第二章
第二章
真っ直ぐに目の前の白い壁を見つめる古川美倫の瞳には光が入っていなかった。外から聞こえてくる雨音しか音は響いておらず、周りには廊下に備え付けられた長椅子に座る彼女しかいなかった。両親の検視が終わるのを待ちながら、彼女は何もせず、じっと佇んでいた。すると一人の男が向こうから歩いて来た。
「古川さん。」
男が声を掛ける。
「ご両親の検視が終わりました。お辛い所ご協力いただき、誠にありがとうございました。」
椅子に座った古川はゆっくりと男を見上げた。
「早く両親と家に帰りたいんですが。」
「そうですよね。今ご遺体の方ですが・・」
「両親は自ら命を絶ちました。他に何かありますか?」
男はあまりにも冷静な古川に不気味さを感じる。
「何もありません。すぐに皆さんでご自宅にお帰りになれるよう手配させていただきます。申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください。。」
男はそう言うとまた廊下の向こう側へ歩いていった。古川はまたゆっくりと正面を向き、壁の方を向いた。
しかしまた誰かが歩いて来た。久城だった。
「古川さん、お久しぶりです。この度はご愁傷様でした。」
「お気遣いありがとうございます。」
久城は彼女と少しだけ間を空けて長椅子に腰かけた。
「大変でしたね。まさかご両親がこんな事になるなんて。こんな時に申し訳ないんですが、何かご両親に変わった様子はありませんでしたか?」
「ありません。」
「何かちょっとでもおかしいと思うような事も無かったですかね。」
「無いです。」
「失礼ですが、心のご病気等もないですか。通院歴は無かったようですが。」
「無いです。」
「そうですか。」
久城は深く背もたれに寄り掛かった。
「あんな亡くなり方をしておいて、何も無いってのはどうも納得出来ないんですよね、私としては。」
「意味がよく分かりません。何がおっしゃりたいんでしょう。」
二人は視線を合わせずに会話を続ける。雨音だけが廊下に鳴り響き、その音も次第に強くなっていく。
「人間、自力であんな死に方は出来ません。筋肉質の大男でも無理です。」
「そうですか。」
「だから参ってるんですよ。ありえないでしょう、こんな事。」
久城はゆっくりと古川を見つめた。
「古川さん。あなたの周りで人がお亡くなりになるのは、これで何人目でしたかね。」
「知りません。」
「怖くありませんか?自分の周りで何人も。私なら怖くて仕方ないです。」
「久城さん。私は今日両親を失ったばかりです。もう少し言葉を選んではいただけませんか?」
「これはすみません。あまりにも異常事態なんで、選ぶ言葉が見つからなくて。」
久城はまたわざとらしく頭を掻いた。
「私は何も知りません。ただ今は両親が亡くなった悲しみで一杯です。」
古川もまるで文章を読んでいるかのように、淡々とした口ぶりで言葉を放つ。
「自殺教唆ってご存知ですか?拳銃に指をかけさせて引き金を引くように誘導しても、それは自殺ではなく殺人です。」
久城は古川を見た。古川は右手の人差し指を自分の口に近付け、口を紡ぐ仕草を作った。悲しんでいるようにも微笑んでいるようにも見える儚い表情で古川がゆっくりと久城を見つめる。
目に光のないその表情に、久城は反射的に視線をそらし、自らに警鐘を鳴らした。やはりこの娘は何かがおかしい。久城の直感とこれまでの経験がそう告げていた。
「ところで古川さんは、他に頼れるご家族の方はいらっしゃるんですか?」
「ご心配なく。頼れる方は大勢おります。」
雨音がさらに激しさを増していく。この日、雨は夜には止むという天気予報が当たる事はなかった。
古川美倫が住む一軒家は周りから見れば豪邸と呼ばれるに相応しい見た目であった。薄茶色の外壁と大きな庭がまるでお城のような雰囲気を醸し出している。
和室の真ん中に敷かれた白い布団が二つ、その上で古川夫妻の遺体がそれぞれ眠っていた。打ち覆いが二人の顔に被せられており、部屋は文字通り静まり返っている。二人の頭側に正座している彼女はじっとして今は亡き両親を見下ろしていた。
「お母さん、お父さん、ご苦労様でした。ゆっくりと休んで下さい。」
彼女は二人に優しく声をかけると、ゆっくりと頭を下げ両手を床につけた。
里見は眠れずにいた。目を開けていても、閉じていてもあの瞬間が脳裏に浮かんでくる。そして古川美倫のあの表情、あの佇まいが彼女をより悩ませた。
簡単な家族撮影だと思っていたのに、こんな面倒な事になるなら自分も平手先輩と同じように休んでしまえばよかった。後輩の中川さんに撮影をお願いすればよかった。様々なもしもが頭に浮かんでは消えていく。ただ、これも運命かと自分を納得させる。
痺れを切らし布団から起き上がった里見は、寝室を出てキッチンの電気を点けた。暖かい緑茶でも飲もうと湯沸かし器に水を入れ、スイッチを押す。
警察の立ち入り等もあり、スタジオはしばらく休業となった。まさかこんな形で仕事が休みになるとは思ってもいなかった里見は、ただじっと湯沸かし器を見つめていた。
ふと気配を感じた。里見がリビングの隅に目を向けると、誰かが立っている。間違いなくそこに黒い影がいる。里見は動かず、落ち着きを払って謎の黒い影を凝視した。
「なんなの。」
里見は驚きを隠して、やっとの思いで口を開いた。その黒い影は俯いた頭を上げ、里見の方を向いた。里見はその影と目があったような気がした。そして次の瞬間、
「ばあっ。」
影は叫ぶと、一気に里見を目掛けて飛びかかって来た。そして里見が動く間もなく一瞬で姿を消した。
湯沸かし器の音が鳴ったのと同時に里見はその場に腰を下ろした。ほんの僅かな出来事の間に、里見は額から汗を垂らしていた。一体、自分は何を見ているんだ。自分に限ってこんな事はありえない。里見はそう考えた。
「違うよ。」
「いやっ!」
急に右の耳元で誰かが囁き、とっさに里見が声を上げた。しかし右を見てもそこには誰もいない。里見は、しばらくそこから動くことが出来なかった。
「これは・・。」
結局色々考え込んでしまい、その夜一睡も出来なかった里見は、半ば放心状態になりながら、リビングにあるソファに腰掛けていた。昨晩見た謎の黒い影はあれから現れてはいなかったが、里見は気が気ではなかった。
あの影は一体何だったのか。本来ならばすぐにでも行動に移したかったが、答えが出ない里見はとりあえず、様子を見る他なかった。
昨日の昼から何も食べていない里見は、さすがに空腹感が強くなってきていた。本来ならば昨日の仕事終わりにスーパーへ買い出しに行く予定だったが、とてもそんな余裕は無かったのだ。里見は立ち上がりグレーのパーカーを羽織ると、寝室を確認して外へと出掛けた。
午前七時過ぎ。朝はまだ早く、人通りは少ない。軽装で家を出た里見は自分がすっぴんで外出している事に後になって気付いたが、もはやどうでもよくなっていた。里見は自分の生活ルーティンを出来る限り崩したくないタイプであったため、ご飯を抜くというのは、それだけでそれ相応のストレスであった。
里見は最寄りのコンビニに着くとすぐさまボトルコーヒーと適当な菓子パン二つ、大好きなチョコレート菓子をカゴに入れ、そそくさとレジに向かい会計を済ませた。自動ドアを抜け外に出ると、早足で歩き出す。
すると、目の前を歩いていたスーツ姿の男性の隣にあの黒い影が見えた。横並びで歩いているように見える。まさか何で。どうして。
驚いた次の瞬間、その男性は里見の視界から急に左側へ消えた。黒いワゴン車が大きなブレーキ音を立てて急停止した。男性はかなりの距離を宙に舞い、回転しながら地面に落下した。
その瞬間、ぐしゃっという何かが潰れるような音が辺りに響いた。周りにいた人々から悲鳴が上がる。少し離れた里見の場所から男性を見ても、既に血溜まりが出来ているのは明らかだった。
里見は呼吸を乱しながらゆっくりと走り出した。背後から聞こえる悲鳴を一切無視して、一目散に自宅を目指す。
また人が死んだ。自分の目の前で。里見は混乱し、何が何だか分からなくなった。
気が付けば里見は自宅の玄関に立ちすくんでいた。今こんな立て続きに、自分が人の死に直面する事が起きるはずがない。里見はゆっくりと視線を上げ、リビングの方を見た。
またあの黒い影がいる。里見は真っ直ぐにその影を見つめた。真っ黒なそれは立ってはいるが、常に左右に少し揺れている。両手は横にぶらんとたらしていて、指先はとても長く見える。髪型は長く、腰の方まであろうかという長さだ。
二人はじっと見つめあっているようだった。里見はどうすればいいか考え、何とか息を殺しながら目線を影に向け続けた。
「正体は何なの・・?」
里見は決して目を逸らさなかった。影は里見に向かってずりずりと歩いてきた。
「こっちに来ないで!」
里見がそう言うと、その黒い影は猛ダッシュで里見に突っ込んできた。そして里見の目の前でまたしても消えた。玄関のドアにもたれかかり、何が何だかさっぱりの状況に、里見は心の声を漏らした。
「これはどうしたらいいかな・・。」
古川夫妻の通夜は都内にある小さな式場で営まれた。喪主の美倫は受付に立ち、訪れる人に頭を下げている。
その姿を遠くから見つめる喪服姿の久城と杉崎は、じっと彼女の事を見つめていた。
「行かないんですか、久城さん。」
「まあちょっと待てよ。」
入り口から少し離れたところに久城と杉崎は落ち着いた。また雨が降り出しそうな空模様を見た杉崎は、いつ振り出すか心配になった。
「雨降りそうですよ。行きましょうよ、どうしたんです?」
「始まる時間にはまだ早いだろ。もう少しここにいさせろ。」
久城は腕を組み、訪れるする人達を見つめた。
「まだ学生なのに喪主ですか。大変ですね。」
「そういえば学生か。大人び過ぎてて忘れてた。」
「それくらいしっかりしてるんですよ。」
「でもな。」
「分かってます、久城さんの言いたいことは。でも今回は自殺ですから。しかもご両親の。」
「自殺は今回が初めてじゃない。」
「だからって我々にはどうしようもないです。」
杉崎も久城と同じ様に来場する人達に目を向けた。
「結構来てますよね、人。」
久城は頭をポリポリと掻くと、古川美倫に対する疑惑をさらに強めた。説明のつかない、あまりにも不自然な出来事が続いている。だがその原因は何も分からない。非現実的な事など全く信じていない久城は頭を悩ませていた。
しばらくして久城と杉崎は会場に入り、真っすぐ受付に向かった。近くで見る古川美倫は制服ではなく喪服で参列しており、大人びた見た目がさらに大人びて見えた。
「久城さんじゃないですか。」
彼女が真っ先に声を掛ける。
「まさかいらして下さるなんて、思ってもみませんでした。」
「せめて線香だけでもと思いまして。ご迷惑でしたか。」
「とんでもありません。両親も喜びます。」
古川が優しく微笑む。
「久城の同僚の杉崎と申します。この度はご愁傷さまでございます。」
「どうもご丁寧に。」
「最近都内の方に来まして。久城とは前から面識はあるんですが。」
「そうなんですね。お忙しいところありがとうございます。」
「参列されている方達は皆ご両親のお知り合いですか?」
久城が来場者名簿に自分の名前を記帳しながら尋ねた。
「どうでしょう、知り合いだと思います。」
「そうですか。」
杉崎が久城を見る。
「でも、皆両親の事を想って来てくれています。それは確かです。両親は慕われていたんですね。」
久城はペンを杉崎に渡した。杉崎も名簿に記帳を始める。
「そう言えば、他にご家族の方はいらっしゃらないんでしたね。」
「はい。久城さんならご存知ですよね。」
「もちろんです。大変ですね、これから。」
「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。」
古川がすぐに言葉を返す。久城と真っ直ぐに見つめ合い、相変わらず優しく微笑みを続けている。その表情に決して久城は付き合わず、真っ直ぐな視線を送っている。
「すみません、そろそろよろしいでしょうか。並んでいらっしゃるので。」
古川の言葉に久城と杉崎が後ろを振り返ると、知らぬ間に二人の後ろに記帳を待つ数人の列が出来ていた。真後ろに立つ白髪の男性が古川と同じように微笑みながら久城を見つめている。
「これは失礼しました。ではまた後程。」
「はい。」
二人は古川に軽く会釈すると会場に足を進めた。奥に進んでいく二人を古川は静かに見守った。
祭壇には古川夫妻の写真がそれぞれ飾られている。二人とも笑顔の写真が使われており、写真の周りには色とりどりの献花が溢れんばかりに散りばめられている。横並びに並べられた白い二つの棺の他に、目立つ物は何も置かれてはいなかった。
すでに多くの参列者が椅子に腰掛けているのを見ると、久城と杉崎は空いていた一番後方の席に腰掛けた。不気味な程静まり返っており、誰一人として喋っておらず、涙を流している者もいないようだった。
謎の団結感が会場を支配している。まるで久城と杉崎だけが部外者のような、そんな疎外感があった。彼らは一体何者なのか、久城は気になって仕方がなかった。
久城は先に来ていた自分の隣に座る年配の男性に小声で話し掛けた。
「失礼ですが、故人の二人とはどういったご関係ですか。」
「大切な知人です。」
「そうですか。」
二人の会話に杉崎も耳を傾けている。
「他に来ている方達とも面識はありますか?」
「何故です?」
「何となく、皆さんから同じ空気感のような物を感じるので、気になりまして。ちなみに私は警察の人間です。」
久城の言葉を聞くと、男性は少し微笑んだようだった。
「気にしない事です。」
「どういう事ですか?」
「いずれあなたにも分かる時がやってきます。」
「詳しく聞かせてもらえませんか。もったいぶった言い方はやめて。」
「あなたはどうやら、私とは真逆の人間のようですね。」
男性は僅かに笑ったようだった。久城は男性の顔を見た。男性は真っ直ぐと祭壇を見つめている。それ以上、男性は何も言わなかった。久城も視線を戻す。
「久城さん。」
杉崎が小声で呼びかけ、体を少しだけ久城に近づけた。
「正直に言います。私、帰りたいです。」
「我慢しろ。」
気付けば式場の席は全て埋まっていた。皆祭壇に目を向け、誰一人として言葉を発さず、ピクリとも動かずに真っ直ぐな姿勢で腰掛けている。全員からまるで機械のような冷たさを感じる。
自分達とはあまりにも違う空気感に、久城までも静かに黙る事しか出来なかった。杉崎もなんとか平静を保っていたが、今まで感じたことのない不気味さを確かに感じていた。
「おい、気付いてるか?」
「何がです。」
「式場のスタッフを見てみろ。」
杉崎が祭壇横に立つ式場の男性スタッフに目をやると、遺影を真っ直ぐに見つめながら真っすぐに立っている。その表情は他の参列者と同じ様に冷たく、虚無そのものであった。スタッフの異様さに気付いた杉崎は顔をしかめた。
「何なんですか一体・・。」
小声で久城に話し掛かる。しかしこの場で声を出すのは小声とはいえ、非常に勇気のいる行為だった。間違いなく今この場で部外者なのは久城と杉崎だった。
その時であった。式場の後方から古川美倫が歩いてきた。後部座席に座る久城と杉崎を通り過ぎると、ゆっくりと焼香台の前に立った。そしてゆっくりと両親の遺影に目を向けた。数秒間そのままでいると、彼女は振り返り参列者の方を向いた。
「皆様、本日はお忙しい中ご参列いただき誠にありがとうございます。」
彼女が語り始めた。
「父・正則、母・恵もきっと喜んでいると思います。生前、皆様には両親が大変お世話になりました。特に、この私の件では、きっと皆様にご心配やご迷惑を多々おかけしたであろうと思います。両親に代わりまして、改めてここに謝罪申し上げます。」
頭を下げる彼女に久城は目を細め疑惑の表情を向ける。私の件?彼女は一体何の話をしているんだ?久城は自分の考えを全く隠さずに表情に出した。
「しかし、両親が意志を持って行動していなければ、今のこの場に私はおりません。こうして地に足を着けていられるのは、両親のおかげなのです。その点に関しましては、もう感謝の念しかありません。ありがとうと心からお礼を言いたいです。でも、もうそれは叶いません。父も母も私に耐える事が出来ませんでした。もう少し耐えられると思ったのですが、残念ながらそうはなりませんでした。皆様はどうでしょうか。まだ大丈夫でしょうか。もしそうなっても恐れないで下さい。私は決して止めたりは致しません。だから安心して下さい。受け入れれば良いのです。」
何を言っているのか、さっぱり分からない。久城と杉崎の中でさらに緊張感が高まる。
「両親の死を皆で分かち合って下さい。感じて下さい、死を。今日はそのための大切な日です。」
彼女は両手を広げ、微笑みを浮かべている。次の瞬間、久城と杉崎以外の全ての来場者が物凄いスピードで立ち上がった。
全員が両手でよく分からない手の組み方を作っている。その手元を口元に近付け、何かを黙々と呟いている。式場のスタッフも全く同じ動作をしている。
「かみの、ねむりよ、えんみのこ、えんみのこ。かみの、ねむりよ、えんみのこ、えんみのこ・・。」
皆が同じ文言を繰り返している。そこはまさに異常で狂気な空間であった。狂っている。狂い過ぎている。久城は杉崎の肩をつつき、外に出ようと指示をする。さすがの状況に杉崎も困惑を隠せていない。二人はそそくさと立ち上がり、直ぐ様歩き始めた。
「お二人。」
古川が声を掛けると周りの声はピタリと止み、全員がゆっくりと振り返り、久城と杉崎を見つめた。思わず二人の足がその場で止まる。自分達を見つめる目に二人は思わず恐怖心を抱いた。久城が息を荒らしながら古川に問い掛けた。
「何なんだこれは。何のつもりだ。」
「こちらのセリフです。両親の通夜はまだ始まったばかりですよ。」
「通夜?何かの儀式の間違いじゃないか?」
古川が睨む。その迫力に久城は顔をしかめ、口をつぐんだ。
「場をわきまえて下さい、久城さん。」
久城は周りに目を向ける。
「お前達は何なんだ。なんかのイカれた宗教団体か?」
立ち尽くす喪服の集団は、変わらず無表情でじっと久城を見つめている。
「安心して下さい。」
気付くとまた笑顔に戻っている古川は、優しく話し掛けた。
「みなさんも、もうすぐ同じ所に行きつきます。久城さんも。きっと律君も会えるのを楽しみにしていますよ。」
その言葉を聞くと久城は思わず声を漏らした。そして速足で出口へと向かった。その後を杉崎も追う。二人の後ろからは、また皆の何かを唱える声が聞こえ始めた。
「えんみのこ、えんみのこ・・。」
雨の中を車が走る。しばらくすると車は通り沿いにあったコンビニに入り、広くスペースの取られた駐車場の端の一角に駐車した。久城と杉崎は黙ったままだった。少しして運転席に座る杉崎は、ハンドルを握りしめていた手をようやく離した。
「何なんですかあれ。」
「知るか。」
「私、警察官なのに警察呼ぼうと思いました。」
いつもの杉崎の冗談だが、さすがの久城も反応はしなかった。
「無視ですか久城さん。」
「空気読め。」
「わかってますよ。読んでるからこそ、こんな事言ってるんです。」
杉崎が深く溜め息をつく。
「事件って呼べるんですかね、これ。」
「呼べねえよ。何も起きてないからな。」
「あんなの初めてです。」
「一生あんな通夜なんかに遭遇しないだろうな。」
「あの人達は何なんですか?訳が分からなすぎて・・。古川美倫はみんなのリーダーみたいな感じでしたね。」
「思った通りだ。やっぱりあの娘はおかしい。」
「・・何人でしたっけ、彼女の周りで亡くなった人。」
「自分の親を含めたら、八人だ。」
車内に静寂が流れる。
「学校のクラスメイト、教師、隣の家の住人・・とにかく古川美倫の近くで人が死ぬ。これは紛れもない事実だ。」
「だけど彼女が何かしたわけじゃない、ですよね?」
「偶然が重なって、身近で人間が八人も死ぬわけがない。あるとすれば呪いか祟りだ。」
「本気で言ってます?」
「まさか。でもお前ならどう説明する?」
「呪いか祟りですかね。」
「俺達は刑事失格だな。現実的じゃない、ふざけた解答しか思い浮かばない。」
久城が外に目をやる。雨風が強くなってきて、車の窓ガラスに雨粒が叩きつけられている。
「久城さんに聞きたい事があるんですけど。」
「断る。」
「まだ何も言ってません。」
「断る。」
「古川美倫が言ってた・・。」
「断るって言ってんだろ。」
「分かりましたよ。」
杉崎が軽く溜め息をつく。
「・・子供だよ。」
久城が口を開き、思わず杉崎が顔を見る。
「律は俺の息子だ。でもとっくの昔に死んだ。」
「そうなんですか。すいません。」
「いいんだよ。問題はそこじゃない。何であの娘がその事を知ってるかだ!いいか、この際だから正直に言うぞ。」
「はい。」
「律の名前が出てきた時、さすがの俺もゾッとしたよ。何で知ってるんだって。でもいいか、俺は非科学的な事は信じちゃいない。呪いとか祟りとかあるわけない。あるわけないんだよ、そんなもん。ただのネガティブな思い込みだ。思い込みが出来る人間にしかない概念だろ、それらって。」
「饒舌ですね。」
「だからそんな俺が信じたら終わりなんだよ、あの娘に非科学的な何かがあるなんてな。これは絶対に崩せない俺の意地だ。」
「そうですか。」
そう言うと杉崎は何気なく車中にあるバックミラーを見た。
「いやああああああああっ!」
杉崎は急に叫ぶと、慌てたふためきながら車から飛び出した。久城は何が起きたのか訳が分からず、彼女を追って助手席を飛び出した。
杉崎は雨が降りしきる中、車から少し距離を取り立ち尽くしている。久城はそんな彼女に近付いた。
「何だ杉崎!どうした?」
じっと車を見つめる杉崎は唖然とした表情をしている。
「後ろの席に誰かいます・・!」
久城は車の後部座席に目をやるが、窓越しに見ても誰もいない。
「お前は何を言ってんだ?」
「何で見えないんですか!いるじゃないですか!ほらそこにっ!」
杉崎は後部座席を指差して声を荒げる。しかし久城には全く何も見えない。
「やめろよお前。」
「なんで・・なんで見えないんですか・・。」
杉崎の顔が強張り、後部座席の方を凝視している。久城はゆっくりと後部座席の方に近付こうと歩みだした。
「久城さん!近付いたら駄目ですって!」
「何もいない。お前は正気しゃない。」
久城は後部座席のドアノブに手を伸ばし、一気にドアを開けた。しかしそこには誰もいない。久城は直ぐ様杉崎の方を振り向いた。
「これでも誰かいるって言うのか?」
杉崎は後部座席をじっと見つめている。
「パパ。」
久城の耳に声が聞こえた。数十年ぶりに聞く声だった。思わず体が固まり、久城はその場から動けなくなった。後ろを振り返る勇気が出ない。
「嘘だ。」
「パパ。」
久城は声の方に恐る恐る振り返った。そこにいたのは遠い昔に亡くなった息子ではなかった。全身が黒く、顔も何もわからない人の形をした何かが久城の方を向きながら座席で体育座りをしている。
久城は唖然とし、自分の目に映る非科学的な【それ】を見た。【それ】は動かずにじっと座ったままだった。
「ありえない・・!」
久城は【それ】を目の前にして自分を納得させるかのように呟いた。
「久城さん!」
杉崎が明るい声で呼び掛けてきた。久城が見ると、びしゃびしゃの路面に杉崎が正座をしている。
「これまで本当にありがとうございました!」
そう言うと杉崎は地面に両手をついて思い切り頭を叩きつけた。鈍い音が鳴り、骨が砕けたのがわかる。
「何やってんだ!」
久城が杉崎に近付こうと走りかけたその時、がしっと腕が掴まれた。振り返ると【それ】が両手でがっしりと久城の左腕を掴んでいる。あまりの力強さに腕が全く解けない。
杉崎を見ると、彼女は高速で何度も何度も頭を地面に叩きつけていた。ごっ、ごっ、ごっ、と音が鳴る度に、杉崎の頭と顔がぐちゃぐちゃに潰れていく。血と肉片が飛び散っていき、もはや顔は真っ赤で誰だか分からないほどであった。
そして腕が開放され、久城は自由になった。後部座席には【それ】はもういなかった。杉崎を見ると、彼女は土下座するような姿勢で完全に事切れていた。彼女の血が辺りに流れていく。彼女の亡骸を前に、久城はただ立ち尽くす事しか出来なかった。雨風が無情にも強くなり、雨粒が激しく久城と抜け殻になった杉崎に打ち付けられる。
その日から都内で自殺、事故死、突然死が多発し、世間を騒がせ始めた。
目撃者の証言 2
ただ私は散歩をしていただけです。毎日散歩してる訳ではないんですけど、その日はたまたまそういう気分で。結果的にはしない方が良かったと後悔しています。
なんてことない、普通の歩道橋を登り切って、通路を歩こうとしたんです。そうしたら通路の真ん中に男性が一人立っていました。二〜三十代くらいの男性でした。
何かの匂いがしたんですが、すぐにガソリンの匂いだと分かりました。男性は頭から足元まで全身びしょ濡れで、ガソリンの匂いは彼からしているのはすぐに分かりました。
私の家に帰るには、その歩道橋を渡らないといけないので途方にくれました。どう見ても怪しいですし、私も一人だったので怖いじゃないですか。しかも、男性の奥側に何か見えた気がしたんです。黒い影みたいなの物が。気のせいだとは思うんですけど、だとしても不気味じゃないですか。
そう思ったら、男性が右手にライターを持っている事に気付きました。その後はもう・・思い出すのも嫌ですよ。男性はその持っていたライターで自分で自分に火を点けました。恐ろしい光景でした。自分が燃えているっていうのに、その人はずっと遠くを見たまま、立った姿勢をキープしてるんです。燃えてるんですよ?そんな事ありえます?
近くには私しかいなかったので、男性がその場に倒れたのを見て、急いで救急車と警察に通報しました。何であんな事・・自殺するにしても、もっと痛みが少ない方法があるじゃないですか。焼死を選ぶなんて、ちょっと考えられないです。
※この女性は二日後に焼身自殺を図った。




