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アンチ・ニュートラル・ガールズ・ギア/ガトリングガンが回らない  作者: 枕木悠
第二章 ティンクル・グリーン・ジェイダイト
27/66

第二章⑬

 十一歳のバースデイ。

 この世界から選ばれなかった私は。

 そのときに選ばれなかった私はずっと。

 きっと。

 この瞬間を待っていた。

 ずっと考えていたのは、空の飛び方。

 絵を描き。

 表現していたのは、空に向かう意志。

 髪の色を染め。

 思考を魔女と、定め。

 いずれ来る、色、鮮明な明日を待っていた。

 その明日とは、今日。

 唐突と言えば、そうだった。

 予感があったと言えば、それはアンナから感じていたことだった。

 アンナは不思議だった。

 普通の女の子のくせに。

 特殊な世界にいて。

 普通では知ることのない世界のことを知っているような。

 遠い顔で笑っていたから。

 その顔は私に優しく。

 私が抱きしめたいと思うほど愛おしく。

 魔女が見る世界を知らない私のことを嘲るような。

 とても許すことの出来ない顔をしていた。

 私はそんな顔をするアンナに。

 私のことを覚えて欲しかった。

 私のことをもっと見て欲しかった。

 私のことを知ってもらいたかった。

 私のことを愛して欲しかった。

 だから、私は三十六度も黒猫のピカソに、アトリエから世界へ、旅立ってもらった。

 少しでも、アンナと見つめ合える時間が増えるように。

 そんな回りくどいことをしたのは。

 それが魔女の思考だと、思ったから。

 スイコには「何、それ?」と言われた。「魔女のことをバカにしているの?」

「魔女じゃない私に、魔女のことが分かるわけがないじゃない」

 私は開き直った。

 こんなに素直に、笑顔で開き直ることが出来るなんて、今までなかった。

 それはきっと。

 明日が近いから。

 待っていた明日が近いから。

 その明日は今。

 この受けた傷が、曰くつきのものだとしても。

 煌めく線が。

 髪が煌めくのならば。

 後は飛ぶだけ。

 その色に従い。

 飛ぶだけ。

 スイコを先頭に、ナルミ、マアヤの順番で、明方ターゲット・ビルの止まったエスカレータを登った。

 三階でエスカレータは終わっていた。

 天井の高いフロアを通過して、離れた位置にある階段に向かう。

 銃声が響く。

 二発。

 マアヤが初めて聞く音だった。

 銃声とはなんと、鋭いのだろうと、思った。

 しかしでも。

 体のどこでも恐怖を感じない。

 恐怖を知らないだけかもしれない。

 けれど、感じない。

 感じないのだ。

 それはきっと。

 スイコに体を売ってから。

 スイコに体に刻んでもらってから。

 スイコに心臓にギアを縫い付けてもらってから。

 確実に。

 変化しているから、感じない。

 四階への階段を登る。

 巨大な炸裂音。

 赤い炎の色が見えた。

 スイコとナルミは途中で立ち止まったが。

 マアヤは速度を落とさずに階段を登った。

 四階に出る。

 体に比べて大き過ぎるナイフを持った少女が、声を上げて、光の魔女を襲う瞬間を見た。

 光の魔女も声を上げて、風を起こし、少女を吹き飛ばす。

 少女は通路の先に背中から落ちて、そのまま動かない。

 魔女はアンナの横に跪く。

 アンナは仰向けに倒れていた。

 顔は向こうを向いている。

 彼女の表情は分からない。

 光の魔女は爪を立てた。

 殺す。

 小さな光の魔女は確かにそう、発声した。

 それはちょっと。

 いや、かなり。

 絶対。

 許せないことだ。

 まだキスもしていない。

 それよりももっと凄いこともしていない。

 マアヤは収束する。

 意志が、収束する。

 渦を巻いて、世界が迫ってくる錯覚。

 その妙に。

 心臓が震えた。

 えっと。

 魔女になるにはどうすればいいんだっけ?

 スイコから説明を受けたんだけど。

 よく覚えていない。

 いや。

 でも。

 分かる。

 マアヤはゆっくりと目を瞑り。

 そして開いた。

 息を吸う。

 これほど息を吸ったことがないってくらい、吸った。

「簡単にギアが繋がるなんて思わないでよね、」スイコのアドバイスを思い出す。可愛い声のアドバイスを思い出す。「世界の掟の綻びを呼び寄せることは、とっても大変なことなんだから、世界の掟の綻びを呼び寄せるための一番の近道は、決意の表明、すなわち、叫び、叫喚、絶叫」

 そのアドバイスに素直に従って。

 マアヤは叫ぶ。

「ろっくんろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおる!」

 マアヤの心臓を中心に刻まれた模様が鋭く発光。

 そして左足を前に踏み込んだ。

 絨毯が覆う通路。

 僅かに衝撃を和らげ、絨毯は意味を失う。

 地上二十九階の明方ターゲット・ビルが、一度。

 縦に揺れる。

 スイコからプレゼントされたブーツはドゥービュレイ製。それでマアヤは踏み込んだ。

 陥没。

 姿勢が前傾になる。

 そしてマアヤの体の軸から巨大なレバーが出現する。

 垂直に。

 ニュートラルに。

 両手で掴めば、それは固く、冷たく、太く、色は滲んだ黄金だった。

 マアヤはレバーを前に倒す。

 声を上げる。

 重い。

 でも。

 倒せない重さじゃない。

 不可能なことじゃない。

 一筋の可能性は見えている。

 だから絶対に。

 繋ぐ。

 繋がりたい。

 繋がりたいんだ。

 このままじゃ終われない。

 明日に行くんだ。

「ああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 強引にレバーを前に押し込む。

 ギアを。

 ハイに繋ぐ。

 強がりに担保された、揺るがない勇気というか、なんというか、そういうものにきっと。

 繋がる。

 繋がった。

 瞬間。

 変わる。

 変わった。

 緑のスプレで付けた色が弾け。

 本物の緑色が。

 とてつもない緑色が、マアヤの髪に煌めいた。

 これが色。

 これが色か。

 そしてなぜか。

 心に優しさが満ちる。

 なんだろう。

 誰かの気持ちだろうか。

 流れこんでくるものがある。

 とにかくマアヤは。

 宙返りしそうなほど、浮き足立っている。

 これが魔女か。

 魔女モード。

 三分とちょっと。

 魔女だ。

 緑の魔女だ。

「よっしゃあ!」後ろでスイコが叫び、その場で跳躍した。「成功だっ!」

「……凄い、」ナルミの声は震えていた。「これが、そうなんだ」

「嘘、」小さな光の魔女は丸い目をさらに丸くして言う。「この街に、二人目?」

「アンナから離れてっ!」マアヤは人差し指を光の魔女に向けて言う。言ってから、魔法の編み方を知らないことに気付いて、後ろの二人を見る。「えっと、えっと、」マアヤは笑顔でパニックだった。早くしないと、三分とちょっとの魔女モードが終わってしまう。「魔法の編み方が分からないんだけどっ!」

「右手をギュッと握って、」ナルミはマアヤの右手を触り、包み、握らせ、そして耳元に唇を近づけて、優しく囁いた。「シガレロをイメージして」

「シガレロ?」

「ラッシュを編んで、」ラッシュとは、魔女の能力を一時的に向上させるもので、それには様々な種類があり、その効果も形状も違う。シガレロの形のラッシュは最もポピュラなものだった。ポピュラと言うのは、おそらく簡単というくらいの意味で使われているのだろう。「イメージして、形を、注ぎ込んで、あなたのエネルギアを、そして緻密に編んで、編み込んで、でも、あまり待たせるのは嫌いよ」

 マアヤはナルミの声に耳を傾けながら、その言葉通りのことをした。具体的に何かをした、ということではなく、抽象的に、なんていうか、イメージを鮮明にしていった結果だった。これがすなわち、魔法を編む、ということなのだろうか。分からない。でも、何かが手の中に出来た。

「研究を手伝って上げてもいいよ、」ナルミはマアヤの髪の毛を触り、そして手を開かせた。葉巻があった。これを自分が編んだのだと思うと、凄く、なんていうか、凄いと思った。「あら、この太さ、」ナルミはそれを摘んで、口に咥えて言う。「優秀じゃないか」

 マアヤはナルミにそう言われ、嬉しかった。誰かに褒められて嬉しいと思うことは、久しぶりの体験だった。絵を褒められたって、歌が上手と言われたって、嬉しくなったことは随分となかった気がする。「ん、ふふふっ」

「あ、しまった、ライタがないな」ナルミはポケットに手をやりながら言う。

「はい、どうぞ、」ライタの火を付けたのは、光の魔女をじっと睨み、牽制し続けていたスイコだった。ナルミが咥えるシガレロの先が赤く染まる。「ナルミ、さっさとケリを付けよう」

「懐かしい味、」ナルミは煙を吐きながら、何の脈絡もなくそんなことを言う。「涙がこぼれそう」

「もう一本編んでくれる?」スイコがマアヤに言う。

 マアヤはすぐにシガレロを編んで渡した。今度の方が上手に出来た気がする。

 スイコはシガレロを吸って、悠長に煙を吐いた。「ちょっと、濃い味ね、でも、ホント、懐かしいな」

「スイコ、そう言えば、アンタ、シガレロを吸うようになったの?」ナルミも悠長に聞く。

「え、あ、うん、」スイコはぼんやりとした表情で頷く。「やっぱり、火が、恋しいのかな」

 そして次の瞬間。

 二人の群青色の髪の色は信じられないほどの煌めきを見せた。

『さあ、』二人は声をユニゾンさせて、小さな光の魔女に近づく。『どうする?』

「ず、ずるいっ!」光の魔女はアンナから離れ、後ろに引き下がって、涙目で言った。それほど、スイコとナルミの顔が怖かったのだろう。「大人のくせに、ラッシュも吸って、二人がかりだなんてっ!」

「だから何なの、だから何なのよ?」ナルミは手錠を取り出し、指指でクルクルと回しながら怒鳴った。「いいから、さっさと手を前に出せ、こらぁ!」

 光の魔女は背中を向けて逃げた。

「ジステロ」ナルミは水の魔法を編み、光の魔女を水の中に包み込み、捕まえた。

 手錠が光の魔女の手に掛かった。

 施錠される音とともに、マアヤの三分とちょっとの魔女モードが終わる。

 最高の時間だったな。

 そう思った。

 その瞬間だった。

 痛みがマアヤの全身を襲った。

 それは立ってはいられないほどだった。

 頭痛が痛い。

 頭を押さえる。

 その痛みは許せないほどだった。

 スイコに助けを求めたが、彼女は表情を変えずに言う。「いつも、魔女から戻った後は、そうなるから、とにかく、慣れるのよ」

「慣れないよ、」仰向けに倒れたままの、アンナが顔だけこちらに向けて言う。「これには絶対慣れないよ」

 ふと。

 スイコを見れば。

 まるで悪魔の表情で、笑っていた。

「……最低だ」マアヤは額を抑えた。この最低な痛みの話は聞いていない。

 意識はもう、どこかに消えた。




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