崩壊の楔 商人編
「たっ助けっ」
「あー、今はそう言う事は良いから」
薄暗い室内、男が二人。
一人はやや広めの応接室の奥にあつらえた執務机に腰掛け、書類を読む男。
もう一人はその執務机の椅子に腰掛け脂汗をかき、顔色を真っ白にし時たま身動ぎしながら助けを求めている肥満体の男。
机に座る青年はハァと溜息を吐くと、面倒なと言う表情で懐から一枚の黄色い紙片を取り出し、肥満体の男の喉へと貼り付ける。
「其は音を紡ぐモノ、呪を持ち音を出す事を能わず、急々如律令 禁」
「………ッ」
男の口から淡々と出た呪禁は、肥満体の男の口をその言葉通りに塞ぐ。
脂汗を流す肥満体の男の顔色は、先程の白を通り越し蒼白になっていた。
身動ぎ出来ない、声も出せない。肥満体の男は恐怖の坩堝でもがいていた。
呪をかけた男は興味をなくしたと言うより、最初からそんな事は無かった様に書類を読み続け、それが更に恐怖を煽る。
そんな時、何もない空間から少女が一抱えする書類を持って突然現れた。
「追加の帳簿でーす。あー疲れた」
「去年やつか?」
「ですね〜。これが子爵領内の小麦売買を独占する為に賄賂を送った数字で、こっちが商売上邪魔になったライバル店にゴロツキを送る為に雇った金の流れです」
「だろうな、それはこっちの書類に残っていた。あと、そっちに使途不明金が大口でなかったか?」
「ありますね。コッチのワイン6樽が金貨10枚で王都のとある酒場に卸されているはずなのに、在庫のワイン樽の数字が変わってないです」
書類を突き合わせてまるで税務署の職員のような会話をする二人。
そんな二人を肥満体の男は、信じられないモノを見る様に目を大きく開いていた。
「ん? ああ、不思議かな? それは驚くか。何せ『改竄する前の帳簿や燃やした筈の書類があった』ら驚くか」
人を喰った様な笑顔を浮かべる書類を持った男こと風文は、机を支点にグルリと回転して肥満体の男を覗き込む様に見た。
「何、ただ時を駆け戻って貰って、改竄や焼灼される前にコピーしただけさ。こんな風にね」
風文は書類を持った逆の手に一枚の封書を取り出すと、書類に軽く当てる。
すると、封書は幻の様に像を揺らめかせると、当てた書類と同じように変化した。
「……っ」
「面白いだろう? 式神の応用なんだが、思いの他の使い勝手が良くてね」
ニッコリと笑う風文は封書をもう一つ取り出すと、ゆっくりと肥満体の男へと近付ける。
今までの事から肥満体の男は、今から何をされるのかがスグに解った。その恐怖から、反射的に肥満体の男は身動ぎして逃げようとするが身体はピクリとも動かない。
肥満体の男の恐怖を煽る様に風文はワザとゆっくりと封書を当てる。
それを傍目から見ていた少女こと輝夜は、クワバラクワバラと書類を見て視界に入れないようにしていた。
当てた瞬間に風文は封書を部屋の真ん中に放り投げる。それは予想通り、封書は像を揺らめかせると肥満体の男へと寸分違わず姿を変える。
違うところがあるとすれば、複製された肥満体の男は片膝をつき風文に対して恭順の意を見せて、本体と違い芯の通った意志の強い瞳をしていた。
「ご命令をマスター」
「うわぁ、泉の女神を思い出す」
「それは綺麗な商人ですか、それともこっちの誠実な商人ですか?」
「いや、もっと悪徳な商人を」
「貴女は正直な人なので誠実な商人をあげますってか?」
「肥満体の時点で誠実さがないです」
ワハハと笑い合う二人に動けない肥満体の商人は、顔を真っ青にして自分と寸分も変わらない偽者を見ながら『これから起こる』未来を見た。
「さて、泉の女神は等価交換ではないが、落とした斧は帰ってこない。しかし、君は今いる………どうしようか?」
「ゔーっ、ゔーっ」
「まあ、呪殺でもなんでも練習がてらになんでもいいんだが。まあ今回のコンセプトを考えると…………これかな?」
風文が男に書類の一枚を見せる。それはとある貴族に頼まれて、政敵の娘を傷物にして王家との繋がりを切る仕事の依頼書。
それはどこにでもあるようなシンデレラストーリーで、男爵の娘が第3王子と恋に落ち、結婚間近まで行った話だった。
そしてそれを良く思わない別の貴族が横槍を入れる、それもどこにでもある話。
「この前行ったうらぶれた飲み屋で、草臥れた娼婦からこれの話を聞いてね。酒を奢ってたら、色々教えてくれたんだよ。彼女の名前はクラーラ、知ってるよな?」
知ってるも何も、肥満体の商人の目の前にある書類にその名前が書かれている。クラーラ・ダリアリース男爵令嬢その名前が。
「まあ、今回は暇つぶし程度のつもりだったんだが今やってる計画の流れ上、お前の『地位と名誉と人脈』が必要でな。片手間で代理復讐しとこうかとな?」
風文は紙と特殊な墨が入った墨壺を取り出すとサラサラと何かを書き出す。
「えー設定は、名はカトレア、隣国の取り潰された貴族の娘。傲慢で高飛車な性格、今までは身分をかさにきてやりたい放題と」
「えーと? 風文さんなにを?」
「いやなに、因果応報って奴を実践したくてな、カバーストーリーを作ってる。しかしながら容姿は美しく男を……と、あー面倒くさいな。後はこの間マリアが買ってた中古の乙女ゲームの設定でもいいか」
「? ? ? ?」
いきなり不可解な事をやり始めた風文に、輝夜は疑問符しか頭に浮いてこない。だけど解った言葉もある。乙女ゲーム、輝夜の頭に流れるのは高校の友達との会話。
『かーぐ、ゲームしない。スマホのアプリなんだけど』
『ごめーん。私まだガラケーなんだー』
『えー、折角カグにフレンドになってもらって特典を手に入れようと思ったのに』
『ヒドイな。てか、いつも通り? ……ちなみに何のゲームなの?』
『ジャンルは乙女ゲーム。いわゆる一つの……』
「確か、主観が女性で男性キャラクターとの好感度を上げて擬似恋愛を楽しむゲームだっけ?」
輝夜は言葉にするものも、良く分からない。楽しそうに書きつける風文を見れば、余計分からない。
「……と最後に婚約者の王子に断罪され、厳しい審問で心を壊し今にいたると」
「なんか、えらい設定っ⁉︎」
「出来た。見てろよ?」
風文は書きつけた紙を他の黄色い符と共に一際大きな紙で封書にすると、顔色が悪い肥満体の商人に今度はすんなりと当てる。
瞬間、肥満体の商人が姿を変える。
金糸のウエーブの掛かった、いわゆる貴族の令嬢に。
「えっ?」
「よーし、良い出来だ。思考はどうかな?」
「ひっおよしになって王子、私は幸せになるのよ。だから私は裁かれるなんて、嘘よ嘘。平民は私の美しさの為にあるのよ」
「ええええ」
「ふむ、言語やにややベタさがあるが、イイ感じに壊れている感がでてる」
「ちっちょっと、風文さん。コレなんです?」
あまりの事態に輝夜の言語がおかしくなりそうだった。
それもそうだろう、さっきまで脂ぎったザ・悪徳商人と言うような人物が、いきなり顔はキツめの華奢な貴族令嬢になったら普通混乱する。
「コレ? ただの式神だが?」
「式? えっ式って普通は使い魔見たいに、あれ?」
「式神とは術式を元に使い魔を形成する儀式だ。世間一般では使い魔っぽく、狼や鷲とか自分の分身を創るんだが。使い勝手を更に良くする為に、弄ったんだ」
「えっでも、人がっえっ?」
「ただの応用だ。分身を創る式を元に、思考回路を上乗せして肉体精製のパラメータを弄って、対象の身体の上に被せるように変化するようにしてある。解りやすく言えば、勝手に動く着ぐるみを着せた様なもんだ」
「あ、えっ。でも体積がおかしくないですか?」
「それが式神の面白い所でな……」
楽しそうに解説を始める風文を余所目に聞き流しながら、輝夜はゲンナリしながらブツブツと虚空をみて呟く(仮)貴族令嬢を見て気付く。
「変身出来るのはいいんですが、彼女? 彼? どうするんです?」
「…で、空間膨張式を、ん? ああ、そうだったな、オイ」
膝をついて控えていた商人の式神が立ち上がる。
「この女をお前の記憶にある中で最悪の性癖を持つ奴に献上してやれ」
「御意」
輝夜は声も出ない程に、悪徳商人に同情していた。何せ身動きも声も出ない上に、自分と瓜二つの得体の知れないナニカに売られた挙句に、同性の男に性的に嬲られるのだ。
「風文さん、あの式は中の人は?」
「ん? 当然の事ながら感覚だけリンクしてる」
「ですよねー」
不謹慎だか輝夜は、あの悪徳商人には早く狂ってしまう事を祈った。