第9話 志乃の決断は?!
純のマンション、リビング。
重い沈黙が流れていた。
「毎年、誕生日を祝い続けてるなんて」
中川が頭を抱えた。
「十年も続けてるのは、これでほぼ決まりッス」
キララも肩を落とした。
「これはもう決定的ね」
まどかがため息をついた。
純が腕を組んで頷いていた。
「やっぱり壮介さんで決まりだな」
「そうみたいね」
まどかも納得したような顔だった。
その時、キララが急に立ち上がった。
「ちょっと待ったッス!」
全員がキララを見た。
「みなさん、重要なこと忘れてませんか?」
「何?」
「啓一さんって、オーナーの息子ッス!」
キララは爆弾発言を投下した。
「えええ?」
まどかが声を上げた。
「本当?」
純も驚いている。
全員が中川を見た。
中川が急に元気づいた。
「いや、その、まあ、本人が言いたくないらしいんだけど、本当です!」
そして、次のことを言い足した。
「田中さんには言わないでください。固く口止めされているんで」
キララが続けた。
「スーパーカガヤキの跡取りッス!」
「まさか」
まどかが計算し始めた。
「ということは、志乃が結婚したら」
「社長夫人ッス!」
キララが興奮している。
中川が元気よく立ち上がった。
「実は、私には壮大な計画があるんです」
全員が注目した。
中川が胸を張った。
「田中さんと啓一が結婚する」
「うん」
「啓一が社長になる」
「うん」
「そして私は専務になる!」
「は?」
全員がズッコケた。
「なんで中川さんが専務になるのよ?」
まどかが呆れた。
「だって、二人のキューピッドですよ!」
中川は自信満々で答えた。
「オーナー夫人から直々に頼まれたんですから」
純が冷静に言った。
「専務は飛躍しすぎでしょう」
「でも、部長くらいなら」
「今も店長でしょ」
キララが整理した。
「とにかく、啓一さんはお金持ちッス」
「それを言うなら、壮介さんもベトナムで成功して、相当に羽振りがよくなっているぞ。車もアルファ ロメオだし」
純が反論した。
「えーっ、かっこいいッス」
キララは、特に啓一派というわけでもなさそうだ。
まどかが指折り数えた。
「壮介さんは元夫、海外で成功、市乃の実父、でも十年前に借金で離婚。啓一さんは初婚、オーナーの息子、誠実、でもちょっと頼りない」
中川が身を乗り出した。
「啓一は市役所勤務をわざわざ選んだんですよ」
「なんで?実家継げばいいのに」
「親の会社で特別扱いされたくないから」
キララが感心した。
「謙虚の塊ッス」
「そう!金持ちなのに威張らない」
中川が熱弁を振るう。
純が唸った。
「確かに、悪くない男だな」
「でしょう?」
まどかが首を振った。
「でも、十年も誕生日祝いを続けるなんて、やっぱり未練があるんじゃ」
「それは動かしがたいッス」
キララも悩み始めた。
議論は堂々巡りになった。
ミチコは黙って聞いていた。頭の中で整理する。
(壮介さんへの思いが残っているなら、寿司屋の件は愛情の証。でも、もし娘のためだけなら、母親としての責任。どっちなんだろう)
まどかが結論づけた。
「結局、わからないってことね。志乃の気持ちは志乃にしかわからない」
「そうだな」
純も同意した。
中川はまだ諦めていない。
「でも、経済的には啓一のほうが安定していますよ!」
「志乃さんは本部のエリアマネージャーッス。店長より偉いんじゃないですか?」
キララが速攻返しを入れた。
「そ、そんなことないよ。多分」
中川は思いもしなかったことをツッコまれた。
「志乃さんは経済的に自立してるし」
ミチコは考え続けていた。
(志乃さんは何を求めているんだろう。安定?愛情?それとも……)
みんなが帰り支度を始めた。
ミチコも立ち上がったが、心はざわついていた。
同じ頃、啓一のアパート。
キッチンのシンクには卵の殻がたくさんころがっていた。
「もう一回」
啓一は卵焼き器を熱した。昨日買ってきたばかりなのだが、すでにかなり焦げがこびりついていた。
今日は二十回以上失敗している。
菜箸で素早く混ぜる。頃合いを見て端から巻いていく。
油を引く。卵を流し込む。頃合いを見て端から巻いていく。
「よし、いい感じ」
所作はだんだんと様になってきている。
皿に移して、巻き簾で形を整える。
形は整った。色も黄金色だ。
味見をする。
「うーん、まだ何か足りない」
(卵焼き専用の料理教室とかないかな)
スマホで探し始める。
(・・・なかった)
窓の外を見る。夜は更けていく。
(明日から卵焼き弁当だ!)
一週間ほど経ったある日、市役所の職員食堂。
啓一は小さなランチボックスをテーブルに広げた。中身はもちろん、黄金色に輝く卵焼き。
「焼き立ては完璧だったぞ…」
意気込んで箸を手に取る啓一。
すると、向かいの同僚たちが視線を合わせ、ひそひそ声で笑い出した。
「おお、また卵焼きかよ、滝川くん」
「今日も巻き方、芸術的だね」
「まるで子ども弁当!」
啓一は少し赤くなったが、負けじと箸を進める。
しかし、一口食べると。啓一の肩は下がっていった
(努力は…報われないな…
なんで冷めるとおいしくないんだろ?
でもいつか、志乃さんに食べてもらうんだ。絶対に驚かせてみせるぞ!)
周囲の冷やかしの声が響く職員食堂で、啓一は今日も同じことを誓い続けるのだった。
しかし、その誓いは実現することはなかったのである。
喫茶店。
ミチコはずっともやもやしていた。
あの日から、志乃のことが気になって仕方ないのだ。
(聞いてみよう)
意を決して、志乃を誘ったのが昨日だった。
「久しぶりね、二人きりって」
志乃が微笑んだ。
「そうね。何か相談?」
「まあ、そんなところ」
ケーキセットが運ばれてきた。
しばらく世間話をした。市乃の進路、仕事のこと。
でも、ミチコの心は別のことでいっぱいだった。
「志乃さん」
「なに?」
「単刀直入に聞くわ」
志乃がフォークを置いた。
「改まって、どうしたの」
「壮介さんとよりを戻すの?」
志乃の表情が変わらなかった。
「ない」
即答だった。
「本当に?」
「何度聞いても同じよ」
ミチコは志乃の目を見つめた。嘘をついているようには見えない。
「じゃあ、なんで毎年、壮介さんの誕生日に寿司屋に行くの?」
志乃が驚いた。
「知ってたの?」
「市乃ちゃんから聞いた」
志乃は苦笑いした。
「ああ、あれね」
「あれって?」
志乃はコーヒーを一口飲んだ。
「娘孝行よ」
「娘孝行?」
ミチコは聞き返した。
「市乃には父親の思い出が必要でしょう」
「うん」
「でも壮介は日本にいない」
「そうね」
「だから、年に一度くらい、父親を感じる時間を作ってあげたい」
ミチコが考え込んだ。
「それだけ?」
「それだけ」
「壮介さんへの思いは?」
志乃は首を振った。
「ないわ。借金を肩代わりした時に、全部清算した」
「本当に?」
「本当よ。あの時、退職金も貯金も全部使った」
志乃は窓の外を見た。
「お金と一緒に、気持ちも清算したの」
ミチコは安堵の息をついた。
(そうだったのか)
でも、新たな疑問が湧いた。
「じゃあ、啓一さんは?」
「滝川さん?」
志乃が振り返った。
「いい人ね」
「それだけ?」
「うーん」
志乃は考えた。
「結婚相手として見れば、申し分ない」
「でも?」
「でも、この人と結婚したいって気持ちにならなかったわ」
ミチコが身を乗り出した。
「どうして?」
「わからない」
「オーナーの息子だって知ってた?」
志乃が笑った。
「最近知った」
バレていた。どうやら中川の努力はあまり効果がなかったようだ。
「未来の社長夫人よ?」
「二十代なら飛びついたかも」
志乃はケーキを口に運んだ。
「でも、五十年も生きてきたら、自分の幸せが何かわかる」
「幸せって?」
「自由でいること」
「自由?」
「自分の人生を、自分で決められること」
ミチコが頷いた。
「なるほど」
二人は顔を見合わせた。
「目指すなら、社長夫人より社長よね」
大笑いする二人だった。




