第一章⑩
スイコは、明方の街を歩きながら、アンリエッタ・キュベレのことを思い出していた。
記憶にある。
確かに記憶にある。
彼女と過ごした、水上市での、出来事。
ウォッシング・マシン・ガールズと呼ばれていた、あの日々。
淡い世界を、変えようとした。
世界の成り立ちの小さなことに気付いた、私たちは。
水上市、という小さな世界を変えようとしたのだ。
しかし、それは、まだ小さかった四人には、難解過ぎることだった。
私は大事な心を失った。
私は仮初の世界になおも、包まれながら、仮初の心で失うことを恐れている。
黒い心で。
一度世界に示した、一筋の軌跡を失うことを恐れている。
トロイメライ。
それは方法。
そして私たちが。
煌めきだ。
私たちが生きた証。
その心は、もう止まらない心とリンクして。
その勇気と連結して。
水上市、という。
この世界という、巨大なステージの姿を変えるだろう。
これは自分を見失い、弱音も吐かずに、それだけを描いてきた私の復讐。
ええ、復習なのよね。
もう一度。
もう一度、絶対。
そのためには、あと。
三つのギアを。
「師匠、」隣を歩くメグミコがスイコの顔を覗き込み言う。「どうしたの、ぼぅっとして」
「どうもしてないわよ、」スイコはメグミコにニッコリ微笑み、スズに言う。「さて、スズ、猫の泣き声は聞こえた?」
「うーん、」耳を澄まして、明方市駅周辺の音を拾っているスズは難しい顔をスイコに向けて首を傾げる。「向こう、かな、向こうで、凄く多くの猫が鳴いているような気がします」
スズは南の方を指差し言う。一般的に風の魔女は耳がよく、集中することで普通の人間が聞こえない音を拾うことが出来る。
「向こうは、公園の方だね、市長の邸にも近い、猫のサークルでもあるのかしら、うん、スズが見つけたのはそことして、さて、次はお嬢の番」
「えー、私もやるの?」メグミコは唇を尖らせる。「せっかくスズが怪しい場所を見つけたのに?」
「魔導書を開いても構いから、」スイコはランドセルから魔導書とL字型の針金を取り出した。何でも入る魔具、ランドセルをスイコはいつも背負っている。「やってみなさい、これはお嬢が素晴らしい魔女になるためのトライアル」
「分かったよ、」メグミコはしぶしぶ頷き、魔導書を片手に、L字型の針金を片手に、紫色の髪の毛を煌めかせた。「キャット・デテクタ」
メグミコの紫色の煌めきを見て、通行人が慌てて三人から距離を置いた。
ここは明方市駅のロータリに向かうメインストリート。
世界に残った僅かな電話ボックスの横だ。
魔導書はメグミコの煌めきに連動し、ひとりでに開き、ページが捲られていく。
ページが途中に達したところで、キャット・デテクタの記述はそこのページで終わっている、魔導書は閉じられた。
メグミコの煌めきが、より綺麗になる。
そして。
ボンっ。
と音がした。
電話ボックスの方からだ。
公衆電話は無残な姿になっていた。
「えへへへっ、」メグミコはスイコに笑いながら言う。「失敗、失敗」
「……お嬢に探知魔法はまだ、早かったみたいねぇ、」スイコは歩き出しながら言う。「とにかく、さ、二人とも、逃げるのよ、逃避、すなわちこれもトライアル」




