表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/16

ミュゲの日

 ある穏やかな午後に、海外で暮らす母親から贈り物が届いた。

 いつもは事前に連絡が入るため、何の連絡もなしに届けられたことに彩は首を傾げた。

 先程、宅急便の人から受け取ったのは、白く小さな可愛らしい花、すずらんをメインとした花籠だった。

 リビングルームのテーブルの上にすずらんの花籠をを置くと、ふわりと甘い香りがあたりに漂う。少しだけすずらんを眺めたあと、彩は花籠の贈り主へ電話をかけた。


「あ、お母さん?」

『彩? 久しぶりね。どうしたの?』

「久しぶり。さっき花籠届いたよ。ありがとう」

『ああ、すずらんね? 本当は去年贈ってあげたかったんだけど、間に合わなかったのよ。彩なら、知っているでしょう?』


 ――今日が何の日なのか。

 母親が、今日、五月一日のことを指して言ったことはすぐに判った。


「すずらんの日……」


 彩はぽつりと呟いた。


『そう。だから贈ったのよ』


 すずらんの日。別名はミュゲの日とも言う。

 フランスでは、五月一日に家族や友人など、愛する人や大切な人にすずらんを贈る習慣がある。すずらんは、フランスでは春を象徴する花で、五月になると可愛らしい鈴のような白い小さな花を咲かせる。「幸せの再来」という花言葉をもつすずらんを贈られた人は、幸せが訪れると言われているのだ。中でも十三個の花をつけたすずらんをもらった人は、特に幸せになれるという話がある。


『彩が選ぶ未来にとやかく言うつもりはないけれど、それでも私は、あなたの幸せを願っているのよ?』


 母親の言葉に、彩は何も言えなくなる。薄々感じてはいたけれど、やはり心配をかけてしまっていた。


『一人で生きていこうとしていたでしょう? だから、去年の春に大切な人ができたと聞いた時は安心したのよ?』


 本当、母親には敵わない。本気でそう思っていたわけではないが、心のどこかでは一人で生きていこうとしていたこともあった。それを誰かに話したことはないが、母親はなんとなく察していたのだろう。


『暗い話になっちゃったわね。久しぶりに彩の声が聞けてよかったわ』

「私もだよ。お花、ありがとね。大切にする」

『どういたしまして。たまには拓人君と二人でこっちに来てね』

「都合がよかったらね」

『楽しみにしているわ。じゃあ、また』

「うん、またね」


 母親との電話を終えた彩は、すずらんの香りが漂うリビングルームで本を読んでいた。

 本の世界に入ってしばらくすると、打ち合わせを終えた拓人が帰ってきた。


「ただいま」

「おかえり」

「その花、どうしたの?」

「これ? お母さんから送られてきたの」

「あぁ、すずらんの日だね?」


 拓人は、ふわりと優しい笑みを浮かべて言う。


「やっぱり、知ってた?」

「詳しくは知らないけどね」


 彩の言葉に、少しだけ苦い笑みを浮かべて答える。拓人は彩の隣に腰を下ろし、すずらんの花籠を見る。そして、穏やかな声で呟いた。


「いいお母さんだね」

「そうだね。ずっと、心配かけてたみたいだし……」

「電話、したんだ?」

「お礼を言うためにね。そうしたら、今は幸せそうでよかったって、嬉しそうに笑ってた」


 電話での会話を思い出した彩は、ふっと視線を落とした。

 それを見た拓人は、おもむろに立ち上がり口を開いた。


「紅茶、飲む?」

「うん。帰ってきたばかりなのに、ごめんね」

「いいって。少し待ってて?」


 申し訳なさそうに言うのを笑顔で返すと、キッチンへ向かう。そして、冷蔵庫から牛乳を取り出すと、ミルクティーを作った。

 二つのティーカップにミルクティーを注ぐと、拓人は彩のいるリビングルームに戻った。


「ミルクティーにしたけど、大丈夫?」

「うん、ありがと」


 拓人からカップを受けとると、彩は「いただきます」と小さく呟き、ミルクティーを口に含んだ。

 ほどよい甘さと温かさに、思わずほっと息を吐く。


「おいしい」

「それはよかった」


 彩の隣で同じようにミルクティーを飲んでいた拓人が、柔らかな笑みを浮かべて言った。

 二人の間に沈黙が落ちる。

 少しして、彩がおそるおそる口を開いた。


「……あのさ、少し長くなるんだけど、聞いてくれる?」

「いいよ」


 優しい声で頷くと、「ありがとう」と返事がある。そして、彩はゆっくりと言葉を紡いだ。


「電話でね、お母さんに『一人で生きていこうとしていたでしょう?』って言われた時、何も言えなかったんだ。拓人に会うまでは、本当にそうしようかなって、そう思うこともあったから、否定できなかったの……」


 拓人は静かに彩の話を聞いていた。


「高校生になってから、できるだけ目立たないようにしようにしてた。だから、私の頭がいいことを知っている人もそんなに多くはなかったと思う。でも、私のことを知る人達がよく利用しようとしてきて、大変だった。他にも、妬まれることはあるし……一番辛かったのは、憧れの目を向けられた時だったな……」


 昔のことを語る彩の声は、心なしか震えていた。

 拓人は、付き合い始めてしばらくしたころ、一度だけ彩に尋ねたことがあった。何故、遥琉の喫茶店で店員をしていたのかを。彩ならば、会社員としてもやっていけたと思っていたから、思い切って聞いてみたのだった。

 その時のことは、今でも覚えている。忘れることなどできない。それほど、彩の過去は哀しいものだった。

 彩が遥琉の喫茶店を見付けたのは、彼女が大学生の時だった。ちょうど人間関係につかれていた彩は、店内の落ちついた雰囲気に惹かれた。彩が常連客になるのはすぐのことだった。それから少しして、普段は穏やかだが人の内面には結構鋭いところのある遥琉が、彩の孤独を見抜いてしまった。心の内を見抜かれた彩は、次第に遥琉と親しくなっていった。そうして彩は、喫茶店の店員として働くことを決め、大学卒業と同時に働きだしたのだった。

 この話を聞いた時、拓人は言葉を発することができなかった。ただただ、彩を抱きしめて、言葉にできない気持ちを伝えたのだった。

 長い話をしながらふと横に座る拓人の様子を窺うと、何も言わずにティーカップを見つめていた。その表情は、彩が過去の話をする度によく見かける、静かに哀しみを抱えた者だった。


「拓人……」


 また拓人を哀しませてしまった。本当は、そんな顔をさせたくないのに。

 彩が名前を呼ぶと、拓人はティーカップから目を離して彩を見る。


「今は、幸せなんだよ。拓人がいてくれるから。だから、そんな顔しないで?」

「彩……。うん、そうだね」

「話、聞いてくれてありがとう」

「どういたしまして。……すっかり夕飯の時間になっちゃったね。今日は僕が作るから、彩はまだゆっくり休んでなよ」

「えっ? 拓人、仕事あったのに……」


 これ以上、甘やかしてもらうわけにもいかないと思っていた。それに、拓人は仕事から戻ったばかりで、彩が夕飯を作るつもりでいたのだ。だから、拓人の言葉に躊躇いをみせた。


「いいって」

「でも……」

「たまには甘えてよ。ね?」

「……判った。じゃあ、お願いするね?」

「うん。すぐ作るから」


 空になったティーカップを持って、夕食を作るためにキッチンへ向かった拓人を見送る。姿が見えなくなると、彩はテーブルの上に飾ったすずらんの花籠を見て微笑んだ。


 ――お母さん、私は今、とても幸せだよ。



Fin.




…ひとやすみ…

 この話はリア友から「すずらん」というリクエストを受けて執筆しました。

 すずらんについて調べてみると、なんとすずらんの日というものがあることを知りました。そして、その意味について知った時、パラレルわーるど。シリーズの彩が浮かんできました。

 今回、思いついたシーンからプロットを起こしていってみました(笑) 最初に頭に浮かんできたのは、彩と彩の母親の電話のシーンです。そこから思いついた順にノートに書いていき、最後にまとめました。日常が忙しく、完成までに時間がかかってしまいましたが、趣味である執筆はやっぱり楽しかったです。

 今後もひっそりと執筆していくと思うので、よろしくお願いします。



本館掲載:H27 9/15

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ