とある愚かな王子の末路
優秀な公爵令嬢と婚約した無能な王太子が、別に婚約破棄とか言い出すこともなく平和に結婚するだけのお話。
コンスタントというのは、無能な王太子であった。
正確にいえば、普通に生活していける程度の能力はあった。けれど政治的な能力に乏しく、現国王夫妻の唯一の御子であり、王太子であり、将来の国王としては些か頼りないものだった。
現国王夫妻は優秀なことで知られていたから、その御子であるはずがどうして、とまで一部の貴族たちからは囁かれるほどだった。
そこで、コンスタントの能力を補うために婚約者には飛びきり優秀なご令嬢が選ばれた。公爵家出身の、それは美しく、賢く、教養深いご令嬢だった。
この婚約には国の未来がかかっているに等しいので、顔合わせは慎重に行われた。引き合わされたコンスタントは、ご令嬢のアラーナを見て、見た目だけは美しく微笑んだ。
「あなたが婚約者になったのだね、これからよろしく」
声音は柔らかく、口調は優しげだった。けれど、『こう口にするのが恐らく正しいだろうから口にしている』というような、温度のない声だった。
周囲の心配に反して、コンスタントとアラーナは特に問題なく交友を深めた。月に一度はお茶会を催して穏やかに言葉を交わした。
コンスタントの完璧な微笑も、口調も、婚約者として初めて顔合わせをしてから全く揺らぐことはなかった。たぶん、そこらの小石にでも話しかけるほうがまだしも感情豊かだっただろう。もっとも、コンスタントというのはそもそもそういった少年なのだった。
よくある物語のようにコンスタントが王立学園で男爵令嬢と出会うなどということはなく、婚約破棄などと言い出すこともなく、二人は王立学園を卒業後につつがなく婚儀を終えて初夜に臨んだ。
その初夜の場で、コンスタントは吐き戻した。
心配するアラーナに、コンスタントは微笑んだ。昔から一つも変わらない笑みだった。
「大丈夫、問題ないよ。続けよう。これがわたしのお仕事だからね」
そう言って気を取り戻して、一度きりことを終えた。
コンスタントは正直なところ、こんなものかと思った。ただ生温くて、気持ち悪い。
通俗小説では性行為に夢中になる男というのがたびたび登場するけれど、コンスタントはアラーナと体を重ねても何も感じることはなかった。
アラーナも特に反応は示さなかった。コンスタントの顔を見るより、天蓋を眺めている時間のほうが長かっただろう。
性行為というのは女性のほうが負担がかかるものだろうに、好いてもいない男に足を開かなければいけないだなんて、アラーナは可哀想だと思った。まるで娼婦だ。金銭という対価が発生しているぶんだけ、娼婦のほうがマシなのかも知れない。
実はコンスタントは随分と昔に受けた閨教育でもうまくいかなかったし、自分で慰める行為というのも興味がなくて行ったことがなかった。性行為に失敗していつまでも子どもができないでいると、まず責められやすいのは女性だということを知っていたので、コンスタントは失敗しないようにあらかじめいくつかの薬を飲んできていた。
ひとまず仕事を終えられたということに、コンスタントは胸を撫で下ろした。凡庸な自分に求められていることは、ただ微笑んでいることと、子どもを作ることだけだからだ。
性行為は月に日取りを決めて三日から四日、特に妊娠しやすい時期に絞って行った。それが良かったのか、アラーナはほどなくして妊娠した。
アラーナが孕んだのは双子だった。目論見が成功したことに、コンスタントはほっとした。
コンスタントは性行為の前に、多胎児が生まれやすくなる魔法薬を飲んできていた。引き換えにコンスタントの寿命が削れることになったけれど、コンスタントには関係のないことだった。
それからも立て続けに、アラーナは子どもを産んだ。その間にも、アラーナは積極的に政務をこなし、支持者を集めていった。
コンスタントの仕事はその隣で微笑んでいることと、アラーナが確認した書類に印を押すことだけだ。そもそも結婚したとはいえいまだに王太子のままであるコンスタントに対して、極端な仕事は振られない。
アラーナは本当に、優秀な女性だった。コンスタントには勿体ないほどに。
だというのにコンスタントと婚姻させられたばかりに、娼婦のような真似をさせられている。出産までしているのだから、娼婦よりもよほど酷い扱いだった。
可哀想だ、とコンスタントはアラーナを見る度に思った。
だから、コンスタントはアラーナにできるだけ優しくしたし、気を配ることを忘れなかった。プライベートに関わる部分では、何もかもアラーナに良くするように侍女やメイドたちにはよくよく言い聞かせた。無能なコンスタントには、それくらいしか返せるものがなかったからだ。
アラーナとの定期的な性行為は続いていた。最近では吐き戻すことは少なくなったけれど、それでも性行為の前には呼吸が浅くなるし、終わったあとには気持ち悪くて動けなくなってしまうことも多かった。
アラーナから気遣われることもあったけれど、コンスタントは行為を止めなかった。現国王夫妻の唯一の子どもとして生まれたコンスタントにとって、子どもを作ることは無能な自分にでもなんとか果たせるほとんど唯一の仕事だからだ。
そうして、気づけばコンスタントとアラーナが結婚してから五年が経っていた。アラーナは一か月ほど前に三度目の出産でまた双子を産んで、母子ともに健康とのことだった。
だから、そろそろ良いかな、とコンスタントは思った。
この五年でアラーナが産んだのは合計で七人だ。三つ子がひと組と、双子がふた組。すべてコンスタントが服用した魔法薬の効果だった。コンスタントの寿命は、随分と縮んだだろう。
アラーナには大きな負担をかけてしまって本当に申し訳ないと思っているけれど、これからは随分と楽になると思うので、それで勘弁して欲しい。
男児が五人に、女児が二人。これだけいれば、もしも自分に似た子どもが何人か生まれてしまったとしてもストックには十分だろう、と思った。揉めごとを起こすなら間引いてしまえば良い。
アラーナに似た優秀な子どもがいてくれれば、その子どもを国王にすれば良い。その判断を、父国王は間違わないだろう。
そもそも向いていないながらも王太子の座がコンスタントから動かなかったのは、いまの王家の直系が少ないからだった。
国王には弟と妹が一人ずついたけれど、王弟は事故で妻や子どもごと亡くなっているし、王妹は他国に嫁いだので他国からの必要以上の政治的な干渉を避けるために子どもを譲りうけることは避けたい。前国王にも弟が二人いたけれど、遡ってその血縁から探せば不用意な王位継承争いが起きるかも知れない。
現国王夫妻の間には、子どもはコンスタントの一人だけ。これは国民には公表されていないけれど、国王は実のところ深刻な魔力障害を患っていて、もしも側妃を娶ったところでこれ以上の子どもは望めない。
考えられる色々な面倒ごとを避けるために、足りない能力を妃で補う前提でコンスタントが王太子になったのだった。コンスタントは本当に、ただの、要らない、血筋以外に何の価値もない王太子なのだ。
このまま、コンスタントが国王になって、アラーナが王妃になって、ただのお飾りの国王として生きていくこともできただろう。けれどそうするには、コンスタントは少しばかり生きることへの興味が足りなかった。
このまま、貴族たちの無言の嘲りに耐えながら、使用人たちからの親切だけれど空虚な慇懃さに耐えながら、国王として立つ未来が、コンスタントには少しも見えなかった。コンスタントは疲れていたのかも知れないし、そもそも生きることそのものに向いていなかったのかも知れなかった。
能力が足りないことは自分で判っていた。努力だってしていた。けれど、どうしても、コンスタントは国王には向いていなかった。
砂を掴むような日々がこのまま何十年も続くのかと考えたら、コンスタントは海の真ん中に板きれ一枚で放り出されたような気持ちになるのだった。
そもそも、周りの人間はコンスタントに最初から期待をしていない。何もかもアラーナが良いようにするだろうと思っている。コンスタントは、生きていても生きていなくても変わらない人間なのだ。
ならば、生きていなくても良いだろう。
アラーナと婚姻する前夜に、父国王と二人きりで話した。普段は冷徹な国王の顔を崩さない男が、コンスタントの知る限り初めて父の顔をして、コンスタントを憐れんだ。
――お前は、平民として生まれてくりゃそれなりに幸せだっただろうになあ。
あのときに、コンスタントはようやく気づいたのだ。
努力は無駄だったのだ。努力は報われないのだ。努力には意味がないのだ。すり切れるほど読み返した本にも、真っ黒になるまで何度も繰り返し書き取ったノートにも、ペンだこだらけの指にも、何の価値もなかったのだ。
コンスタントは、生まれてきてはいけなかったのだ。生きていることそのものが間違っていたのだ。最初から生まれてこないことだけが、コンスタントの『正解』だったのだ。
そのことに気づいたから、コンスタントは疲れてしまったのだった。このまま生きているくらいなら、あるか判らない来世にでも期待したほうが幾分かマシだった。
コンスタントの人生に巻き込んでしまったアラーナには、本当に申し訳ないと思っている。たくさん迷惑をかけてしまったし、たくさん負担をかけてしまった。
だから、せめてこれから先に困らないように、コンスタントの私財はすべてアラーナに移すように手続きは終えてある。それに、七人もの直系王族の生母であれば、悪いようにはされないだろう。
血筋にしか価値がないコンスタントが七人もの子どもを作ったのだから、もう十分だろう。現国王夫妻はまだ若い。今から子どもたちの教育を始めたって、十分に間に合うだろう。
ようやく、ようやく、コンスタントはたぶん生まれて初めて、自分に生きていることを赦せる気がした。
あらかじめ用意しておいた飛びきりのワインに毒を混ぜ込む。もう何年も前からコンスタントには食事の味なんて判らなくなっていたけれど、口に含んだワインはどこか甘い気がした。
わたしの作品は誰かが毒を呷りがちー! これはもうそういう性癖なんだと思うしかない
タイトルは『王子』じゃなくて『王太子』かもな、、って思ったけれどいまいち語感が良くなかったので語感優先です
どこかで『なろう小説では凡庸な王子を優秀なご令嬢に支えさせるみたいな設定をよく見かけるけれど、それはそれで支えられるほうにも別の才能が要るよね』みたいな意見を見かけて、『なるほどなー』って思ったので書いてみました。こういうことで合ってる??
【追記20250715】
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