第6話 それぞれの選択
「再婚?」
まどかが肉を焼く手を止めた。ジュウジュウという音が急に小さくなる。
「純さんが?」
ミチコも驚きを隠せない。上品に持っていた箸が宙に浮いたまま止まった。
純は照れているのか、頭を掻いた。
「海外出張した時に知り合った人がいて」
「いつから付き合ってるの?」
志乃が聞いた。声は落ち着いていたが、どこか緊張している。
「もう二年くらいかな」
市乃が箸を置いた。
「二年も黙ってたの?」
「ごめん、言うタイミングがなくて」
純の声が段々小さくなっていった。悪行を自白しているかのようだ。そんなことは全然ないのに。
そんな淀んだ空気をかき消すように、キララが拍手した。
「乾杯しましょうよ」
まどかが改めてみんなにビールを注ぐ。
「再婚、おめでとう!」
めいめいがグラスを持ち上げて、乾杯の音が響いた。
その時、キララが志乃を見た。
「だったら志乃さんもありッスね」
志乃は首を振った。
「何を言ってるの」
まったく平然としている。しかし、その平静さが逆に不自然にも見える。
キララは首を傾げた。
(私の勘違い?)
市乃が急に言った。
「海外暮らしって、憧れる!」
純が笑った。
「若いうちに行ってみると視野が広がるぞ。留学なんていいんじゃない」
志乃が眉をひそめた。
「やめてよ、うちにはそんな余裕ないわよ」
市乃は黙って肉を口に運んだ。しかし、その目の奥に何かが宿っているのを、志乃は見逃さなかった。
朝七時、滝川家のダイニング。
啓一は味噌汁を飲みながら新聞を読んでいた。向かいでは和枝が啓太郎に小声で話しかけている。
「啓一ちゃん、最近顔色がいいのよ」
「ふん」
啓太郎は興味なさそうに朝刊をめくった。ページをめくる音が妙に大きく響く。
「お見合い相手と上手くいってるみたい」
啓太郎の手が止まった。
「そうなのか!」
「あなたも少しは関心を持って」
「なら、仕事はどうなんだ?」
啓一が顔を上げた。
「順調」
「市役所なんぞで満足してていいのか」
和枝が激しく慌てた。
「あなた、朝から」
「大丈夫です、母さん」
啓一は箸を置いた。
「父さん、僕は好きで市役所に勤めているんだ」
「好きで飯が食えるか!」
「食べてますよ。ちゃんと」
父子の視線がぶつかった。張り詰めた空気が走る。
「お前は後継ぎじゃないか」
「社員の中から後継者を育てるべきだよ」
啓太郎の顔が赤くなった。
「スーパーカガヤキは俺の会社だ」
断言する父の声は重く、威厳に満ちている。
重い沈黙が流れた。
啓一は立ち上がった。
「行ってきます」
その後ろ姿はひるんではいなかった。
見送る父は、言葉の勢いはどこにいったのか、どこか寂しそうだった。
同じ頃、志乃の自宅。
「ママ、お弁当は?」
市乃がカバンを背負って聞いた。制服のリボンをきちんと結び直している。
「はい、これ」
志乃がフタを開けて、今日のおかずを見せる。玉子焼き、鶏の唐揚げ、ブロッコリー。彩りよく盛りつけられている。
「美味しそう」
志乃は手早く弁当を包むと市乃に渡した。
「行ってらっしゃい」
市乃が玄関に向かいかけて振り返った。
「ねえ、ママ」
「なに?」
「最近、楽しそう!」
志乃は手を止めた。
「そう?」
「うん。なんかキラキラしてる」
志乃は苦笑いした。
「最近、重要な仕事を頼まれるようになってきたのよ」
市乃はにやりと笑った。
「本当にそれだけ?」
「行ってらっしゃい」
志乃は娘を追い出した。
一人になったリビングで、志乃は考えた。
(楽しそう!、か)
確かに最近、気持ちが軽い。理由は自分でもよくわからなかった。市役所での交渉も楽しかったし、啓一という人も……。
(いけない、何を考えているの)
午前十時、市役所会計課。
啓一はパソコンに向かって、予算書の確認をしていた。数字がずらりと並んだ画面を、集中して見つめている。
「滝川さん」
同僚の女性が声をかけた。
「スーパーカガヤキに値下げを要求したんだって? うまくいきそうなの?」
「ええ、まあ」
「最近、よく行くって聞いたけど」
啓一は手を止めた。
「仕事ですから」
「ふーん」
女性はにやにやしながら去っていった。その笑顔に何か含みがあるのを感じる。
昼休み、啓一は屋上に上がった。青空が広がり、遠くに山並みが見える。
スマートフォンを取り出す。中川へのメッセージを打とうとして、やめた。
(急ぎすぎたかな)
花束で告白したあの日から、何度も思い返していた。
(考え方を変えれば、唐突に見えたかもしれないな。でも、中川が言う以上にステキな人だったから、焦ってしまった。自然に仲良くなったほうがいいかもしれない)
すると電話が鳴った。中川からだった。
「啓一、作戦なんだけど」
「中川、もういいよ」
「え?」
「作戦とか、やめよう」
電話の向こうでは中川が絶句したようだった。
「諦めるのか?」
「諦めない。でも、自然に行く」
「自然にって、それじゃ進展しないだろ」
啓一は空を見上げた。白い雲がゆっくりと流れている。
「いや、自然に進める」
昼過ぎ、スーパーカガヤキ。
志乃と中川が本部から来た販売統括担当者と、売り場を回っていた。スーツ姿の男性が、メモを取りながら店内を見回している。
「田中さん、陳列を変えました?」
「お客さんの動線を考えて、特売品が変わるごとに関連商品を入れ替えるようにしています」
男性はメモを取った。
「売上は?」
「前月比で15パーセント増です」
「なるほど」
「入れ替えもワゴンを活用して、手間もなるべくかからないようにしています。田中さんが提案してくれました」
中川が嬉しそうに説明する。
「パートのみんなで知恵を出し合っただけですよ」
志乃は謙遜して頭を下げた。
販売統括担当者が去った後、中川がつぶやいた。
「実は、激安スーパーが近くにできるんです」
志乃は驚いた。
「え!いつですか?」
「再来月。去年閉店したスーパーを居抜きで買ったみたいです」
「まずいんじゃないですか?」
「価格勝負だけじゃ分が悪いですよね」
志乃の目が輝いた。元バリキャリの血が騒いでいる。
「客層、価格帯、品揃えを分析して、価格以外の武器を探しましょう。店長、私を特命係にしてくれませんか」
「ぜひ!パートの仕事は午前中だけにして、あとはマーケティングの特命係としてお願いします。皆さんには私から報告しておきますね」
中川は嬉しそうに頷いた。志乃の提案に救われた気持ちだった。
放課後、高校の進路指導室。
市乃は担任と向かい合っていた。机の上には進路希望調査の用紙が置かれている。
「田中さん、進路希望は?」
「まだ決めてません」
「オープンキャンパスとかに参加する人も増えているよ」
市乃は窓の外を見た。校庭では部活動に励む生徒たちの声が聞こえてくる。
「先生、留学ってどう思いますか?」
担任の目が丸くなった。
「留学?」
「在学中に短期留学とか、海外の大学に進学とか」
「うちの高校には例がないから、ちょっと調べないと」
担任は考え込んだ。
「英語の成績は悪くないけど、海外暮らしするには、もっと会話力が必要ね」
「はい」
「手続き方法は私が調べておくわ。このことは親御さんには相談しているの?」
「まだです。先日考え始めたところなんです」
市乃の目に、何か決意めいたものが宿っているのを、担任は見逃さなかった。
夜、キララは電車に乗っていた。
彼氏とのデート帰り。でも、表情は晴れない。窓に映った自分の顔が疲れて見える。
(また会話が続かなかった)
志乃のアドバイスを実践してみた。オウム返し、動作の真似。でも、ぎこちなくなるばかりだった。
スマートフォンが鳴った。彼からのメッセージ。
『今日も楽しかった』
キララは返信した。
『私も』
でも、本当は楽しくなかった。
(何が違うんだろう)
ふと、志乃とまどかの会話を思い出した。あの二人は、黙っていても心地よさそうだった。
(あれが本当の相性なのかな)
夜、まどかの自宅。
まどかの夫高広がソファでテレビを見ている。まどかは隣に座った。
「ねえ」
「ん?」
返事だけで、高広は画面から目を離さない。
まどかはリモコンを取って、テレビを消した。
「なんだよ」
「話があるの」
夫が渋々体を向けた。
「なに」
「最近、私たち会話してる?」
「してるじゃん」
「これが会話?」
夫は困った顔をした。そういえば、いつからこんな関係になったのだろう。
「じゃあ、何を話せばいいんだ」
まどかは考えた。そして、笑った。
「今日あったこと、話して」
「別に、普通だよ」
「普通でいいから」
夫は戸惑いながら、仕事の話を始めた。プロジェクトが成功裏に終わって打ち上げが盛り上がったこと、新入社員が辞めたこと。
まどかは相槌を打ちながら聞いた。
久しぶりに、高広の声をちゃんと聞いた気がした。
夜十時、志乃の自宅。
志乃はダイニングテーブルでノートパソコンを開いていた。対激安スーパーへの分析だ。画面にはグラフや数字がずらりと並んでいる。
「ママ、まだやってるの?」
市乃が顔を出した。パジャマ姿で、眠そうな目をこすっている。
「これを店長にメールして。ああ終わった!」
市乃はテーブルの向かいに座った。
「ママ」
「なに?」
「幸せ?」
志乃は顔を上げた。
「急にどうしたの」
「ただ、聞きたくなって」
志乃は考えた。
「幸せよ」
「仕事だけで?」
「仕事だけじゃない。あなたがいて、友達がいて」
「恋人は?」
志乃は苦笑いした。
「そんな歳じゃないわよ。いくつだと思ってるの」
市乃は志乃を見つめた。
「本当に?」
「本当」
市乃には、母の目が少し泳いだように見えたのだった。
翌日の朝、スーパーカガヤキの事務スペース。
志乃が出勤すると、中川が待っていた。
「田中さん、昨日の分析見ました」
「どうでした?」
「いけますよ。仕入先のメドもついているし。先手必勝ですね!」
志乃は安堵した。
その時、入り口から啓一が入ってきた。
「おはようございます」
志乃は驚いた。




