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喫茶クロノ・ロード  作者: TimeBender


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番外編 砂時計のプリン ――「何もしない」を、注文する――

喫茶クロノ・ロードには、メニューに載っていないものがいくつかある。

 たとえば、忙しい人のための「おしぼり二枚」。


 たとえば、言葉が出ない人のための「沈黙の席」。


 そして、今日のような日にだけ出る――「砂時計のプリン」。


 その人は、扉のベルを鳴らしてから、しばらく立ち尽くしていた。

 

手ぶらなのに、肩だけが重い。


 目的も用事もないのに、なぜか足がここへ向かってしまった顔。


「いらっしゃいませ」


 黒百合がカウンターの奥から、小さく会釈をする。


 向日葵が明るく「こちらどうぞ!」と案内しかけて、黒百合の目線を見て止まった。


 今日は、あまり声を張らない方がいい――そういう日がある。


 その人は、いつもの隅の席に座って、メニューを開いた。


 けれど文字が頭に入らず、ページだけがぱらぱらめくられる。


 そこへ、静かな足音。


「今日は、“選べない日”ですね」


 声をかけたのは、アジサイだった。窓際担当の彼女は、いつもよりゆっくり瞬きをする。


「……選べないというか。何を頼んだらいいのか分からなくて」


「分からない日は、分からないままでいいですよ」


 アジサイは、メニューをそっと閉じた。


「ひとつだけ、質問してもいいですか。

 今日は、何かしたいですか。……それとも、何もしないでいたいですか」


 その人は答えに詰まった。


 “何もしない”って、注文できるのだろうか。


 その時、カウンターの向こうから、カスミソウが顔を出す。


「ねえねえ、今日ね、“砂時計のプリン”できるよ」


 カスミソウの声はふわふわしていて、妙に救われた。

 

その人は、反射みたいにうなずく。


「……それ、ください」


「はーい!」


 カスミソウがぱたぱたと奥へ消え、すぐに銀のトレーが運ばれてきた。


 プリンは、少し小ぶりなグラスに入っている。表面はなめらかで、カラメルの色が深い。


 その横に、小さな砂時計が置かれていた。


 向日葵が目を丸くする。


「えっ、砂時計ついてる! それ、なに?」


 カスミソウが誇らしげに胸を張る。


「これね、“何もしない時間”のためのプリン。


 砂が落ち切るまで、スマホ見ないで、考え事もしないで、ただ食べるの」


「考え事もしないで、って難しくない?」


「難しいから、砂時計つけるの!」


 向日葵は「なるほど!」と笑って去っていった。

 

その人は、砂時計を見つめる。


砂は、ちいさく、静かに落ち始めていた。


 スプーンを入れると、ぷるん、とやわらかく揺れる。

 一口食べる。


 卵のやさしい甘さが広がって、次にカラメルのほろ苦さが追いついてくる。

 味はちゃんと“プリン”なのに、なぜか息がしやすい。


 砂が落ちる音は聞こえない。


 けれど、落ちていくのが見えるだけで、時間がちゃんと進んでいると分かる。


(……何もしないって、こういうことか)


 スマホはバッグの中。

 目の前にはプリンと砂時計。

 それだけでいいのに、最初は落ち着かなかった。


 何かしなきゃ。明日のことを考えなきゃ。

 連絡を返さなきゃ。予定を整えなきゃ。


 そんな思考が浮かびかけて、砂時計を見て止まる。


(いまは、砂が落ちるまででいい)


 たったそれだけのルールが、こんなにありがたいとは思わなかった。


 半分ほど食べたところで、黒百合がカウンターからそっと声をかける。


「今日は、“何もしない”をご注文されたんですね」


 その人は、少しだけ恥ずかしくなって、目を伏せた。


「……そういうつもりじゃなかったんですけど」


「つもりじゃなくても、いいんですよ」


 黒百合は笑った。

 威厳のある花の名を背負っているのに、笑い方はあくまでやさしい。


「何もしない時間は、怠けではなくて。

 “自分の時間を取り戻す準備”みたいなものです」


 その人は、スプーンを止めたまま、ぽつりと言う。


「でも、何もしないと……置いていかれる気がして」


 黒百合は、一拍置いて頷いた。


「置いていかれません。

 時間は、あなたを置いていきます。誰に対しても平等に」


 言葉が少し厳しいのに、なぜか責められている感じがしない。

 むしろ、肩に乗っていたものが少し軽くなる。


「だからこそ、置いていかれる前に、たまにここで座ってください。

 “私はいま、ここにいる”って、確認するために」


 砂時計の砂は、三分の一ほど残っていた。

 プリンは、もうほとんどない。


 その人は最後の一口を、ゆっくり食べた。

 口の中に甘さが残って、喉の奥にほろ苦さが残る。

 それが、今日の自分にちょうどいい。


 砂が落ち切った。


 カスミソウが、ふわっと近づいてくる。


「どう? 何もしない、できた?」


「……ちょっとだけ、できました」


「やったー!」


 カスミソウは小さく拍手をして、砂時計を回収した。


「また必要になったら言ってね。砂時計、いくらでも貸すよ」


 その人は、会計を済ませて立ち上がる。

 外はまだ明るい。なのに、さっきより空が広く見える。


 扉の前で、ふと振り返ると、黒百合が軽く会釈した。


「次にいらしたときは、何かを注文してもいいし、何もしなくてもいいです」


 ベルが鳴り、扉が閉まる。


(今日は、何もしないをした)


 それだけのことなのに、少しだけ胸を張って歩ける。

 通り道の風が、やさしく頬を撫でた。


 喫茶クロノ・ロードは、今日も変わらずそこにある。


 誰かの二十四時間が、すこしだけ飲みやすくなるように。

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