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第一章



「出て行って、お願い。お願いします。」


お母さんが私の肩を強く掴み、激しく揺さぶる。痛いなあ、もう。涙を流しながら私に懇願してくる。懇願しても無駄なのに。


「お願いだから、もうこんな事はやめるんだ・・!」


お父さんも必死に私を諭してくる。返してくれと言われても困ってしまう。どうやら私の【フリ】が想像以上に効いているみたいだ。


でもごめんね。お母さん、お父さん。


楽しいから、やめられないよ。




第一章



次の撮影準備を始めるために、里見恵里菜さとみえりなは専用のSDカードを用意して、急いでカメラに収納した。撮影スタジオ内の室温はエアコンで二十三度に設定されており、その場で動かずにじっとしていると凍えそうな程体が冷え込んでくる。しかし、撮影中動き回るカメラマンと被写体からすればとても心地の良い室温であった。カメラマンは撮影中の三十分前後、常に動き回らなければならない。被写体とコミュニケーションを取りながら具体的なポージング指示をするだけではなく、ライティングやカメラのセッティングを全て自分の手で行わなければならないのだ。撮影用の一眼レフカメラはレンズを含めると非常に重く、長時間ストラップを肩からかけるとそれだけでも疲労が蓄積してくる。


被写体もカメラマンとは違う大変さがある。普段慣れないスタジオでの撮影というだけでも緊張するというのに、大きなボックスライトが常に自分に強いフラッシュを浴びせて来る。振袖を着ての成人式の前撮り撮影ともなると、私服以上の暑さが襲って来る。カメラマンも被写体も撮影中はとにかく暑さとの闘いだ。


次の撮影で本日分の撮影が終わる事をスケジュール表で確認した里見は、被写体となる次の女の子を待ちながらカメラ前で一息着いていた。撮られる意思がある人と撮られる意思のない人を撮るのでは掛かってくる労力が全く違う。前撮りとなると、本人にその意思が無くても、親が記念に撮影しておきたいと、予約を申し込んで来たりする。そうすると当の撮られる本人が親に連れられて嫌々来た、というケースに巡り合うのだ。


その場合は本当に大変だ。カメラマンはやる気の無い被写体の機嫌を取って、何よりも親御さんから好まれる写真を撮らなければならない。定番の笑顔の写真を収めるのはとても骨が折れる作業であった。しかし、里見はそんなやりにくいケースでも逆に燃えあがるタイプであった。仕事でカメラマンをしている以上、プロとしていい写真を撮りたい。たとえ被写体が嫌々やって来た人であっても、来てよかったと思わせたい。里見にはそうした使命感があった。


そうしてやってきた次の被写体は赤とピンクを基調とした振袖を着てやってきた。ハーフアップのヘアスタイルに、大きな色とりどりの髪飾りを付けたその子は明らかに不機嫌そうな表情を浮かべながら、草履で歩きずらそうな足を動かしながら笑顔溢れる母親とスタジオに入ってきた。この子のやる気レベルは里見から見れば明らかだった。




「明日の撮影なんだけど。」


「明日って何かありましたっけ。」


写真のレタッチ作業中に向かいのパソコンデスクに座る先輩カメラマンの平手に話しかけられた里見は、パソコンに映る写真から目を逸らさずにすかさず聞き返す。


「家族写真の撮影が入ってるでしょ、確か。これ里見さんにお願いしてもいいかな。」


「いいですよ、腰でも痛めました?」


「はは、違うよ。有給をね、急だけど入れっちゃったのよ。」


四十代半ばの独身男性である平手は仕事人で滅多に有給を取らなかった。その平手が有給を取るのだから、真っ先に仕事に関わるような理由だと里見は思った。


「有給そろそろ取らないとまずいんだよ。ほら、最近有給は決まった日数を絶対に取らなきゃいけないじゃん。明日撮影それしかないし、こういう時に使おうと思って。」


「いいと思います。お互い撮影件数が少ない時くらいじゃないと有給取りづらいですもんね。中川さん大丈夫?」


デスクで事務処理をする後輩の中川が明るく返事をする。


「大丈夫ですよ。里見さんがいるなら何の問題もありません。」


「ちょっと、何かトゲがあるなあ、今のセリフ。」


「他意はないですって!」


平手と中川が笑いながら突っ込みを入れ合う。里見は事務所内の壁に掛けてある撮影スケジュール表に目をやった。お昼過ぎに一件だけぽつんと名前が書かれている。スタジオ的には寂しい撮影予定件数ではあるが、まあこんな日もあるかと里見はスケジュール表を見つめた。


【古川 美倫 様】


名前の横にある備考欄には【家族撮影 三名様】と記載されている。成人式や結婚式の前撮り撮影が主のスタジオではあったが、特に撮影内容に決まりは設けておらず、こうした家族撮影も時々予約が入ってくる。何でも撮影しますよというのがこの写真スタジオの強みであった。スケジュール表の備考欄にはさらに誰が予約を取ったのかを記載する欄があり、そこには中川の名前があった。


「明日の古川さんってどんな人でした?予約取ったのって中川さんですよね。」


「どんな人でしたかね。予約の電話取ったのも結構前だったから・・なんか明るい感じの、普通のお母さんだった気がします。」


「何かの記念かな。」


「娘さんの成人記念じゃなかったかな。十八歳の方の。」


法律が変わり、今は二十歳ではなく、満十八歳で成人とみなされる。成人式は今までと変わらず二十歳で出席する風潮は変わらないが、十八歳なら高校の制服で撮影が出来るとあって、このタイミングで記念撮影をする者も少なくなかった。家族写真だけなら楽勝だと安心した里見は、そのまま目の前の写真のレタッチ作業を無我夢中で続けた。


               


夜の七時過ぎに自宅アパートに帰宅した里見はコンビニで買ってきたプリンを冷蔵庫にしまうと、冷凍庫に保存しておいた白飯の残りをレンジで温めながら買っておいた塩鮭を焼き始めた。インスタント味噌汁の具を器に入れ、そこに給湯ポットのお湯を注ぎ込む。


撮影件数が多く、いつもより疲れた日は食べることすらめんどくさくなってしまう。でもそれではいけない。最低限のエネルギーは吸収しなければ、という想いで里見は台所に立っていた。


今二七歳の里見は、かれこれ三年程この部屋で暮らしていた。小さめの寝室と一人で暮していくには充分な広さのリビングがあり、小さなキッチンにはお気に入りの食器やマグカップが並べられている。最寄り駅からは少し距離が離れていたが、通勤にそれほど時間が掛からないのと、スーパーやコンビニが近くにあり利便性に優れたこの物件を里見は大変気に入っていた。


テレビ前に置かれたテーブルで夕食を食べていると、スマートフォンに着信が来た。父親からだった。すぐにスピーカーモードにして着信に答える。


「もしもし。」


「もしもし。」


「まだ仕事だったか?」


「ううん、もう家。ご飯食べてたとこ。」


「そうか。今大丈夫か。」


「うん。」


「お母さんな、やっぱり少し悪いみたいだ。」


里見は持っていた箸をゆっくりと置いて、じっとスマートフォンを見つめた。


「そっか。」


「いや、まだ詳しい事はわからん。でも精密検査をする事になってな。」


「それは今日決まったの?」


「ああ、今日病院で見てもらって決まったんだ。」


里美は心がぎゅっとなるのを堪え、震えそうになる声を抑えて父との会話を淡々と続けた。


「きっと大丈夫だよ。お母さんもまだ若いし。精密検査になったからって大きな病気ってまだ決ったわけじゃないでしょ。」


「まあな。お前の言う通りだ。」


電話の向こうで父が小さく笑ったが、声色から無理をしているのがわかる。でも今は何もする事が出来ない。里見は上手くごまかして、父親を励ましながら電話を終えた。テーブルの上に残った夕食を食べ切る元気は、里見にはもう残っていなかった。


「プリンだけは・・食べたいな。」


冷蔵庫の方に目をやりながら里見は呟いた。



翌日、出勤した里見は疲労感に襲われていた。自分の想像以上に母の事が心配になってしまい、気になって仕方がなかった。だとしても仕事にプライベートな事は持ち込みたくなかった。


撮影が始まれば、カメラマンはスタジオ内のMCとなる必要がある。自分がいかに被写体に指示を出して動くかが何よりも大切だった。吹っ切れたようにコンビニの鮭おにぎりとカップサラダを食べ切った里見は、午後一番に来る家族写真撮影に備えていた。


「すみません。」


スタジオのドアが開き、事務所の内に来店を知らせるインターホンが鳴り響いた。後輩の中川を事務所で待機させ、里見が受付に向かう。入り口には正装をした三人が真っ直ぐこちらを見つめていた。


紺色のパンツスタイルでスーツを着た女性と、黒色に青いネクタイをした男性、そしてその二人の前に学校の制服を来た女性が立っている。その女性は少し口角を上げながら、里見の方を見るなり軽く会釈をした。両親は微動だにせずにその場で固まっている。


里見は違和感を覚えたが、口数が少ない物静か過ぎる人もいる。この人達もそのタイプだろうと割り切った。


「いらっしゃいませ、こんにちは。お名前の方をお伺いしてもよろしいでしょうか。」


「本日撮影の予約を御願いしております、古川と申します。」


口を開いたのは制服を着た彼女だった。声から察するに、先程の声の主も彼女のようだった。


「お待ちしておりました。只今受付を行いますので、こちらへお願い致します。」


里見は受付を行うテーブルへ三人を案内した。白い受付テーブルに三人を座らせると、向かい合わせになるよう里見も腰を下ろした。両親は両脇に座り、真ん中にはやはりと云うべきか、制服の彼女が座った。相変わらず彼女だけは優しく微笑みを里見に見せているが、両親は無反応だ。


里見は落ち着きながら受付用紙の記入をお願いした。ペンを取り、彼女が記入を始める。その様子を見ていた里見であったが、両親はただひたすら無言のまま、真っ直ぐな姿勢で真正面を向いたまま固まっている。


その目線は完全に壁の方を向いており、里見の方を見ていないのは明らかであった。不気味さを感じ取った里見は、二人の様子に気付いていないフリをして受付用紙をじっと見つめた。


「終わりました。お願いします。」


記入が終わり、受付用紙が里見に渡った。里見はすぐに三人の名前を確認した。


【古川 美倫】【古川 正則】【古川 恵】


「私が美倫です。」


里見が口を開く前に制服の女性・古川美倫が里見に話しかけた。とても可愛らしく綺麗な子で、里見から見ても美人だと思える容姿だった。長くて黒い髪からは艶が見て取れ、スタイルも良い。モデルの仕事をしていてもおかしくないと思える程であった。


「本日は三名様での写真撮影でご予約をお受けしておりますが、お間違いなかったでしょうか?」


「はい、間違いありません。私の成人祝いです。」


古川美倫が答える。


「本日撮影を担当致します、里見と申します。撮影終了後にパソコンで実際に撮影したお写真をご覧頂き、そこでお写真をお選び頂く流れとなります。古川様は六つ切り台紙一冊と五枚データセットプランになりますので、お好きなお写真を六枚お選び頂けます。」


里見は説明しているが、話を聞いているのは古川美倫だけとしか思えなかった。両親は相変わらず無表情で微動だにしない。あまりにも不気味で里見は気が気ではなかった。


「すみませんお姉さん、気にしないで下さい。」


古川美倫に話しかけられ、思わず里見の言葉が止まる。


「えっ。」


「両親の事、気になりますよね。何の問題もありませんので気になさらないで下さい。」


彼女がそう話している間も、両親には何の変化もない。愛想笑いで相槌を打ちながら里見は何とかその場をごまかした。




里見は一刻も早くこの撮影を終わらせようと決心した。記念撮影だろうが何だろうが、そんなものはもはや関係なかった。この家族は何かがおかしい。里見の直感がそう語っていた。


この子は本当にこの両親の子なのか。そう思ってしまうほど、まるで家族間の繋がりが感じられなかった。里見はこれまで何組もの家族を写真に収めてきた。仲の良い家族もいれば、それ程仲が良くない家族もいた。しかし今回の古川家は里見がこれまで出会った事のないタイプであった。


まるで娘が両親を従えているように見える。未だに一言も両親は言葉を発さずに立ちすくんでいる。一方、美倫は上機嫌に鼻歌を歌いながらこちらで用意した全身鏡で化粧直しをしている。


とにかく気味が悪い。撮影をスムーズに終わらせるため、里見は撮影の準備を進めた。


「お写真に写る際の立ち方や並び方にご希望はごさいますか?」


里見が三人に尋ねる。


「だったら私、椅子に座ってもいいですか?」


古川美倫だけが質問に答える。


「かしこまりました。あとのポージングは私がさせていただきますね。皆さん、お支度の方はよろしいでしょうか。」


「はい、大丈夫です。」


古川美倫は明るく答えると、軽く会釈した。一方両親はというと、彼女が答えるのと同時に、閉じていた口をぱかっと音を鳴らしながら少しだけ開けた。目線は相変わらず遠くを見ており、表情も変わらない。何故、口を開いたのかはまるでわからない。


気持ちが悪い。何なんだこの家族は。里見に悪寒が走るが、撮影を進める他ない。美倫を背景紙の真ん中に用意した椅子に案内すると、それに続いて両親も口を開いたまま美倫の後に続く。


胸元にある学校のマークが施された刺繍が手前になるよう向きを指示し、古川美倫に腰掛けてもらう。両手でスカートを優しくすくいながら静かに彼女が席に着くと、里見が何も指示していないにも関わらず、両親はぴたっと椅子の真後ろに張り付いた。


ポージングを指示する必要がない程、三人は綺麗なポーズをキープしている。里見は運台で固定されたカメラに戻り、画角をチェックする。じっとカメラを見つめる古川美倫は僅かに口角を上げ、里見に向かって微笑んでいる。未だに口を開けたままの両親は、直立したままカメラとは異なる場を見続けている。


「それでは・・カメラで確認していきます。皆さん、カメラの方を見ていただけますか?」


里見がそう言うと両親は開けていた口を閉じ、真っ直ぐこちらを見つめた。生気の無い二人の目が里見をじっと捉える。二人を見ていると、まるで何処かに飲み込まれてしまいそうだ。


「チェックしますね。これはテストですから楽にしていて下さい。光ります。」


里見がシャッターを切ると、三人を捉える大きなボックスライトが激しく光った。その瞬間、里見は三人の周りに何かが見えた気がした。少しの間放心状態になったが、気を取り直してもう一度チェックのためシャッターを切った。


また何かが見えた。黒い影のような、人影が三人を取り囲んでいる姿が里見の目には写ったのだ。


しかしカメラに備えられているディスプレイには、三人の姿しか写し出されていない。美倫は写真で見ても、とても美しく可憐に見える。写真を確認しても、特段直すような指示をするところはなく、三人ともポージングは完璧であった。


とにかく早くこの撮影を終わらせよう。里見は意を決して撮影を始めることにした。


「それでは撮影を始めていきます。皆さんカメラを見てください。何回かシャッターを切っていきます。ライトが光りますので、目つぶりを減らすためほんの少しだけ目力を意識してみて下さい。では、いきますね。」


里見がシャッターを切り始める。カメラの先にいる三人はじっとカメラを見つめたまま微動だにしない。古川美倫の表情も微笑んではいるものの、そこから表情はまるで固まったままのように動かない。まるで後ろの二人と同じような、不気味な人形のように見える。


このようなスタジオ撮影の場合、目つぶりをした写真が撮れてしまう可能性があるので、しっかりとした表情を残すために何度もシャッターを切っていく。


里見は今回も例に漏れず、テンポよくシャッターを切っていく。ディスプレイにはまるで同じ写真が写っているかのように、同じにしか見えない写真が表示されていく。あまりにも写真に変化が無い。里見は一か八か、声を掛けてみる事にした。


「皆さんせっかくの記念撮影です。もう少しだけでも口角を上げれますか?」


里見が明るいトーンで話しかける。すると、両親が声を出し始めた。


「はははははははははははははははははははははははははははは。」


大きな甲高い二人の声がスタジオ内に響き渡る。目も表情も変わっていない。ただ笑っているような声を出しているだけであった。古川美倫も優しい微笑から変化し、白い綺麗な歯を覗かせた笑顔になった。後ろの二人の声は止まらない。


里見は後悔した。何故こんな指示を出してしまったのか。でも、こうなってしまったら仕方がない。里見は無我夢中でシャッターを切り続けた。


すると、次第に両親が両手をゆっくりと自分の顔に這わせ始めた。里見がどうかしたのか声を掛けようとした次の瞬間、何かがへし折れるような鈍い音が鳴った。


里見は何が起きたのかを理解するのに時間がかかった。ディスプレイに写った違和感を確かめるため、三人に目をやる。古川美倫は先程と変わらず、こちらを真っすぐに見つめている。だが彼女の後ろの二人はカメラを見てはいなかった。首だけが真後ろを向いている。


「えっ。」


思わず里見から声が漏れる。二人の両手がぶらんと垂れ下がり、左右に何歩かゆらゆらと歩いたかとおもうと、ばたんとその場に倒れた。


母・恵の正反対に向いた顔が里見を見つめる。苦悶しているようにも歓喜しているようにも見える表情をしている。


里見は今何が起こったのか理解した。自分の目の前で二人の人間が自殺したのだ。ありえない方法で。里見はその場に座り込み、硬直した。古川美倫はそのままの姿勢を崩さず、椅子に腰かけたままだった。彼女は床に転がる両親を見て呟いた。


「今なんだ。」




あれから何時間経っただろうか。どうやってここまで来たかも里見はよく覚えていなかった。今はただ椅子に座り、目の前に置かれた紙コップをじっと見つめていた。注がれたほうじ茶はとっくに冷めてしまっている。


控室のような部屋で一人力なく用意された椅子に座り込む里見は考えていた。窓から見える外の景色は曇天の空模様で、僅かだが雨音も聞こえている。


ドアが開き、自分をここまで案内してくれた二人が入ってきた。スーツ姿の男性と女性。男性は四十代半ばくらいだろうか。目つきが鋭く細見の体系をしていて、僅かだがタバコの匂いを漂わせている。女性は三十歳前後くらいの見た目で肩に付くくらいの長さの黒髪をしており、背が高いように見える。


「お待たせしてしまって申し訳ありません。少しは落ち着かれましたか?」


里見の正面に座った女性が心配そうにに話しかけてきた。


「いえ、全然・・・すみません。」


「そんな、いいんです。無理もありません。怖かったですよね。」


「その・・あの方達は、どうなったんでしょうか?」


どうなったか、里見には分かっていた。でも聞かずにはいられなかった。


「残念ですが、お亡くなりになりました。」


女性がそう言うと、里見の頭の中に撮影中の風景が蘇ってきた。


「どうしてあんな事を・・信じられません。」


「大変なところ署までご同行頂き、誠にありがとうございます。改めまして杉崎と申します。」


警察手帳を見せ、女性が優しく里見に声を掛ける。


「お話ししにくいとは重々承知しておりますが、少しだけお話の方をお伺いさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「・・・はい、大丈夫です。」


「亡くなられた古川正則さんと古川恵さんは、里見さんが勤務しておられる写真スタジオに撮影をしに来られたんですよね?」


「そうです。娘さんの成人記念で来たとお伺いしております。」


「そうですか。お二人に何か変わった様子はありましたか?」


変わった様子しかない。里見はどう説明すべきか言葉を探した。


「お二人はその・・・来店時から様子は変わっていたと思います。私と全く目を合わさず、会話も一言もありませんでした。表情も変わらず、ずっと無表情で。」


「お二人とも無口で静かだった、ということですね。」


「静かというか、確かに静かだったんですけど・・・心此処にあらずと言うんでしょうか。言葉が悪いかもしれませんが、不気味な程に固まっていて、まるで人形みたいでした。」


杉崎が困惑した里見の顔をじっと見つめている。


「人形、ですか。では何かしらの前兆はあったという事かもしれませんね。」


「自殺のですか?」


里見の声に部屋が静まりかえる。


「人形みたいと言いましたが、それだけじゃないんです。急に口を開けたり、おかしな笑い声を上げたり・・とても普通じゃなかったんです。」


「残念ですが、自ら命を絶った人達です。」


窓際に立つ男性が会話に入ってきた。


「私達には到底理解出来ない心理状態であれば、どんな行動をするか検討もつきません。周りから見れば、不気味に見える事だってあるでしょう。」


男性がじっと里見を見つめる。彼と目が合った里見は咄嗟に目の前の紙コップに目線を下げた。


「自分で自分の首を折って死ぬなんて、そんな事ありえるんでしょうか。」


里見がぽつりと言葉を漏らす。刑事二人もその言葉をぐっと飲み込んだ。


「彼らには精神疾患などは何も無かったと分かっています。ただ、現場にいらっしゃったのは里見さんと娘さんだけですからね。お二人から実際はどうだったのか、お話しをお聞きするしかないのです。」


「娘さんは・・確か美倫さんでしたよね?」


「はい。こちらで無事に保護しています。」


「大丈夫なんですか?」


「大丈夫です。落ち着いておられます。」


里見は美倫の事が気になって仕方がなかった。彼女の異様さも話すべきであろうか。両親の不可解な行動や言動にも、二人が自らの首を百八十度捻り命を絶った時も、彼女は決して取り乱さず、ただただ優しく微笑みを作って佇んでいた。両親があんな事になったというのに。


むしろ、両親よりも彼女の方が異常ではないのか?里見は一瞬で美倫の事で頭が一杯になった。


「里見さん、何かありましたか?」


里見の表情を見て、杉崎が声を掛ける。


「娘さんは・・美倫さんは本当に何も異常はありませんか?」


「どういう事でしょうか。」


「その・・私と違ってやけに落ち着いていたように見えたものですから。」


「落ち着いていた?」


男性が一歩前に出て、里見にぐっと近付いた。


「それは両親が首を折って死んだ時の話ですか?」


「久城さん。」


杉崎が強めの声で制した。


「すいません、お気を悪くしないで下さい。これも事情聴取の一環ですので。」


久城が杉崎の顔を見る。杉崎は少し呆れた表情を浮かべていた。


「で、どうなんでしょう。自殺の瞬間、古川美倫さんは・・彼女の様子は?」


「落ち着いていました。お二人が倒れた時も、全く動かずに。しかも・・」


里見があの時の彼女の表情を鮮明に思い出す。


「微笑んでいるように見えました。」


「お写真の撮影中だったとお聞きしています。例えば、表情を作っていた時に事件が起きた、という事ではありませんか?」


「違います。間違いなく・・お二人が倒れた時に微笑んでいました。衝撃的だったので・・とてもハッキリとあの表情を覚えています。」


里見の言葉に杉崎はゆっくりと久城を見上げた。久城は里見を見つめ、真剣に聞き入っていた。久城は杉崎の横にある椅子に座り、テーブルの上で手を組んだ。


「里見さん。今のところ、これは特に事件性の無い自殺だと我々は考えています。古川美倫さんが仮に両親が自殺した際に微笑んでいたとして、まあ確かに不気味ではありますが・・それが何か今回の自殺に関係していると思うんですか?」


「・・わかりません。すいません、関係なんか無いと思います。彼女は何もしていません。ただ座っていただけですから。」


里見がまた目を伏せる。


「いやいや、こちらこそすいません。ついクセで捲し立ててしまいましたね。」


わざとらしく頭をポリポリとかきながら久城が目線を逸らす。


「お話しありがとうございます。また何かあればご連絡させていただく場合がありますが、本日はお帰りいただいて結構です。よろしければご自宅までお送り致します。」


「大丈夫です。会社に連絡も入れなければならないので。一人で帰ります。」


「そうですか、わかりました。それでは入り口までお送りします。」


杉崎はそう言うと立ち上がり部屋のドアを開けた。里見も立ち上がり、久城に軽く会釈すると杉崎に連れられて部屋の外に出た。一人切りになった久城はテーブルに置かれた紙コップを見つめながら深くため息をついた。




警察署の入り口まで案内された里見は、外に出るとまだ雨が降っていることに気が付いた。


「里見さん。」


杉崎を見ると、里見が知らない間にビニール傘を持っていた。


「これ使って下さい。この後もまだ雨が降るみたいなので。」


「そんな、悪いです。」


「大丈夫です。私何本か傘あるので。持って帰るのを忘れちゃったりして、何本かストックがあるんです。むしろ貰っていただけると助かります。」


杉崎は優しく笑いかけると、里見に傘を差し出した。


「ありがとうございます。助かります。」


「気を付けてお帰り下さい。ご協力ありがとうございました。」


里見は軽く会釈すると、傘をさして歩き出した。その背中を杉崎が見守る。


「傘、よかったのか?」


ゆっくりと追いかけてきた久城が杉崎の隣に並んだ。


「帰る時間になっても豪雨だったら、久城さんが送って下さい。」


「嫌だよ。何で傘渡したんだよ。予備なんか持ってないだろ、お前。」


「だって可哀想じゃないですか。」


完全に里見の後ろ姿が見えなくなったが、それでも里見が歩いていた方向を杉崎は見つめた。


「自分の目の前で人間二人が信じられない方法で自殺したんです。永遠のトラウマもんです。私だったら、あんな風にちゃんと受け答えなんか出来ないですよ。」


「そうだな。でも、」


久城が中に戻ろうと背を向ける。


「自分で自分の首の骨をあんな風に折れるわけないだろ。これは何かしらの事件だ。」


杉崎が久城を驚いた表情で見つめる。


「でも自殺ですよ。えっ、自殺ですよね?」


「分かってるだろ。あの古川美倫だぞ。」



雨の中を歩き始めると、どっと疲労感が里見を襲って来た。あまりに衝撃的な出来事。里見はまだ事態を上手く飲み込めていなかった。


落ち着いてスマートフォンを取り出し、まずは店長の平手に電話した。有給休暇だった平手はもちろんというべきか、事件の後すぐにスタジオへ直行していた。


「今警察署から出ました。」


『わかった。もう今日はすぐに家に帰っていいからね。スタジオは明日休みになるから。まあ、たぶん数日間はスタジオ閉鎖になると思うけど。』


「そうですよね。わかりました。」


『あと、中川さんは大丈夫みたいだよ。病院で見てもらってる。重い貧血みたい。無理もないね。』


「そうですよね。中川さんも、現場を見ましたから・・。」


『うん。今はゆっくりと休んでね。』


「ありがとうございます。何かあれば連絡下さい。」


電話を切ると、里見は古川美倫の事を考えながら自宅への帰路についた。




中川 雫

私は今病院の天井を、左手に点滴を打たれながら見つめている。何でこんな事になってしまったんだろう。


今日は里見先輩と二人きりでスタジオを運営をする日だった。平手先輩は休みだったけど、撮影は一件しかなかったし、里見先輩が撮る予定だったから何の問題も無く終わると思っていた。


ところがそうはならなかった。撮影が始まって、違和感のある音が聞こえた。だから私は何事かと思ってスタジオを覗きに行った。するとお客様二人が倒れていた。しかも、首が捻れた状態で。


私は思わず叫んでしまった。無理もない。あんなの見たら誰だって叫ぶに決まってる。その後の事はあまり覚えていないけど、貧血状態になってしまって倒れてしまったらしい。そして今、病院で点滴を打たれてベッドで横になっているわけだ。


親には連絡したけど、特に何か怪我をした訳ではないから別に来なくて大丈夫だと伝えた。


里見先輩は警察署で話を聞かれるそうだ。平手先輩も休みだったけど、今回の事があって、スタジオに向かったそう。スタジオで警察と色々話しているらしい。


倒れていた二人は亡くなったようだ。首があんな事になったら、誰でも死んでしまうだろう。でも、何であんな事になったのか。どうやってあんな風に?自殺だと聞いたけど、あんな死に方あり得るのだろうか。


いや、無理でしょ。無理だよ。あんな風に首の骨を折るなんて。


思い出すだけで吐き気がする。一旦考えるのはよそう。私より、里見先輩の方がきっと辛くて大変だ。多分きっと、その瞬間を見ているはずだから。


ん、何だろう。ベッドの仕切りになっている白いカーテンが少し揺れた気がする。でも誰かがいる気配はない。気のせいかな。


ストレスだ。目を瞑ろう。静かに。今は眠ろう。


いや、今確かに音がした。ふと見ると白いカーテンが揺れている。何なの?誰かいるの?私は上体を起こした。


「誰かいますか?」


と小声で呟いてみた。やはり反応はない。気のせいなの?本当に?


私はまた上体をベッドに戻した。すると自分の左側に黒い何かがいた。立っている。え、何これ。怖い、怖い、怖い、怖い。声が出ない、誰か助けて。何なの。何、これ。


えっ、死ぬの、私。




目撃者の証言 1

僕の住むアパートは最寄り駅から徒歩十分くらいの所にある、築十五年ほどのアパートです。僕は三階建ての最上階に住んでいて、その日はたまたま仕事が休みの日でした。


休日はいつも朝の九時くらいに起きるんですが、その日は何だか目が冴えてしまって、七時前には起きましたかね。起きて部屋のカーテンをいつものように開けた時でした、違和感を感じたのは。


アパートの前には大通りを挟んで大きなマンションが建っていまして、割と新し目の。自分の部屋からはそのマンションを正面から見たような景色が広がっています。


それで、ふとマンションの方を見たら、マンションのベランダに住人の方が立っているんです、こっち向きで。しかも一人じゃないんです。何部屋くらいだろう。とにかく沢山の部屋で、その部屋の住人の方がそれぞれベランダに立っているんです。みんな顔に表情が無くて、目が死んでるって言うんですかね。


とにかく不気味で不気味で、何事かと思いましたよ。朝も早いですし、怖かったです。で、よく見たらみんな何かを手に持ってるんですよ。最初は何か分からなかったんですけど、その後すぐにわかりました。包丁を持ってるんですよ、包丁を。


気持ち悪いじゃないですか。みんなで包丁を持ってベランダで突っ立てるなんて。そしたら急に。急にですよ?一斉に包丁を自分の首に突き立てたんです。何が起こったか理解出来なかったんですけど、全員首から血を流しだして、ハッとしました。集団自殺って言うんですか?


ちょっと首元に触る程度じゃないんですよ。包丁の根元まで刺し込んでいるようで、逆に見入っちゃいましたよ。気持ち悪かったですよ?もちろん。


その後はもうみんなベランダで倒れて・・これはヤバいと思って通報したんです。


※この男性は翌日、自室のクローゼットの中で首を吊って亡くなった。

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