第二章②
アンナは薄目を開けて聞く。「……ここは?」
「協立病院のビップルームよ、」アンナが眠っているベッドの脇で椅子に座り雑誌を読んでいたスイコが笑顔を作り言う。「おはよう、悪夢は見なかったと思うんだけどな」
「え?」寝起きのアンナの脳ミソはスイコの言葉の意味を理解出来ない。アンナは上半身を起こしながら聞く。頭痛が痛い。「どういうこと?」
「そういう魔法を編んだってことよ、」額を押さえていたアンナの右手をスイコは掴み、そして引っ張って、彼女は何の脈絡もなく、唇を合わせてきた。スイコはそうやってアンナの体のことを確認する。そのための短いキスだった。「よかった、私があなたの心臓に編み込んだものは、問題ないわ」
「そう、」アンナは頷き、なぜか隣でスヤスヤ寝息を立てている冲方シキの頬を抓った。「こら、起きろ」
「みゅみゅみゅ、」シキは謎の反応を見せた。しかしまだ夢の中。「はふぅ、もぉ、ミャコちゃんってばぁ、……ヨウコ、お前はどっか行っとけ」
「……まだ仲良くなってないのかな、」アンナはシキと愛川ヨウコの人間関係が、比較的良好になっているものと期待していたが、どうやらスタジオに二人きりという空間はさらに二人の仲を悪くしてしまったようだ。「あ、スイコ、今、何時?」
「明方市は午後の二時よ、」スイコはずっとアンナの手を握っていた。「……でも、ちょっと、問題があるんだよな」
「え、何の話よ?」
スイコは大きく息を吐き言う。「今の君じゃ、レバーを倒せない、魔女モードにギアを繋げない、勇気が圧倒的に不足している、アンナの魔女モードを可能にしていた君の圧倒的な勇気はどこに行ったの?」
「だから何の話よ?」アンナは目を伏せて言う。
「分かってるでしょ?」スイコは両手でアンナの手を握りしめる。「昨日のことは、私だって予期せぬ事態だったけれど、考えないこともなかったこと、だから完全に私の油断だと言ってっていい」
「……スイコが助けてくれたんだよね、」アンナは目を伏せたまま、目を瞑った。「ありがとう、でもちょっと、苦しかったかな」
「パープゥを編むしかなかった、どうしたって教会の扉が開かなかったから、どうにかするためには密閉された空間に水を瞬間的に満たすパープゥという魔法を編まなくちゃいけなかった、そうしなきゃ君は死んでいたし、ギアも奪われていた、君を殺そうとした魔女はまだ生きている、壁をイレイザで破って逃げたわ、どこに行ったのかは、分からないけど」
「……『金魚の会』って何?」
「『ゴールド・フィッシュ・グループ』のことね、魔女から天使になることを目指した、大連を中心とした光の魔女たちの集団」
「魔女から天使?」
「天使というのはおそらくメタファで、」スイコはタブレットの上で指を動かしている。「より魔女としての高いステージを目指していた、ということよ、その集団に関しての細かなデータはないわ」
「天使になるために、」アンナは自分の左胸を触る。「スイコが私の心臓にくっつけたものが必要だっていうこと?」
「そうね、それをどうするかは分からないけど、とにかく、アンナは狙われてる」
心臓がビクッと震えた。
怖がっている自分。
情けなさ過ぎて恥ずかしい。
あの女に。
千場ミチコトに命乞いをした自分が恥ずかしい。
そして怖い。
死ぬことが怖い。
涙が溢れそう。
「……平気だわ、」声が震えてしまって言わなきゃよかったって思った。「平気、大丈夫、昨日はちょっと、本気じゃなかっただけ、油断していただけよ、次は負けない」
「強がりね、」スイコはアンナの手から手を離して立ち上がり、カーテンを開けて窓を触り、外の風景を見ていた。「昨日のアンナは本気だったし、油断もしていなかった、スズが全部、あなた達の会話を聞いていたのよ」
「弱ったな、」アンナは涙を拭いた。「スズちゃんの前では、強くて格好良くて素敵なアンナさんでいたかったのにな」
「大丈夫、」スイコはアンナに背を向けたまま言う。「私は君をあの魔女に殺させない」
「ずっと一緒にいてくれるの?」アンナは猫みたいな声で聞く。「悪魔なのに、優しいのね、ちょっとグッと来るな」
「そうね、私は悪魔だけど、淑女の嗜みは忘れていないわ、すなわち、一度関係を持った女の子の面倒をきちんと見るということ」
「誤解を招くような言い方は、やめてくれる?」アンナは笑う。
スイコは振り返り、アンナに微笑み返す。「大丈夫、ちょっと、急ぐから、大丈夫よ、アンナ」
「アンタに優しくされると、調子狂うな」
「あら、私はずっと、アンナには優しくしてきたつもりなんだけどな」
スイコの手がアンナの頭を撫でる。
スイコの手は温かくて。
アンナは凄く安心した。
心臓がスイコの手に反応している。
誰に対して、という訳じゃないんだけど、愛おしさが込み上げてくる。
センチメンタリズムが来る。
そのとき。
アンナの体の上で眠っていたシキが目を覚ました。
「おはよう、シキ」
シキはアンナの笑顔を見た途端、泣き始めた。「アンナぁ!」
「ちょっと、シキ、もっと、静かに鳴いてよ」
ギュッと抱き締めてくるシキの頭を撫で、宥めていると、メグミコとスズが現れた。
メグミコはビニール袋一杯のお菓子を持っていた。
スズは花を抱いている。
メグミコもアンナを見て、泣き始めた。「アンナぁ!」
メグミコもアンナを抱き締める。
「お嬢も泣き虫ね」
スズは花を抱いて、必死に涙を堪えている。そんなスズにアンナは言う。「ごめんね、スズちゃん、格好悪かったよね」
スズは首を横に振った。「そんなことありません、アンナさん、アンナさん、アンナさん、無事でよかったですぅ」
スズの目に溜まる涙が嬉しかった。
女の子たちの優しさが嬉しかった。
「スズちゃん、お願い、ちょっと、私のこと、温めてくれるかな?」
スズはアンナのことを抱き締めた。
女の子三人に抱き締められて、アンナは凄く安心した。
安心したけど。
でも。
心臓の奥に漂う恐怖にアンナは。
怯えている。
だからいつもより強く女の子たちのことを抱き締めている。




