第三十二話
店のあった山のふもとから街の中心部まで、セツは必死になって色んな女性に声をかけてくれていた。
「グレン団長の思い人」が自分だんて、きっと思いもしていないのだろう。
意識されていないことに落ち込みながら、そして頑張ってくれているセツに申し訳なく思いながら、おれは嬉しい気持ちを押し殺すことができないでいた。
セツとこうして二人だけで過ごすのは数週間ぶりだった。セシリアとしての彼女とは初めてだ。
にやけた顔をしていた自信がある。
セシリアの格好をしている時も男物しか見たことがなかったので、今日の礼にと女物の服を一式プレゼントすることにした。
ああ、これは……
セツの休暇に騎士団の見回りと称して街に出て、セシリアとして過ごしているセツを遠くからたまに眺めていたから知っているのだが……こんな変質者のような行為は口が裂けても言えない。
自分でもどうかしていると自覚しているので許して欲しい。
とにかく。
今だけは、セツを騙す様なことをしていることも、政略結婚のことも、すべて忘れてただのグレンとセシリアとして、楽しく過ごしたかったのだ。
試着室から出てきたセツを見て、おれはしばらく固まっていた。
女物の服を着てうっすらと化粧を施したセツは、本当に綺麗で……
うまい賛辞が出てこなくてがっかりさせてしまったかもしれない。
セツは服を「いらない」と突っ返してきたが、その主張は受け入れず、無理矢理着せてそのまま店を出た。
それが失敗だと気付いたのは、店を出て街の中央へ出てきてからだ。
沢山の人がセツを見て振り返る。女性からは感嘆の声がもれ、男性陣は顔を赤らめて見惚れていた。
セツには自覚がないようで、何か勘違いしている。
今度こそ女性が喜びそうな褒め言葉を言わなくては。と思っていたのだが、言い淀んでいるとセツは「何?」と顔を近づけて覗き込んでくる。
背丈があまり変わらないので、顔が近い!!
そんなことで顔を赤らめている自分が恥ずかしくて、もう誰にもこんなセツを見せたくなくて、裏道へと逃げ込んだ。
そうそう、騎士団内では、ヴァンが街で金髪の美女とよろしくやっている。というのは有名な話で、「金髪の美女=セツ隊長」だと気付くものはいなかったが、おれは気が気ではなかった。
ヴァンは、セツが女だと知っている。
それをセツが知っているのかどうかは分からない。怖くて聞いたことがない。
どちらにしても、街で見かけるヴァンとセシリアは楽しそうだった。
クロエではなくヴァンのために今は騎士団にいるのだろうか?と考えたのも一度ではない。
どしても確認したくて、思い切って聞いてみたが、それは違ったらしい。
「違う!! わたしはっっ」
その続きに自分以外の誰かの名を聞きたくなくて、曖昧に微笑んだ。
うまく笑えているだろうか。
セツはそれ以上何も言わなかったのでほっとしていると、話題は思い人の話になってしまった。
「ところで、今探してる女性とはどこで出会ったの?」
「?!」
この動揺がばれていないことを祈る。
「話しかけたことはないんでしょう?」
「まあ……そうだな」
街で見かける『セシリア』に話しかけたことはない。
「じゃあ見かけたのはどこ?」
「……」
「グレン?」
しばらく黙っていたが、セツがしつこく質問攻めにしてきたので、ようやく重い口を開いた。
「王宮だ、王宮」
嘘は言ってないぞ、嘘は。
「やっぱり?!」
「?!」
ばれたのかと思って一瞬おののいたが、咳払いをしてすぐに体制を整える。
「やっぱりって何だ、やっぱりって」
「実はわたしの友人にそれらしき人がいるんだ。王宮にも出入りしてるし、多分間違いないと思う」
東国の姫君の次は、セツの友人?
そいつとおれが結婚しても、セツはなんとも思ってくれないのだな……
もう少しでそんな自分勝手な言葉が出そうになった。
押し黙っているとセツも気まずそうに顔をうつむかせる。
こんな顔をさせるために、今日は付き合ってもらったわけではないのに。
いつか笑い話にできればいいなと。
少しでも喜んだ顔が見れればいいなと。
ただそれだけだったのに……
一瞬の静寂を破ったのは、遠くで飛び交う異様な人々の声だった。