第一章⑫
公衆電話を破壊してしまったスイコとスズとメグミコの三人は、裏路地を通り抜け、スズが聞いた猫のサークルを目指して、駅前にしては規模の多い緑地公園に足を踏み入れた。
スズは園内に入ったところで、立ち止まり、目を瞑り、一度耳を澄ませた。
「どう?」スイコは囁くように聞く。「聞こえる?」
スズははっと目を見開き、首を傾げ、スイコの方を見た。「……アンナさんの鳴き声?」
「アンナの鳴き声?」メグミコが反芻して首を傾げる。
「アンナの鳴き声?」スイコも反芻して首を傾げる。「えっと、どういうこと?」
「アンナさんが先に見つけたみたいです、」スズは耳を澄ますのを中断してスイコの手を引いた。「こっちです、こっち、教会の方です」
教会と言われ、確かに屋根の三角が緑の上にあるのをスイコは確認する。「ああ、教会なんてあるんだ」
「急がなきゃ、」メグミコはその場で一度跳躍してから、教会の方に走った。「今日こそアンナより先に見つけてやるんだからねっ」
三人は教会に向かった。曲線を描く主通路の脇の小道に入る。どうやらこの道が教会に繋がっているようだ。この街で育ったメグミコとスズは迷うことなく、緑のトンネルが出来たこの道を駆ける。メグミコが先にトンネルを抜け、振り返り言う。「おーい、早く、早くぅ!」
普段、どこに行くにも箒に乗る生活をしていたため、少女時代に比べ体力の低下は否めない。スイコは久しぶりに走って、息が切れていた。「これでもリレーの選手だったんだからねっ」
「なんの言い訳ですか?」同じ速度で走っているスズは全然平気な顔で言う。「リレーの選手?」
「うっさいわよぉ、」スイコはスズを睨み言う。「ああ、若いっていいなぁ」
道を抜けると、空が開けていた。すでに空は夕焼け。もう間もなく太陽が落ちる。色はメグミコの髪の毛の色に近かった。その色と、緑に囲まれ、教会は忽然と、という具合で存在していた。すでに教会の機能を失って久しいのだろう。教会としての大切な白さは、汚れてしまっていた。その手前にある噴水も、溜まった雨水で育った緑に巻かれ、白を汚している。噴水の中央に立つ天使の像は目元が溶け、さながら涙を流しているようだった。
「松本!?」メグミコが教会の方を見て、声を上げ、そちらに走っていった。
教会の少ない数の階段を上った、両開きの扉の前に、ロン毛の松本が倒れていた。スズとスイコも駆け寄った。
メグミコは彼に横にひざまずき、顔を覗き込んだ。「松本、どうしたの、大丈夫!?」
「お、お嬢?」松本は罰の悪そうな顔を見せた。「それに、スズさん、スイコさん、め、面目ないっす、すいません」
「誰にやられたの!?」メグミコは声のボリュームを大にし、拳を握りしめて聞く。「やられたらやり返す、それが村崎組のもっとう!」
メグミコの表情はワクワクを押さえきれない、という感じだった。
しかし、松本は口をつぐみ、なかなか答えない。
「松本、どうしたの、言いなさい、私たちが仇を取ってあげるから、それとも口止めされているの、そんなこと関係ないわ、私たちは特殊武装集団村崎組、法の外にいる集団、なんだって、出来るんだからっ!」
「メグ、」スズが小さな声で言う。「それはなんだか、ちょっと、違うと思うな」
「それで誰なの!?」メグミコは松本に噛みつかんばかりの勢いで言う。「誰なのよ!?」
松本はぎゅっと目を瞑り、答えた。「すいません、誰かにやられたとか、そういうんじゃなくて、その、アンナに、蹴られて、そのアイツのブーツ、硬いから」
「……あっそ、」メグミコはつまらなそうな顔をして立ち上がった。「……で、アンナはどこなの?」
「この中です、教会の中、」言って、松本はスイコの方を見て言う。「すいません、スイコさん、治癒魔法で、治してくれませんか? もしかしたら、折れてるかも」
「ごめんなさい、松本さん、」スイコは笑顔で返事をした。「私、男の人に治癒魔法は編みたくないんです、だって、ちょっと、治癒魔法って、猥褻でしょう?」
松本がちょっと猥褻なことを考えている表情をした。その表情は水の魔女のスイコをヒステリックにするのに十分だった。スイコは松本が押さえている左足を蹴り、松本の悲鳴を聞いてから、扉の方にいるメグミコとスズに近づいた。扉の引き手を引っ張るが、開かないようだ。
「どうしたの、開かないの?」スイコは聞く。
「鍵が掛かってるのかもしれません」スズが答える。
「それは変よ、」スイコは閉ざされた扉を見ながら言う。「だって、アンナはこの中に、」
そのときだった。
地面が揺れた。
教会が揺れている。
教会が揺れ、屋根の下の銅の鐘が、音を響かせた。
緑の中に隠れていた鳥たちが翼を広げ、空に逃げる。
地震ではない。
この揺れは、アンナが魔女になるときの、過度な立て揺れ。
しかし、なぜ?
アンナが魔女モードになる必要が思い当たらない。
ただ、黒猫を捕まえるだけだ。
そのことに、炎はいらない。
スイコの心臓が高鳴る。
恐怖が心臓に来る。
この恐怖の理由はなんだろう?
分からない。
……いや。
似ている。
失ったときの恐怖に似ている。
それが悲しみを引っ張って来て、目元が熱くなる。
中で、一体、何が?
鐘が鳴る。
鐘とはなんと、不協和音なことだろう。
スイコは扉を開けようとした。
開かない。
開かない扉の前で、スイコはちょっと、涙ぐんでいる。




