インプリィンティング
主神が実用性に、趣味と道楽を追加した暗く湿った地下迷宮。
そこは観星と風文が入った直後とは違い、ネガティブな雰囲気が一変していた。
明かりは暗く、空気は重く、一切の音が無く、長時間いれば気が狂いそうになる空間。
通路の奥には闇が澱み何かが蠢いているかの様に錯覚する程。
そんな地下迷宮の一画では、今か今かと何か出てきそうなおどろおどろしい雰囲気とはミスマッチな声が響いていた。
それは女性の泣き声で、何かから開放されたかのような泣き声。
薄暗い地価迷宮の中で目を凝らせばペタンと尻を床に付けシルバーの瞳を濡らし、幼子の様にワンワンと泣いている女が居た。
童謡の犬の警官ではないが、泣く女にホトホト困ってしまっているのは少し彫りの深い顔付きをした男、三剣風文。
彼は女の前に立ち、片手で眉間を揉んで悩んでいた。
それは女を慰める事ではなく、今からの事。
「ふええええ」
風文は疲れていた。
原因は、何時もの如く突拍子も無い事を言う我らの主神。
右手には剣を象り左手には槍を象った意匠をした肘まである手袋、足には猫をイメージした模様が入ったブーツを履いている長身の女性が、かれこれ30近く泣いていれば聞いているほうは疲れるのは当たり前。
傍目から見れば、風文が泣かしたのだろうと思うだろうし早く慰めろと言う声も聞こえてきそうだが、ところがそうはならない。
此処は暗く湿った地下迷宮の中であり、彼女の後ろにはズタズタに切り裂かれ砕かれ、こんがりウエルダンに焼かれているトカゲのような巨大な生物が居るのだ。
突っ込める人間が居ても何処から突っ込んで良いか解らなくなる様な状況。
だが彼にとっては、もうどうでもよさそうだった。
「予想外にも程がある。何が有能な部下になるだ…なんて危険物を…」
慰めるとか今の状況なんて彼にとってそれどころでは無い、今から予想される苦悩で頭を抱えていた。
回想 三時間前 『保管庫(分類北欧)』内。
「??」
風文はソレを最初に見たときよりも顔を顰めさせた。
それは女性を象徴する豊満な体を持つイメージとは、とてもアンバランスな表情だった。
あえて言うならば、親鳥を始めて見た雛鳥のような表情で普通の人間にとっては可愛いだけなのだが、風文にとってはとんでもない程の不安を呼び起こすようなモノ。
「みっ観星?」
「なに?」
「一つ聞いて良いか?」
「いーよ」
ほぼ的中しているであろう、確定まがいの答えをあえて聞く風文。
この場合は、寧ろ来ると解っているであろう災厄に対しての気構えとでも言うべきだろう。
「フォーマットはしたのか?」
「したよ?」
「…記憶の方は?」
「当然」
最悪だと頭を抱える風文。
大きな問題があった、記憶が無いという事は経験が無いという事だ。
人形の由来『フレイヤの代わりにオーディーンの前に出した』と言うならば、遥か昔の神々の戦い『ヴァン神族』と『アース神族』との戦闘に借り出されていたはず。
それならば交渉事や戦略、戦闘に関して優れているはず。
護衛対象に付かせるのに、これほど心強いものは無いはずなのに。
完全にフォーマットされていると言うのであれば…。
「まさか…雛鳥と同じで、一から教えないといけないと言うんじゃなかろうな?」
「流石、風文。自在にIQEを変動させるが測定不能の男と言われるだけあるぅ。大丈夫、大丈夫。道具の扱いは最初からインストールされているらしいから。」
「当たり前だ!!使えんで…何が!!??」
少し声を荒げながら話していた風文は、そこで気付く。
何時の間にかに人形の瞳が開いていた、シルバーの虹彩が大きく風文の方向を見て潤んでいた。
涙目で風文を見る大人の身体をして少女の様な表情を持つ彼女は、彼に詰め寄りながら一気にまくし立てる。
「わわっ私、使えませんか? 不良品ですか? 失敗作ですか!?」
「え? あ?」
「あーあ。風文泣ーかした」
「ちっ違うだろう!?」
慌てる風文。
それはそうだろう、見かけは金髪美女で幼子のような表情して泣かれれば普通は戸惑う。
それとは対照的に観星の言った風文と言う言葉に敏感に反応する人形。
どうやら自分の主の事を知り反応した様子だ。
「マスターの名前は風文、風文、風文………」
人形は突然踞りブツブツと呟きながら風文の名前を反芻する。
それを見て風文はボソリと呟くように観星に言う。
「観星、多分こいつ物覚えが悪い」
「製造年代が6000年前だからねぇー」
途端人形は、バネ人形よろしく跳ね上がる様に立ち上がると風文に詰め寄る。
「私、物覚え悪いですか、馬鹿ですか、うろんですか、とろいですか? 使えませんか!? ああーマスターにご迷惑を失望させてしまったー!!!!!!! こんな私はきっと廃棄だ遺棄だ産業廃棄物になってゴミの山に放置されるんだー!!! マスター、どうか御慈悲をっ!!!」
言うだけ言って感極まった人形は風文の胸に縋り付きながら泣く。
今までに経験した事のなかった事態にフリーズする風文は、ギギギと錆び付いたブリキ人形の様に観星の方へと首だけ動かし向き。
ゆっくりと手刀を振り上げ、何?という風に首をかしげた観星に振り下ろした。
「とうっ!!」
「あたっ。主神に何すんのよ。最高の攻撃力を提供してあげたのに。」
「…本気で言っているのか?」
振り下ろした手刀そのままで観星の頭を鷲掴みする。
本気で言っているのかと言っている様に手に力が入っていく。
「マジもマジだよ? アダダダ、とりあえず試験的に戦ってみれば良いんじゃないかな?」
「何と?」
「これ」
観星の頭を掴んだ手が空を切る。
風文が瞬きをした瞬間のことだった。
一瞬にして、掻き消える観星。
それと同時に地下迷宮に声が響き、天井が高くなり壁が一斉に動き始める。
そして、地下迷宮の一角が広くなり巨大な足音が風文達に近づいてきた。
広がる薄闇の向こうから何かが近づく、滲み出す様に闇から現れる何か。
ヌラヌラと光る土色の鱗。
重い足音と共に聞こえる『ナニかが』大地を抉る音。
巨大な吐息と、生臭い匂い。
「おいおい…、試金石にしちゃ豪勢だな」
引き攣り交じりの風文の声に反応した人形は、彼の胸から頭を離しソッと音のする方向へと振り向き硬直する。
「あっああああ!!」
「あんまり、騒ぐな。たかがドラゴンだろうが…それとお前の性能試験だろ、がんばれ?」
そこにいたのは、とても大きな、ドラゴンだった。
「ひええええええ!!!!!」