事嫌いで有名だった。どんな事件でも事件にせずに、示談に持ち込むのが上手く、ある方面の人間には示談の魔女、とも呼ばれていた。

「出来れば、示談で」

 すでに太陽が落ちた時間、現場には藤井だけが残されていた。メグミコもスズもスイコも、アンナも藤井のことなど構わずに、滅茶苦茶になった建物のことの後始末のことなど考えず、さっさと帰って行った。藤井は手の平を併せて、一回り以上も年下の魔女に頭を下げることに、抵抗はないし、これが仕事だと割り切れるのだけれど、村崎組の魔女たちは少し、わがまま、いや、少し自由過ぎはしないか、と思うのだ。多少のお仕置き、いや、多少の反省は必要なのではないのか、と思うのだ。建物が滅茶苦茶になったのは、今回が初めてじゃない。今回で、七回目だ。しかも今回は閉鎖されていたとは言え、美術館だ。賠償の額を考えるとぞっとした。藤井は村崎組の未来が心配だった。藤井は組長が頭を抱えているのを知っている。村崎組が破綻寸前なのには二つ大きな理由があった。天橋立にある研究所の冲方シキの素晴らしい発明と、メグミコの盛大なる破壊である。

「全く、しょうがないなっ、事件にしないであげる、」拂田はニコニコしながら言って、そして小声で藤井に耳打ちする。「その代わり、分かってるよね?」

「ええ、もちろん、」藤井はニッコリと返事をしたが、内心は表情と違っている。「分かってますよ」

「んふふっ、」拂田は気持ち悪く微笑んで、強めに藤井の背中を叩いた。「いつも、ありがとねっ」

 拂田が言っているのは、いわゆる合コンのセッティングのことだった。一般的に魔女は女を愛するものだが、彼女は魔女には珍しく無類の男好きで、常に新しい出会いを求めていた。拂田は若くて渋い男が好きらしく、特に村崎組の男が好みのようで、示談の条件として毎回、拂田は藤井の背中を叩くのだ。「今回は、何人?」

「三人、」拂田はスリーピースを作って弾んだ声で答える。後ろの鑑識の人間は訝しげに拂田の背中を見ている。「あ、藤井さん、今回はあなたも来てよ」

「え、なんで?」

「え、独身でしょう?」拂田は丸い目を向けてくる。

「そうですけど、」拂田はシガレロに火をつけて、吸った。「……もう、誰かと付き合おうとか、そういうのは、ないし、」藤井は言いながら、警察に何を話しているんだろうと思った。「それに俺みたいなオッサンが行って、どうするんです?」

「ご指名なんだよっ、」拂田は指を藤井に向けて言う。「色男っ」

「ご指名?」藤井は煙を吐きながら、拂田を睨んだ。「誰が?」

「まあ、それはそのときのお楽しみ、ということでさ、」拂田は不敵に微笑み、藤井の肩をポンポンと叩いた。「じゃあ、よろしく頼むよ」

 それが昨日のことだった。

 合コンのことはさておき、拂田は昨日のうちにミノリ・ミュージアムの所有者であるノリコに連絡を取ってくれた。彼女は村崎邸に出向いてくれるという。通常、こちらから伺うのが筋だと思うのだが、そういうことで話が進んだらしく、藤井は朝から邸の掃除に忙しかった。アルバイトの大学生のメイドは朝から来れないというので、仕方がないので男たちで掃除をすることになった。慣れないことをするものじゃない。壷が割れ、障子が破れた。

 とにかく、ノリコとの約束の時間、明方市の午後の二時には一通りの準備が済んだ。賠償の問題については、藤井が当たる。一応、国立滋賀大学の経済学部出身だった。村崎組に就職出来たのは、腕っ節が強くて空手と剣道と柔道と合気道の有段者だから、という理由じゃなくて、経済とか法律に詳しいからだった。腕っ節が強くなって、空手と剣道と柔道と合気道、その他諸々のことを学んだのは、村崎組に入ってからだ。

 藤井は村崎組に来て四年目の辻野と共に、黒いスーツに身を包み、村崎邸の正門の前で待っていた。日差しが強く、額に汗が浮かんでいた。辻野は自衛隊出身で藤井と違い、なんていうか、本物として育成されている。辻野はニコニコしながら言う。辻野はいつもニコニコしている。自衛隊にいたら、自然とこうなったらしい。「こういうことってあまりありませんよね」

「そうだな、」藤井は火のついていないシガレロを指先で回しながら頷く。「誰かを出迎えることってないな、室茉のお嬢ちゃんぐらいだもんな、ゲストというゲストは」

「そうですね、でも、」辻野は肩を回しながら言う。「こんな風に門の前に立っていると、まるでヤクザですね」

「まるでヤクザって、」藤井は空を見上げて息を吐いた。「そんなに変わらないだろうが、俺達はまるで、ヤクザだよ」

 しばらくしてイエロー・ベル・キャブズの黄色いタクシが門の前に止まった。時計を確認すれば、その時間ピッタリだった。黒塗りの車高が低くて、細長い車で登場すると思っていたその人物は、タクシの後部座席から姿を見せた。「ああ、お待たせしました、皆川ノリコと申します」

 当然と言えば、当然だが、その人は藤井がミノリ・ミュージアムで見た肖像画の中の皆川ミノリに似ていた。美しさの中に、可愛らしさも備えていて、藤井が気になるタイプの顔立ちだった。意図せず気が緩むのをスーツの襟を伸ばして引き締め、藤井はノリコに向けて謝罪の表情を作った。何度も鏡の前で練習した表情だ。「この度は、本当に申し訳ございません、本来でしたら、こちらから伺うところを、わざわざお越し下さいまして、本当に、謝罪の言葉もありません」

 藤井はもうシガレロを吸いたくてうずうずしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ