第五話
この国でおれ……いや、わたし『セシリア・デ・クラリス』の名を知る者は少ない。
一般市民なのだから当然と言えば当然なんだけど、わたしのそれは、一般市民のそれ以上。
なぜかって?
それはあの日。
わたしがまだ普通の女の子だった頃。
あの秘密ができた日にさかのぼる……
12年前のあの日。
わたしは、なぜか国王陛下と仲のよかった父に連れられて、生まれて初めて王宮という所にやってきていた。
「久しぶりだな、アル。変わりはないか?」
「はい、国王陛下もお元気そうでなによりでございます」
「おいおい、よしてくれ。友人であるお前まで、そんな喋り方をするのか?」
「ルカ……おれとお前はいつから友人になったんだ?」
一瞬、それまでの和やかな応接室の空気が張り詰めた。
控えていた騎士団は、父の無礼な態度にいつでも剣を抜く準備をしているようだった。
「「はははっっ」」
が、当の二人は何がおかしいのか笑い転げている。
わたしには何がおかしいのか、さっぱり分からなかったが、どうやら二人はお互いを名前で呼び合うほどの仲らしい、ということは分かった。
それからしばらく二人で談笑していたが、陛下がふと、父の後ろでこそこそしていたわたしに声をかけてきた。
「ところで、そちらのおちびさんは?」
「あぁ、おいでセツ。一応やつは国王陛下だからな、きちんと挨拶しとけ」
「おいおい……」
とても緊張していたわたしは『はじめまして……』と、父の後ろから少し顔を出してそれを言うのが精一杯。
「はじめまして、セツ。ねぇどうだろう、うちの子の遊び相手になってやってくれないかな。同年代の男の子がまわりにいなくてね……」
ふわりと穏やかに笑う陛下に、思わずコクコクとうなずいてしまった。
…ん?!
ちょっと待って!! さっき陛下は『男の子』って言ってなかった?
父や友人が『セシリア』は長くて面倒だからと『セツ』という男の子のような名前で呼ぶので、名前だけ聞いた人には、よく男の子と勘違いされていた。
髪も短いし、格好も男の子のようだけど(仕方なかったんだ。王宮に着ていくようなちゃんとした服が、男物しかなかったんだから)
目の前にいるのに男の子に間違われるなんて……なんかショックだ。
「あの……」
「ありがとう、きっとあの子も喜ぶよ。じゃぁそう言う事で。せっかく来てもらったのに申し訳ないんだが、今から会議でね。アルもゆっくりしていってくれ」
『わたしはおとこのこじゃありません』
と言おうとしたのに、陛下はそれだけ言うと足早に執務室から去ってしまった。
呆然と立ちすくむ父と息子(いやいや娘だって)
「まいったなぁ」
父がぼそりと、こうつぶやくのも無理はない。
陛下の息子、この国の王子はただ一人 。
王妃は王子を産んですぐ亡くなり、陛下が後妻をとることはなかった。
唯一の後継者であるグレン王子は、それ故によく命を狙われ、周囲はいつも護衛で固められているという。
それこそ周りは大人ばかりで、同年代の友人など皆無に等しい。
おまけに、列国や貴族の令嬢が王子に取り入るのを防ぐため、王子に女性が近づくことは禁止
という、暗黙の了解まであったのだ。
わたしが王子の友人になるのは、ちょっとまずいんじゃないだろうか……
と、今なら思えるのだが。
当時のわたしは、男の子に間違えられたものの友人が増えるのが嬉しくてしかたなかった。
しばらくすると、立ちすくむ親子のところに騎士団の隊士がやってきた。
「セツ殿、王子の所へご案内致します」
わたしはちらりと父のほうに目をやり『いってもいい?』と目で訴えた。
「まぁ、一日ぐらい大丈夫だろう……行っておいで」
「はい!! いってまいります」
何が大丈夫なのかよくわからずに、わたしは笑顔で駆け出した。
これからどんな出逢いが待ち受けているかもわからずに……