地上をさ迷ったジャックは
ハロウィン。
それは十月の最終日、三十一日に行われる伝統行事。
昔は秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す行事だったが、現代ではすっかり宗教的な意味合いが薄れてしまった。
近年では日本にも定着しつつあって、十月になると街にハロウィンらしい飾りがちらほらと目につき始める。そして当日になると、あちこちでイベントが開催され、仮装した人々が街を賑わせる。
この日、彩は喫茶店での仕事の休みをもらっていた。
彩が拓人と恋人になって約一年半、同棲してからは一年くらいが経っている。昨年は喫茶店でハロウィンを過ごしたが、今年は二人家の中で過ごしたいと思った彩は、店のオーナーである遥琉に頼み休みをとった。
普段なら自室か家の図書館兼書斎にこもって仕事をする拓人も、彩の気持ちを汲んでかリビングにノートパソコンを持ってきて作業をしていた。一方で彩は、すぐ隣のダイニングキッチンでお菓子を作っていた。たまに空いた時間にリビングに来たり、拓人とお茶をしたりして、午前中から穏やかな時間を過ごしていた。
夕方になると拓人はノートパソコンを片付け、彩と共にリビングの飾りつけを始めた。短時間でハロウィンらしくリビングを飾ると、今度は二人で夕飯の支度をした。
そして料理を作り終えると、二人はいつものようにダイニングで夕飯を食べた。
手早く片付けを済ませると、拓人はリビングの照明を軽く落とし、先程飾った黒猫やお化けの形をしたランプの明かりをつけた。拓人がリビングの準備をしている時、彩は午前中から作っていたパンプキンタルトを切り分け、紅茶を淹れていた。
夜のお茶会の準備が整うと、彩と拓人はリビングのソファーに並んで腰かけた。
部屋が温かなオレンジ色に包まれて、穏やかな時間が流れる。
「そういえば、今年はランタン飾らないんだね」
紅茶を一口含んだ後、拓人がぽつりと呟いた。
部屋にはハロウィンらしい飾りがいくつも置いてあるが、よく見てみるとかぼちゃのお化け――ジャック・オ・ランタンの姿がなかった。
「うん。去年、『いらない』って言っちゃったしね」
彩は、去年のハロウィンのことを思い出していた。
昨年のハロウィンは、彩の仕事先であり拓人がよく訪れる喫茶店で夜を過ごした。そこの喫茶店のオーナーである遥琉と二人は仲が良く、たまに三人でお茶をしていることもあった。
夜、店を閉めたあと、二人は遥琉の片付けを手伝っていた。その時に、ジャック・オ・ランタンの話になったのだ。
きっかけは、遥琉がかぼちゃのランタンを彩にあげると言ったことだった。彩はその言葉に、ジャック・オ・ランタンは必要ないと、自分には心を休めることができる場所が見付かったのだと、そう答えたのだ。
「一年なんて、あっという間だね」
ぽつりと言葉を零した彩は、ゆっくり紅茶を飲んだ。
今年もそうだが、去年のハロウィンも幸せだった。
「去年のこの日、幸せだったんだよ」
嬉しそうな声でそう告げる。
隣で幸せそうに笑う彩を見て、拓人も去年のハロウィンのことを思い出す。
「確かに、幸せそうにしてたね」
それを見て、拓人はすごく安心したことを覚えている。
昔、拓人に出会う前、彩は自分をジャックと重ねていた時期があった。そのことを、拓人は昨年のハロウィンで知った。
悪戯がすぎるあまり天国の門からはじき出されてしまったジャックは、地獄に落ちることもできなかった。そうして行き場を失ったジャックは、地獄の人からもらったかぼちゃのランタン一つで、地上をさ迷うことになったという。
周りから天才児として扱われてきた彩は、今まで何度も辛い目にあってきた。そのことで、簡単に他人に心を開かなくなった。自分の心を守るために、本当の自分を見せないようにして生活してきた。そのため、誰かと話をして笑っていても、それがつくり笑いであることが多かった。そうしてみんなと一緒にいても、心だけは独りでいるようになった。
彩は、そんな状態の自分を見て、ジャックに似ていると思った。誰の心にも居場所のない自分は、地上をさ迷うことになったジャックと一緒だと。
けれど、それを変えてくれたのが、今の恋人である拓人だった。
彩が天才と言われる要因の一つを目の当たりにしても、拓人はそれを妬んだりそれを利用しようとしたりしようとしなかった。そして、憧れもしなかった。それは、彩にとって一番の救いだった。
利用されることも妬まれることも辛い。けれど、一番辛かったのは「憧れ」の眼差しだった。憧れは、人との距離を遠く感じさせる。別世界の人のように扱われるのが、本当に苦しかった。
そういった、今まで感じてきたことの話を聞いた拓人は、そっと彩を抱きしめたのだった。
そして、「今までよく頑張ってきたね」と声をかけてくれた。
その言葉に、彩は救われた。その日から、彩は少しずつではあったが、拓人に心を開くようになった。今では、完全に心を許している。
そうして、彩の永い旅は終わりを迎えた。
ジャックにとっての安寧の地――彩にとっての居場所を、とうとう見付けたのだった。
それは、恋人である拓人の隣という、彩が一番安心できる場所だった。
だから、去年のハロウィンで告げたのだ。『ランタンは、もういらない』と。
「私にとって心が安らぐところは、拓人の隣だから。そこが、私の『安寧の地』なの」
「そっか」
彩の言葉を受けて、拓人は優しく笑った。
「ハッピーハロウィン」
突然彩が明るい声を上げたため、拓人は一瞬だけ目を丸くした。
「さ、パンプキンタルト食べよう?」
去年のハロウィンを思い返して話をしていたため、まだ手を付けられていなかったパンプキンタルトにフォークを差し入れて言う。拓人もそれに倣って、彩が作ったパンプキンタルトを口にする。
「どう?」
すると、彩が感想を聞いてきた。
「おいしいよ」
「ありがとう」
拓人の答えを聞くと、彩はほっと安心したように息を吐いて、嬉しそうに笑った。
そうして、いつもと同じ穏やかで、けれどどこか特別な夜が過ぎていった。
ランタン一つで暗い地上をさ迷う永い旅。自分をジャックに重ねた彩は、無事に『安寧の地』を見付けることができた。それは、恋人の隣という、優しくて温かい場所。そうして、彩の心の旅は終わりを告げた。
Fin.
…ひとやすみ…
去年、「それは地上をさ迷うジャックのように」というタイトルが降ってきてハロウィンの話を書きました。去年書いた時点で、彩の心の旅は終わっていたので、続きなんてないかなと思っていたら、何故か話が降ってきました。おまけで「地上をさ迷ったジャックは」というタイトルも(笑)本当は「安寧の地を見付けたジャックは」というタイトルも思いついたのですが、前者の方が去年の話につながっているような気がしたのでそちらにさせていただきました。
今年のハロウィンの話は、昨年喫茶店で過ごしたハロウィンの夜と、彩の過去を少し織り交ぜた話になりました。地の文が多くなりすぎないよう、会話も入れるように心がけましたが、やっぱり地の文が多くなってしまいました。これでもプロットより増しになっているので、個人的にOKということにしたいです(笑)そして、パンプキンタルト。出番がなくて、最後に無理やり入れてしまいました。反省。
最近課題が多くて忙しい毎日を送るようになってきました。それでも、長く続いたこの趣味はやめたくないので、たまにちょくちょく更新していきたいと思っています。
本館掲載:H26 10/31