第二章⑤
滋賀県警南明方署の裏通り、急な坂道の途中にある喫茶店だった。
入り口の両側には円形の花壇があって、色とりどりの小さな花々が咲いていた。少し大きめの扉には、クリーム色のペンキがベッタリと塗られ、ちょうど『田』の字の形の窓が開いている。そのすぐ上にキャブズの魔女が首から下げるようなベルがついていた。細工がしてあるのだろう、揺らすと睨みたくなるほどに響いた。喫茶店の名前は『サイレンス』。その名前にしては店内に流れる音楽はニルヴァーナで騒がしいし、カウンタは調理に追われ騒がしいし、客の笑い声が途切れることはなく騒がしかった。
カウンタ席の後ろ、窓際に沿ってテーブルが四つ並んでいる。
一番奥のテーブルに藤井と、南明方署特殊生活課の魔女である拂田と、その同僚である莱木が座っている。拂田は今日もスーツにモッズコートという出で立ちで、莱木もいつも通りこのまま結婚式に向かうような、装飾の多い白いドレス姿だった。
髭を生やした筋肉質の体が大きい白人のマスタが、コーヒーを運んで来る。体に比べて小さめなクリーム色のエプロンが、ちょっと彼を不気味に見せている。女性は可愛らしいと言うらしいが、藤井にして不似合いとは、即、警戒へと繋がる。まあ、人が良いのはきっと真実に違いないのだが。
「ごゆっくりどうぞぉ」完璧な日本語で言って、マスタはカウンタに戻っていく。
マスタが下がったところで、藤井はシガレロの封を開けて話の続きを始める。「それで、アンナを襲った魔女の、ゴールド・フィッシュ・グループとか言う、ええ、訳の分からない組織についてなんですけれど、警察で、何か把握していることがあれば、情報をこちらに回して欲しいのです」
拂田は興味のない顔をして、藤井の顔に向かって煙を吐いて、隣の莱木を見た。「莱木さんは何か知ってる?」
「うーん、ゴールド・フィッシュ・グループですか、分かりませんね、」莱木は腕を組み、首を捻る。「ちょっと、データベースを当たって見ようと思いますが、そんな妙な名前の組織が、本当にあるのですか? いえ、もちろん、様々な秘密結社があって、様々な奇想天外な呼称を保持しています、でも、ちょっと、ゴールド・フィッシュ・グループ、というのは、なんと言いますか、珍しいですよね、珍しい、お名前です」
「魔女は、金魚の会、と言ったそうですが、うちのスイコは、ゴールド・フィッシュ・グループだと、言っていました、水上大学のデータベースには、そうあったと」
「水上大学のデータベース以上のものってきっと、」拂田は言う。「警察にはないんじゃないかな、もちろん、直近の犯罪履歴とか、そういうのはそっちにはないと思うけど」
藤井はコーヒーに砂糖とミルクを入れ、掻き回しながら、尋ねる。「……何かありませんか?」
「何かって?」
「とにかく、ちょっと、何人か、魔女を、回して欲しいんですよ」
「回す?」拂田はシガレロの煙を吐く。「意味がちょっと、分からないな」
「アンナを守るために、魔女の力を貸して欲しいってことです」
「無理、」拂田は即答した。「こっちだって人が足りてないのよ、南明方署の魔女は私たちを含めて五人しかいないんだから、たった五人よ、」拂田は手の平を広げて、手相を藤井に見せた。手相のことはよく分からないが、拂田の生命線はくっきり長かった。「その五人だって、実力で言えば、微妙よね、微妙、私は高卒だし、莱木は普通の女子大出身だし、お宅のスイコさんと、変身? したアンナの足元にも及ばない実力だわ」
「そうですよね」藤井は笑った。
「ああ、バカにしたなぁ」拂田は藤井を睨む。
「いや、ただちょっと、アンナが、珍しく、なんていますか、ナーバスで」
「なーばす?」拂田は莱木を見ていう。「なーばすって何?」
「武器のことじゃないですか?」莱木は答える。
「神経質になっているってことです、」藤井は言ってシガレロを咥えて火を着けた。「そんなアンナの方が普段の強気なアンナよりも可愛いんですけれど、でも、村崎組にとっては少し困ることです」
「知ってたわよ、」拂田は口を尖らせて言う。「ナーバス」
「ええ、知ってました」莱木も言う。
「あ、藤井さん、あなたロックがお好き?」拂田は急に話題を変えた。
「え、なんですか、急に?」藤井は灰皿を引き寄せて、不審の目を拂田に向けた。「ええ、聞くのはもっぱら、ロックですけど」
「一人魔女を回して上げる、」拂田はニコニコしながら言った。「その代わり、その魔女と一緒に今夜はロックを聞きに行って、ほら、前に言ったでしょ、藤井さんをご指名している魔女がいるって」
「……えっと、」藤井は断る理由を探したが、何も思い浮かばなかった。きっと、コーヒーの砂糖が足りないせいだと思う。「今夜?」
「ええ、今夜」拂田は頷く。
「ははっ、ずっと前から企んでたんですね、」藤井は無理に声を出して笑った。「ロックのチケットまで準備して、おっさん好きの風変わりな魔女と、僕を一緒にするために」
「チケットっていうか、バーなんだけど、明方第二ビルにあるのよ、小さなステージで開店から閉店まで、アマチュアのバンドがずっと演奏しているバーがね」
「ああ、なるほど、」藤井はぎこちなく頷いた。「バーか、なるほど、なるほど、了解した」
拂田は不敵に笑う。その笑顔の意味は不明。「また、あとで連絡するから、逃げるんじゃねぇぞ」
「分かってますよ、あ、その、これで、合コンのセッティングはしなくてもいいということですか?」
「合コンは別の話でしょ、」拂田は藤井の顔に煙を吐いて睨んだ。「何言ってんの?」
「本当、意味分かんないです、」莱木も同じ目を藤井に向ける。彼女も魔女にしては珍しく、男好きだった。「私たちの合コンをなんだと思っているんですか? ちゃんと準備してくれなきゃ困ります」
「……あははっ、ですよねぇ」藤井は無理に笑い頷いた。
「その魔女と上手くいったら、藤井さんは合コンに来なくていいから」
「ははっ、上手く、ねぇ」藤井はちょっと、途方に暮れていた。
「だからその代わり、若い衆を三人、」拂田はスリーピースを作って、前のめりに言う。「集めてよね、頼むよ、期待してるよ」
「ええ、もちろん、」藤井は襟を直して、頷く。「若い奴、三人、ちゃんと集めておきます、大丈夫です、任せて下さい、簡単なことですよ、ははっ」




