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第三章①

村崎邸の地下には牢獄があり、光の魔女、千場オリコトはそこに収監された。その牢獄の内側は特殊な白銀にコーティングされている。その中に収監されると魔女は髪の煌めきを失い、魔法を編むことが出来なくなる。特殊な白銀に特殊な魔法を編み込むと、そういう性質を帯びるのだ。水上市警の鳴滝ナルミが彼女の手首に掛けた手錠も特殊な白銀で塗装されたものだった。こちらも同じく、魔法の編纂を阻む効果がある。特殊な魔法が編まれた、特殊な白銀は世界に希少だった。それが用いられた手錠、牢獄は数えるほどしか存在しない。魔法使い、魔女の犯罪者に対する処置としては薬を打ち、髪の煌めきを抜き、魔法を編纂出来なくするというのが一般的だ。しかし薬の効き目はポテンシャルによって変化する。確実な方法ではない。薬に頼ることに比べれば、特殊な白銀の手錠に頼る方が拘束する上では確実だ。特殊な白銀の影響を受けない、あるいはその影響から脱出することの出来る魔女は、過去から現在にかけて十人もいないだろう。とにかく、今のオリコトのように白銀の手錠を掛け、白銀の牢獄に入れられるというケースは世界においてもほとんどないスペシャルなことだ。盤石に捕獲されている。そんな貴重な経験をしているオリコトに、雨森スイコは彼女を捕まえた翌日の朝から、尋問を続けていた。

 何度も質問をした。

 繰り返した。

 あなた達の目的は?

 あなたによく似た光の魔女はあなたの仲間なの?

 金魚の会とは何?

 金魚の会の再興とは?

 金魚の会、つまり、ゴールド・フィッシュ・グループの現在の勢力は?

 その目的はまだ、天使なのか?

 あなたたちが天使になるために、アンナを殺す必要があるとして、それはどのようなプロセスとして遂行されるのか?

 方法は何?

 どうやって、アンナのことを知った?

 アンナにあると、分かった?

 トロイメライ、という言葉と聞いて、何か思い当たることは?

 村崎組を敵に回して、生きていられると思っているのか?

 軽率な行動だったと反省しているのか?

 後悔しているのか?

 しかしオリコトはずっと、下を向いて黙ったままだった。応答は一度としてない。煌めきを失ったブロンドの渇いた髪が、重力に従い柳のようにオリコトの顔を隠している。

「黙ってないで何とか言えってんだよ、バカ野郎っ!」

 スイコのヒステリックな怒鳴り声にも、オリコトは微動もしなかった。

 声が白い空間に虚しく響くだけだった。

 水で窒息させてやろうか。

 あらゆる拷問を考えるがしかし。

 村崎組の組長である村崎ジュンジは組員による非人道的な拷問を禁止している。彼はモラルを重んじる人間だった。組長のいうことには、逆らわない。逆らえないのが、組員というものであるべきだ。そしてそれも契約のうち。

 と言っても苛々が溜まってしまうのは仕方がないことで。

 ヒステリックが蓄積してしまうのは仕方がないことで。

 格子の向こう側、白銀に囲まれた中、黙ったままのオリコトを睨み、パイプ椅子に腰掛けていたスイコは足を組み息を吐いた。

 そのおり。

「……お腹空いた」

 オリコトはここに来て初めて声を出した。オリコトは下を向いたまま言う。「お腹空いた、何か食べたい、何か食べさせて、……下さい」

「質問に答えたら、いくらでも食べさせて上げる、まずは質問に答えることよ」

「でも、質問に答えたら、」オリコトはまっすぐスイコを見て言う。オリコトの瞳は涙で濡れている。お腹が空き過ぎて泣いているのだとしたら、まだ子供で、それはとてつもなく許しがたいことだと思うのだ。「……私、お姉ちゃんに、殺されちゃう」

「やはり、あの光の魔女は、あなたのシスタということね」

「ねぇ、何でもいいから、」オリコトは格子に触り、スイコに言う。「食べさせて、もう、駄目、死んじゃうよ、お腹減って、死んじゃうよ、限界だよ」

「だからお前が知ってることを全部話せばいくらでも喰わせてやるって言ってんだよ、バカ野郎っ!」スイコは格子をブーツの爪先で蹴った。「さっさと言えばいいんだよっ、バカ野郎っ!」

 オリコトは恐怖の表情をスイコの見せ、鉄格子から離れ、牢獄の隅に移動した。

 オリコトは自分の腕を抱き、震え、堪え切れない、という風に、声を上げて泣き始めた。

 まだ小さいから。

 まだ小さい魔女だから。

 可哀想。

 なんて。

 スイコは思わない。「うるせぇんだよ、静かにしろ、バカ野郎っ!」

 スイコはオリコトの泣き声を背中に、一度地下から出た。地下に通じる階段の扉をきちんと施錠し、廊下を歩く。中庭の方に向かった。

 中庭の中央には池があり、鴨と鯉が泳ぎ、絶妙なバランスで斜めに傾いた松が水面に、その姿を写していた。

 その風景を眺めながら、スイコは縁側に腰掛け、シガレロに火を付けた。

 大きく煙を吐く。

 オリコトの泣き声が、耳に残っている。

 残響。

 それを振り払うように、首を振る。

 立ち上がり、草履を履き、池の周りを歩いた。

 ああ、なんだかとても不愉快。

 そして。

 焦る自分がいる。

 焦る。

 ゴールド・フィッシュ・グループが目の前に現れた現実に直面して。

 焦っているのだ。

 彼らの目的に興味はない。

 彼ら自体の存在にも興味はない。

 狙っている方向、向かう方向も違うらしい。

 しかし。

 ただしかし。

 目指す方向が違うとしても、一度、交差してしまうのならば。

 邪魔をするならば。

 排除せねばならない。

 急いで、阻むものの姿の実体を鮮明に把握し、駆除しなければいけない。

 取り返しの付かないことになるかもしれない。

 強迫観念が、来る。

 昨日も。

 その前だって、その可能性は大きかった。

 大事にしていたものを。

 大事に育ててきたものを、一瞬で失う可能性はあったのだ。

 その可能性にぞっとするのだ。

 震えるのだ。

 怖くて。

 恐怖で。

 瞳が涙で滲むのだ。

 アンナは魔女に繋がるための、勇気を失っている。

 失ってしまった。

 いくら彼女が強い少女だとしても。

 取り戻すためには、時間が必要だ。

 これは最初から危惧していたし、ある時期には来るものとして、分かっていたことだ。考えなかったことじゃない。予測の範囲内。

 しかしどこかで予測を裏切って欲しいという願望が。

 甘えがあったのだ。

 だから。

 なんとかせねばと、焦る。

 脳ミソが上手く回転しない。

 歯車がギシギシと音を立てるのだ。

 まず、何から、すればいいのだろう?

 分からない。

 いや、とにかく。

 何かから、取り掛からないと、それこそ、取り返しがつかなくなる。

 そんな気がしてならないのだ。

 スイコは火が付いたままのシガレロを池に投げた。

「おい、」池の反対側から藤井が声を投げてくる。「今、シガレロを捨てただろ、悪いことしやがって、バカ野郎っ!」

 スイコは藤井の方に体を向け、ニッコリと微笑んで聞いた。「そちらのお嬢さんは、どなた?」

 藤井の横には、見知らぬ少女が立っていた。

 彼女の長い黒髪は風に揺れて煌めいている。


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