死にトレ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
しゅうまつ、と聞くと君は何を思い浮かべる?
多いのは週末か、終末じゃないかと思うのだけど。いずれにせよ、寒そうなイメージが湧かないかい?
末は見ての通り、終わり際をさしている。生き物の終わりはすなわち死で、死んだものは冷たくなっていく。そうなると寒さから終わりを連想するのはごく自然な流れで、冬をモチーフにした、死を招く怪異の類は世界には数多い。
まあ、死を呼ぶって意味じゃあ、熱さもいい勝負かな。火は肌も肉もこんがり焼くし、より温度を上げれば遺伝子のかけらだって残らないほどの力を有する。そこまでいかなくても、じりじりとした暑さにさらされれば熱がこもって、パフォーマンスを低下させて死に至らしめる……というのも。
どちらの最期も、あまり考えたくないもんだ。
ひもじさを知る人からは、今の社会は飽食の時代とか形容されて恵まれているとされるけれど、死に方までいろいろ選べるようになっている。
自分がどのような死に方をしたいか……いや、別に自殺志願だとか、そのようなものとは別さ。どうせ等しく訪れるものなら、楽で安らかなものを選びたいじゃなくはならないか?
僕も恥ずかしながら、その死に方を探していた時期があってね。そのときに、ちょいと不可解なものに出くわしてしまったことがある。
そのときのこと、聞いてみないか?
重ね重ねいうが、これは別に自殺をすすめるとかそういう意図はないと、ことわっておく。
当時は今みたいにインターネットがさほど盛んじゃない時代だったし、僕も子供だったから専門知識にそこまでこだわったものじゃなく、あくまで見聞きした話でもって判断していた。
有力なのは薬物とビニール袋の併せ、首つり、そして低体温だ。先に話した寒さイコール死のイメージの強さ、あながち的外れでもないかもね。
僕はその三種について、当時はよく考えていた。いずれも用意がいるけれど、中でも楽そうなのは首つりだと思った。薬物の用意、低体温たりえる準備、そのいずれも手間がかかりそうだ。
首つりだったらフィクションとかでも何度か見ているし、吊る縄なり手ぬぐいなりの用意ができさえすれば何とかなりそうだ。
漠然と考えていたよ。しかも、これが自殺をしようとする人の思考じゃなく、いずれ訪れる自分の死を楽なものにしたいからだなんて、誰にいっても信用されなさそうだ。
しかし、当時の僕はアホな自己顕示欲をこじらせているのもあって、この手の話をクラスのみんなに話して回っていた。
もっと楽なものがあるならご教授願いたい意図もあったんだけど、いやまあ表向きはドン引き対象ですわ。仮に同調してくれたとしても、みんなのいる前で話してくれるわけがない。自分までこの頭ぱっぱらぱーの仲間に見られてしまうからね。
期待はすれども、望み薄。笑われてこの日は終わりか~、と帰り際になったとき。
「……ね? 死ぬこと、興味あるの?」
クラスメートの女の子のひとりに、声をかけられた。
その子がオカルト好きなのは知っている。普段は口数が多くないが、クラスで怪談話をしているとその輪へスルスルと入ってきてな。やたら熱の入った講義を展開するんだよ。おかげで、影でついたあだ名が「教授」。
コミュニケーション得意かどうかといったら、苦手なほうだろうな。たいてい、他人とかかわるのなら当たり障りのないことから入って「あ、この人はふつーの話ができる人だ。少なくともそのベースがある」と思わせるのが肝要だ。
ふつーに通じる相手と分かっているから、ディープな話へ下っていっても「ああ、この人これが好きなんだな」で落ち着く。が、いきなり自分の好きから入っていくと、温度差が激しい。それこそ人を殺しかねない勢いさ。
「うへ、スイッチ入るとやばいな。かかわらんとこ……」みたいな感じ。彼女に関しても似たようなもんで、見た目がいい方でなかったなら、ますます鼻つまみものだったんじゃないかな~とは、僕の想像だよ、教授。
――へ~へ~、見事に釣れましたねえ。
それでも有益なことを教えてくれるなら良いかと、僕は教授に教えを乞おうと思ったんだけど。
「簡単に、楽に死ねる方法? ないよ、そんなの」
どストレートだった。
「君、楽になれる方法が簡単だと思っているの? 最初から簡単にこなせるなんて、ほんの一握りの才能がある人だけ。大多数の人は長いトレーニングを重ねて、ようやくものになるのよ。楽に死ねるにはトレーニングがいるんだよ。いわゆる、筋トレならぬ死にトレってやつ?」
またスイッチの入った彼女に、僕はまずったかなあとも思い出す。
それも最期を、より楽にするためだよと熱弁する「教授」に、最終的に僕のほうが折れて話を聞く形になった。
家に帰ってからやってみて、とのことで教授の話す通りのことをやってみる。
「まずね。家の方角を確認したら北を向いて、そこから西、南、東と反時計まわりに回ることを10回ね。できる限り途中で止まったり、減速したりしないようにね」
方角を確認し、自室でぐるぐると回ってみる。
「その直後に股を大きく開いて、前屈しつつ股の間から後ろを見やるの。三回とも、どっしり落ち着いてやらないといけないわ」
こいつが難しい。
10回転したあとにこいつをやると、最初の1回を終える前後でふらついてしまって、教授のいう「どっしり」とはほど遠い。こいつを安定してやることはむずいなあ。
「それで最後にね。姿勢をただして、ひょいと振り返る。ちゃんと死にトレしていて結果が通じるなら、この世の何よりも楽に終われるよ」
と、いう教授の触れ込みだったんだ。
正直、あほらしいと捨て去れれば良かったのだけど、教授の知識に関してだけは一目置いていたからね。
いざ、やらなくて苦しい最期を迎えるとするなら、やってみるかという気持ちにもなった。
トレーニング。これは結果が出てこそ意味があるもので、ないうちはひたすら自分との勝負になる。死そのものが、いつ訪れるか分かるなら、やめるわけにもいかない。
そうやって僕は三年あまりトレーニングをしたが、今はやっていない。
理由は簡単。死に方を探しながらも、僕は進んで死ぬ気はないからさ。先に行った通り。
その三年のトレーニングののち、回った後もふらつきなく股下の景色を見られるようになった僕は、姿勢をただしてひょいと後ろを振り返ってみた。
瞬間、眼前に小さいナイフが迫っていたんだ。ここは室内だし、背後は壁ですき間などないのに、ナイフは確かにそこに現れていたんだ。
おそらく、彼女の言う通りならば、あそこでナイフを受け入れていたのなら僕は死ねていたのだろう。けれど、できなかった。
すぐ前へ振り返っちゃって、それっきりさ。飛んできているはずのナイフはいつまで経っても目の前に現れず、おそるおそる振り返ってももう存在はしなかった。
自分の気持ちを確かめる機会をもらったと思っているよ。




