よんわ。
………。
はっきり言おう。可愛かった。くらっときた。
だってそうだろう?無表情だけれど可愛らしい少女が胸の前で両手を組んで、縋るように潤んだ上目遣いでお願いされればくる!くらっとくる!!
が、しかし。
「……血?」
そのお願いの内容は物騒だった。
血?血って血液か?血液?誰の?俺の?え?何で。何に使うの。
「どばっとほしいわけじゃないよ?ちょっとでいいの。ちょっと。えーと、これくらい」
どんっと目の前に置かれたのはコップ。俺の手のひらにはちょっと小さい、カノンの手のひらには丁度。そんな大きさのコップ。
…十分多いだろう?これ。
「あ、別にナイフで切れってわけじゃなくて、注射器あるから、それで吸い取らせて?」
「問題はそれじゃない」
いやいや、それも問題だけれどもだ。まず教えてくれ。こんな大量の血がどうして必要なのか。生贄の儀式とかああいうのか?何か願いが叶う系なのか?いやだな、そんな願いの叶え方。っていうか、そんなに血を抜かれた俺はどうなるんだ。大丈夫なのか。
カノンは、王子様顔色悪いよ?と首を傾けた。普通悪くなるだろう。ならないなら、そいつはどんな神経だ。
「カノン」
「なに?」
「使い道は何だ?」
「元の世界に帰るためにいるの」
「俺の血が!?」
何。俺の血って何!?
異世界召喚は人間ではできない領域だ。なら帰すのもまた人間ではできない領域。にも関わらず、帰るために必要な俺の血って何!?何で構成されてるんだ!?
今、この体の中を流れる血に恐怖を感じたのは当然のことだと思う。
「お師匠様が言うには、王子様って特殊なんだって」
「特殊!?」
どこにでもいる人間だろう、俺!そうだと言ってくれ!特殊って何!?
「ほら、この国って王子様フリークでしょ?王子様フェチでもいいけど」
王子様マニアにしようか、とか真剣な顔で悩まないでほしい。考えないようにしてるんだから。
国中に俺の絵姿が売られてるとかさ。本人にしてみたら怖いんだよ。何それって恐怖なんだよ。
しかも、だ。最近は絵姿だけじゃなくて、何かグッズ販売しようか、なんて案が出てる。
俺の意見は総無視だ。当人の意見無視で会議は進む。必死に反論しても、最後には母上に猿轡噛まされて、椅子にロープでぐるぐる巻きだ。
目の前で交わされる俺の絵姿グッズ考案。抵抗虚しく、進められていく会議。
泣ける。涙が出てくる。
せっかくそんな綺麗な容姿に生まれたんだから、有効活用しなさいな。これも国のためよ。あなたのその顔一つが国と国民の一体化に役立つのよ。
息子を何だと思ってるんですか、母上。国庫が潤って笑いが止まらないわ、って小さく言いましたよね?どれが本音なんですか。
「…くっ」
「…何で泣いてるの、王子様」
ちょっと待って。涙が止まらなくなった。
*
突然泣き出した王子様から、俺の顔って一体、とか。俺は金のなる木か、とか。残念な美形ならそれなりに普通の生活を送らせてくれ、とか聞こえてくる。
どうやら顔で苦労しているらしい。美形って得だけじゃないんだねえ。ふと見えた戸棚の上。飾られた王子様の絵姿。
……絵姿だけでは分からなかったけど、王子様って何か噂と違うよね?
くーるだとか、慈悲深いだとか、美しくて賢い我が国の宝、とか聞いたけど、王子様くーる?くーるかな?
何か泣きながら、顔に似合った性格って何、どんな、あれ結構疲れるんだけど、とか言ってるから、演技?だとしたら凄いよねえ。王子様、演技力抜群ってことだよね?
よしよし、と王子様の頭を撫でながら感心する。
一国の王子には演技力も必要なのか。なるほど。って、王子様、髪さらさら。いいなあ。
思わず身を乗り出して両手で髪を触る。おお、何かいい感じ。
「……何してるんだ?」
「あれ?」
下から聞こえてきた声に我に返る。
泣いてた王子様慰めてた私はどこに行った。ちょっと気まずいなあ、と思いながら下を向けば、机につっぷしてた王子様が顔を上げた。
あ、涙。思わず拭えばびっくりした顔。そしてかああっと顔を赤く染めて、くそ、しくじった、と自分で涙を拭った。
「王子様、かわいいねえ」
ごんっと王子様が机に頭をぶつけた。
あ、綺麗な顔が。
顔を上げた王子様は涙目だ。痛かったのか、それともさっき泣いてたせいか。分からないけれど涙目だ。
額が赤い。
「かわ、いい?」
「男の人って時々可愛いんだって。お母さんが言ってた」
「う、れしくない」
「そなの?」
でも本当に可愛いのになあ、と首を傾ける。
うれしくない、とまた王子様が言った。でも何でか机に懐いた。初めて言われた。小さな呟きに、え?と聞き返そうとしたけど、王子様が顔を上げて、それで、と言った。
「俺の血が何?」
「血?」
何が血、と言いかけて、ああ、と思い出す。そうだ。その話をしていた。
ぱんっと手を合わせると、忘れてたのか、と王子様がまた机に懐いた。
「王子様ってね、国中に愛されてるでしょ?でもね、それって神様にも愛されてるんだって」
「は?」
この国に信仰する神なんていないぞ、と王子様が顔を上げた。
それにうん、と頷いて、えーと、とお師匠様に教わったことを思い出す。
「王子様が生まれた時ね、ちょうど通りがかった神様がいたんだって」
「通りがかった…?」
「うん。ちょっとふらふらーっと。でね、王子様見てね、一目惚れ」
「はあ!?」
お師匠様はそう言ってた。
一目惚れですよ、あれは一目惚れ以外の何者でもありません。いやあ、面白…驚きましたよ。
そう言ってた。言いなおしたけど、ちゃんと聞こえたから、お師匠様。面白かったって言ったよね?面白かったんだよね?お師匠様。
「それでね、王子様にちょちょいっと」
「何したんだ!?」
がたっと立ち上がる王子様の顔は真っ青だ。
「神様の恩恵を授けたんだって」
「恩恵?」
それは何だ、と身を乗り出す王子様。
…顔近い。近いから、王子様。そんな綺麗な顔近づけないで。どきどきするから。ほら、心臓がどくどくと…言ってないけど。
これって絶対お師匠様のせいだよねえ。お師匠様も綺麗な顔してたもん。綺麗な顔と丁寧な言葉遣いで、でも性格悪かった。乙女の夢を木っ端微塵。酷いや。
そのせいで綺麗な顔見ても心臓が大人しいんだ。絶対そうだ。ちくしょう。
「王子様ね、神様召喚できるんだって」
「………召喚は神の領域、だろ?」
「だから神の恩恵」
「俺、人間だよな?」
「だから神の恩恵」
「人間に召喚なんて…」
「だから王子様の血が特殊って話に繋がるの」
ナンデ、と王子様がカタコトで言った。
目が揺れてる。聞きたくないけど、聞かないのも怖い。そんな感じ。
それにとりあえず、お茶をどうぞ、と王子様が入れてくれたお茶を勧める。王子様は糸が切れたまりおねっとのように椅子に座って、ぎごちなくお茶を飲んだ。
こくり、と王子様の喉をお茶が通っていくのが見えた。…ちょっとぞくっとした、のに。
「ごほっ」
「…何で一気飲み」
一気に飲みすぎてお茶が可笑しなところに入ったらしい王子様が、げほごほと咳をする。側に寄って背中を撫でながら、王子様ってちょっと残念だよね、と思った。