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第一章⑪

 メグミコとスズとスイコ、藤井と辻野、松本とアンナという組み合わせで明方の街、市長の娘の黒猫のピカソを探すことになった。

「これで、何度目だ?」ロン毛の松本は聞く。「市長の娘さんの黒猫がいなくなったのは?」

「昨シーズンから数えて三十六度目よ、」アンナはふと気付き、それを言葉にした。「あ、人間の体温に近いね」

「もう一回で微熱だな、」松本は自分で言って、自分で笑っている。「三十七度」

「あ?」アンナは松本を睨みつけた。「つまんないこと言うんじゃないわよ」

「え、お前が言ったんだろ?」松本は理不尽な顔で言う。「人間の体温に近いって」

「アンナ様と呼びなさいよ、」アンナは松本の頭を叩いた。「新入り、っていうか、髪切れよ、髪、鬱陶しいんだよ、女子かよっ」

 松本はまだ村崎組に就職して日が浅い。防衛大学出身の秀才で、基本的なことはそつなくこなし、難しいことも難しくない顔でこなす、比較的ポテンシャルが高い新入りだった。そしてまだ本当に釈然としない悪に遭遇したことがないからきっと、調子に乗っている。五年目のアンナにタメ口を聞くほど、調子に乗っているのだ。女子高生のアンナのことを舐めている。松本はまだアンナの魔女モードを見たことだないから舐めている。松本はシャンプの香りのする、さらさらの髪の毛に手を入れて得意顔で言う。「こんなに綺麗なんだぜ、切れるわけないだろ」

「女子かよっ、」アンナは吐き捨てるように言った。「スキンヘッドにしろよっ」

 二人は明方市駅の北側に位置する産業会館の向かいの公園内にある教会に向かって歩いていた。そこに猫のサークル、コミュニティ、溜まり場、そう呼ぶのに相応しいところがある。市長の娘の弥城マアヤの黒猫のピカソは過去四度、教会のその溜まり場で見つかっていた。藤井と辻野は他の猫の溜まり場に向かっている。マアヤがわざとピカソを家の外に出して、行方不明にするため、村崎組の人間は明方市における猫の溜まり場についてとても詳しくなった。マアヤがそんなことをする理由は、まあ、なんとなく、アンナは分かっている。「あーあ、三十五度も同じことをして、一体何がしたんだか」

 一応、最初は本当に、ピカソは家から逃げ出したんだ。

 園内に入り、教会を目指した。教会の三角の屋根だけは、正面に広がる深く濃い緑の上から見えている。教会に繋がる小道に入る。教会の方を示す看板は雑草の中に落ちている。その看板が意味するように、教会を管理する人間はすでに誰もいなかった。オブジェ、モニュメントとしての機能も微妙。ミノリ・ミュージアムと同じように雅な全盛は、遙か彼方、という感じ。

 緑の屋根に覆われた小道を抜けると、空が開き、教会の全貌が見える。シンメトリィの建築。屋根の下には鐘。ゴールドの色素を失った、銅の色の鐘。外壁の白はくすみ、剥がれ落ちている黒い箇所が目立つ。異様な雰囲気。世界がここだけ違うみたい。いつの間にか、世界の境界を越えて、ここまで来た、なんて思う。手前には円形の噴水。その中心では翼を失った天使の石像が、足下から植物の蔦に絡みつかれ、泣いている。

 その噴水の横を通り、教会の入り口に向かう。

 少ない段数の階段を上がり、両開きの扉の前に立つ。

「静かに開けるのよ、」アンナは松本に言う。「猫がエスケープしちゃうからね」

「俺が開けるの?」松本の横顔は少し、強ばっている。松本はここに来るのは初めてだ。

「なぁに、ビビってんの?」アンナはニヤニヤしながら言う。「超、男らしくないよ」

「ビビってなんてねーし」松本はロン毛に手を入れながら強がる。

「女の子に開けさせる気?」アンナはニヤニヤしながら言う。「超、男らしくないんだけど」

「からかうんじゃねぇよ、」松本はアンナを睨みながら、扉の引き手を掴み、引いた。「あれ、おかしいな、壊れてんのか? 動かねぇぞ、ああ、そうだ、鍵が」

「鍵は掛かってないよ、もっと力を入れなきゃ、古い建物なんだから、」アンナは素晴らしいアドバイスを送る。「歪んでしまっているのは、常識でしょ?」

 松本はアンナのアドバイスに従って、力を入れた。アンナの経験上、それなりの力を入れないと開かない。松本は顔を真っ赤にして、扉を引いているが、動かない。松本は大きく呼吸をしながら引き手から手を離した。「……いや、やっぱり鍵が掛かっているはずだ」

「ちょっと、どいて、」アンナは松本を横にどかして、引き手を掴み、力を入れて引いた。短く、鋭い摩擦音が響く。隙間が出来た。アンナはニヤニヤしながら松本に言う。「全く、お前、女子高生かよ」

 松本はポカンとした表情でアンナを見つめ言う。「……お前、女子高生かよ」

 アンナは無言で松本の足を蹴った。ちゃんとドゥービュレイ製のブーツに履き替えているから、威力はきっと、凄まじい。

 松本は苦悶の表情で、膝から地面に崩れ落ちた。「ちょ、いてぇ」

「全く男らしくないなぁ、」アンナは松本を見下して言う。「お前、ここで待ってろ」

「くそぅ、いてぇよぉ」

 松本の涙声を背中に、アンナは教会の中に入った。

 深閑とした空間。

 光が扉の隙間から僅かにその空間に存在するものに、輪郭を与えている。

 アンナはペンライトで空間の中を照らした。

 教会の奥。

 十字架の下の祭壇を照らした。

 沢山の猫が、蠢いていて、ライトの光を反射する瞳で、こっちを見ている。

 一匹の猫が鳴き声を上げる。

 すると、他の猫も鳴き声を上げ始めた。

 合唱か。

 その光景は不気味だ。

 この光景の意思は、アンナに対する拒絶に他ならない。

 魔女になり、猫の気持ちが少し分かるようになったアンナには、可愛い猫ちゃんたちに拒絶されることは辛いこと。

 でも。

 嫌われること覚悟で猫たちに近づかなきゃ、仕事が終わらない。

 ピカソを見つけださなきゃ、今日が終わらない気がする。

「みゃあ!」アンナは猫たちに威嚇して、黙らせた。

 そして猫たちに近づいていく。

 猫たちはじーっと、アンナを見ている。

 ブーツの底は絨毯に吸収されて、音を立てない。

 あと、三歩、という距離で臆病な三毛猫が一匹逃げた。

 あと、二歩、という距離でも、まだ逃げない猫が多くいた。

 あと、一歩、という距離で、多くの猫が逃げて、小さな頃から裕福に育てられた黒猫のピカソは祭壇の上で、欠伸をしている。首の鈴が凛と静かに音を立てる。その大きな金色の鈴と、額のソフトクリームみたいなつむじがピカソの特徴だ。

「よぉし、ピカソ、いい子だね、」アンナはニッコリとスマイルを作って片手を広げた。「こっちにおいで」

 ピカソは立ち上がり、アンナの肩に飛び乗った。

「よぉし、いい子」アンナはそのままピカソを抱きしめようとした。

 しかしアンナの手から、ピカソはするりと逃げた。

 アンナの背中の方、教会の出入り口の方にピカソは跳躍した。

「あ、こらっ、待ちなさいっ」

 慌ててライトをそちらに向ける。

 ピカソは赤い絨毯をゆっくりと走る。

 アンナは追いかける。

 するとピカソの進行方向に、人影が見えた。

「松本、捕まえて!」アンナは声を上げる。

 すぐにその人影が松本じゃないことに気付く。

「!?」

 誰?

 その人影はピカソを抱き上げ、頭を撫でた。

 そしてニッコリと微笑む。

 女性だ。

 魔女か?

 黒いローブで頭をすっぽりと隠している。魔法を反射する、シキのローブみたいな、黒いローブで頭を隠している。

 ローブから、金色に輝く髪の毛が見えた。

 光の魔女だ。

 凄まじい、煌めき。

 アンナのペンライトの必要は、すでにない。

 直感的に、ヤバイと思った。

 ガトリングガンは今、持ってない。

 持ってきてない。

 いや、持ってきたとしても、錆び付いていて、回らないから意味はない。

 ああ、どうして?

 アンナは自問する。

 どうして、こんなに焦っているんだろうって。

 どうして?

「見つけたわ、」光の魔女は頭を覆っていたローブを降ろし、アンナに顔を見せて言う。「女の子の歯車」


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