第1話 画面を超えて
葦原がスパゲッティを作っているとドアベルが鳴った。そこには白く長い髪の美少年がいた。どうやら話を聞くに訪れたのはつい先ほどサ終したネトゲで遊んでいた風変わりな人物の様で…
『バーチャルワールド』…12年前に株式会社ツクヨミからサービス開始されたネトゲである。当時の人気は凄まじく大勢の非オタをオタク面に引き摺り込んだ。
その時代では比較的性能高めのパソコンでしかプレイできなかったがインターネット黎明期を過ぎた頃だったため二次創作も活発的だった事、人気が出る兆候を見るや否や漫画化、アニメ化、グッズ化と生き馬の目を抜く速さで販売戦略を展開したため爆発的な人気が出た。
当時はオタクに対する世間の目は冷ややかで誰もが表立って自分はオタクだと言いづらく、友達や仲間とひっそり話をするだけで表には出さないのが一般的だった。現在堂々とオタク宣言をしてアニメや漫画の事でおしゃべり出来る様になったのはこのゲームによる革命のおかげだったと言える。
サービス開始からはや12年。オタクであれオタクでなかれ目にした事、聞いた事がないと言う人の方が珍しいレベルでオタクコンテンツの三大金字塔とさえ言われたが…。今はその見る影もない。
アニメ、漫画、ゲームの全てが供給過多になってしまった。数あるコンテンツから面白い物を探そうとすればやはりレビューや評価を頼らざるを得ない。やがてオタクは冒険しなくなり話題作を追う様になった。人気があれば面白くても面白くなくても皆と同じネタで盛り上がれる。しかし人気がなければそれをネタにして話せる人がいない。
極端な言い方をすれば作品そのものは面白くなくても問題はなく、マーケティングが上手い方が人気が出る様になった。当時の株式会社ツクヨミの販売戦略は後世まで参考にされるほどだったが既に時代遅れである。
運命の分岐点はライト層向けにゲームの難易度のイージー化にする流行に乗り遅れた事だった。それ以前はゲームは高難易度の方がウケがよくレアアイテムもドロップ率は低ければ低いほどそれを入手できた者が注目された。
しかし常連ユーザー向けに調整されたゲームでは新規層は取り付きづらくレアアイテムが欲しければ古参勢を頼ってパーティーに入れてもらい周回するしかなく、根強い人気があった頃は古参勢の不快な態度に業を煮やしながらもゴマを擂りながら付き合うユーザーも多かったが次第に新規層に親切なゲームへ離れて行く様になった。
社内でも新規に取り付き易い様にバランス調整をすべきだと声が上がったが大枚を叩くコア層、古参勢が離れると困るからと言う理由で周りの流行に逆らい作風を変えなかった。
やがて新規が過疎る事により次第にゲーム内のレアアイテムや武器防具に次第に価値を見出せなくなった事や著しい民度の低下に辟易したコア層、古参勢が離れて行った。ゲームを離れたアンチによりコンテンツは燃やされ、信者はより害悪さを自ら発信すると言う地獄の様相となり、さすがに運営もまずいと思いバランス調整と注意喚起、規制に力を入れた。
運営の判断は間違っていなかったが如何せんタイミングが遅過ぎた。それまで信者だった層が運営から裏切られたと激怒して離れたりアンチになったりした。ゲームバランスは調整され、民度も良くなり、誰もいない無味無臭のゲームだけが残った。
サ終の1時間前、特に意味なく高難易度クエストでレアドロップ周回をする男がいた。彼の名前は葦原瑞穂と言い、友達に誘われたのをきっかけにプレイを始めバーチャルワールド歴7年目の社会人である。
一緒に周回しているのはポン太と言う男子学生である。服の種類の多さとデザインの好みからバランス型の魔女を使っている。バーチャルワールド歴5年でまだ大幅なバランス調整が入る前にやって来たがアタッカー、ディフェンス、サポート、しょぼい装備と低レベルと中級者向けの職業でいずれも初心者とは思えないほど手堅くこなすが歯に衣を着せぬ物言いがしばしば古参プレイヤーの癇に障りどのグループにも歓迎されなかった。
やがて孤立してどのチームにも入れてもらえずクエストボード前で「仲間に入れてください」と言う吹き出しを表示させたまま突っ立ってるのを見かねた葦原が声をかけて一緒に遊ぶ様になった。
また、ポン太は素直で優しい人ではあったが不可解な言動も多く葦原がいないとコミュニケーションが難航する事がしばしばあった。葦原のリア友をして彼とのコミュニケーション体験を地球に異文化交流を目的とした高度な文明を持った宇宙人との交流体験の様だったとまで言わしめた。
彼らは通話アプリで言葉少なく一緒に周回している。長らくお互いにキーボードでチャットを飛ばしてコミュニケーションをしていたが過疎って一緒にプレイするメンバーが大体2人になった頃からポン太から通話アプリで通話する事を提案して来た。お互いにあまり話さないので葦原はこの提案に驚いた。
提案された通話アプリは匿名性が高く、また大企業により運営されてる物だったので特に断る理由もなく一緒に通話しながらプレイしていた。しかし実際に発言するのはクエストについての確認と席を離れるぐらいで通話時間中の殆どは無言だった。葦原から何か話題を投げようにも楽しいのか楽しくないのか一言、二言ぐらいしか話さず話は続かない。
ある日、葦原が喋らないなら通話の必要はないのではないかと尋ねると通話で繋がっていると言う実感が欲しいと答えた。何か家庭に問題があるのではないかと思い葦原はそれ以降は何も言わずこの奇妙な通話を続けた。
それも今日までである。葦原はもう新しいネトゲもソシャゲもやらない。だからこうしてポン太と通話する用事もなくなる。彼がどこに引っ越しても会う事はない。ポン太も新しいゲームを誘う事はしなかった。
やがてサ終まで1分を切った。最後にポン太にお礼を言おうと思った所でスマホに友達からのチャットが飛んでくる。適当に返信して何を言うか考えていると急にポン太が口を開いた。
「ビデオ通話オンになってますよ」
「え?」
葦原が驚いてスマホを見ると内カメラがオンになっていた。先ほど友達のチャットに返信した際に誤タップしてしまったのだろう。スマホスタンドを使って通話していたので顔も部屋も丸見えだった。
「やばっ」
ビデオ通話をオフにしようとすると今度は電話を切るボタンを押してしまい通話が切れてしまった。画面を見るとバーチャルワールドはサ終しました、今までプレイしてくれてありがとう!の文字。葦原はため息をついて通話アプリで「さっきはごめん、一緒にプレイしてくれてありがとう」とチャットしてパソコンを閉じた。
既に日課と化していたバーチャルワールドがサ終し、今更新しいネトゲもソシャゲもやる気がなくこれから空いた時間はどう過ごそうとぼんやり考える葦原。
彼はソファに寝転がったり、完読してない本を開いて閉じたり、何となくSNSのTLをスクロールしたりしているとやがて昼ごはんを食べておらずお腹が空いてる事を思い出した。
葦原は棚に山積みされてるスパゲッティの麺を取り出して茹でる。葦原は1日3食スパゲッティしか食べない。朝と昼と夜でいつも同じ3種類のスパゲッティソースを使っている。飽きる様子はない。
スパゲッティの麺を茹でながらウォンバットの写真付きのカレンダーを眺めながらぼんやりとしているとドアベルが鳴った。火力を弱火に設定して玄関を開いた。
「…?」
目の前にいたのは面識のない美少年である。白く長い髪、生気はないが美しいエメラルドの目、ワインレッドのシャツにカーキ色のサスペンダー付き半パンツ。彼は葦原に目を向けるとニコリと笑った。
「思った通りだ。お兄さん、こんなに近くに住んでた」
「どこかで会ったっけ…?」
「やだなぁ、僕ですよ、ポン太。オガクズさんですよね?」
しばらく何の事か分からなかったがその声と言葉からやっとネトゲの通話相手が自宅に来たのだと気付いた。
「え…ええ??」
彼と通話を切ったのは1時間前。もう会う事はないと思っていたネッ友が相手がいきなり自宅にやって来る。混乱するのも無理はなかった。
「部屋のレイアウト、窓から見えた建物の向きと高さ、光、ここで間違いないと思ったんです」
葦原の住むマンションは40階建てである。広さは75坪ほどで個室は横にズラリと並んでいる。ビデオ通話になってから通話を終了するまでの時間はどう多く見積もっても一分に満たない。
仮に同じマンション住みにしてもこのマンションで顔を合わせた事はなく近くの部屋とも考え難い。またこのマンションは2つ隣のドアベルの音も聞こえるので総当たりでやって来た可能性もない。
つまりポン太は通話を終了させてから1時間以内に位置を特定して真っ直ぐ見ず知らずの葦原の個室に向かって来たのである。葦原は恐怖した。
「中に入れてもらえますか?」
「それは…その…」
葦原の脳裏に過ったのは学生誘拐事件と言う見出しの新聞紙の見出しと自分の顔写真だった。ポン太とは長らく友達をやって来た。好意的に受け取れば彼がここまでやって来たのはこのまま関係を終わらせたくないと言ういじらしさでもある。
がしかし、親との面識も断りもなく未成年が社会人の家にいると言う事、これは非常に非常にまずい。ここは事を荒げずに丁重に断りお帰りいただかねば。結論が出た葦原は営業スマイルでポン太に話しかけようとしたが気が付けばポン太はそこにはいない。
「?!」
確かにさっきまでは会話をしていたはず。まるでキツネにでも摘まれた様な気分になり、扉を閉めて部屋に戻った。するとどうした事だろう、ポン太は玄関先から移動してベッドで寛いでいるではないか。
葦原はドタドタと駆け寄りリラックスしているポン太を揺さぶった。
「だだだ、駄目じゃないか勝手に上がり込んじゃ!」
「だってお兄さん硬直しちゃって動かなかったんですもん」
「あのねえ…。大人は怖いんだぞお…?優し〜い顔して近付いて、油断してると…」
「お兄さんは人畜無害ですよ。そう言う顔してます」
「人は見た目で判断しちゃ駄目だよ」
「判断材料にならないのは美醜だけで面構えや体格や身だしなみや仕草は当人の人間性を知るのに役立ちます。取り繕える所でもあるので盲信はできませんが内面を知るのに役立つ情報ですよ」
ポン太は背中を向けながらお布団の中に潜りながら言った。葦原は言い返せず言葉に詰まってると彼はくるりとこちらを向いた。
「何を作ってるか知りませんが火の方を見に行ったほうがいいんじゃないですか?」
気が付けば厨房の方から沸騰する音が聞こえていた。
「そうだね…」
そう言って彼はスパゲッティを完成させに厨房に戻った。
リビングルームに戻るとポン太の方から自己紹介して来た。
「僕は歎夜明久って言います。明久かポン太、呼びやすい方で呼んでください」
「私は葦原瑞穂。…どうして急に私の家に?」
「…葦原さん、他にネトゲやソシャゲやってます?あるいは、やる予定あります?」
「ないな」
「仮にSNSにいたとして、初期アイコンかつROM専じゃないですか?」
「そうだけど…どうして?」
明久はそっぽを向いた。
「僕、嫌だったんですよ。葦原さんとの関係がバーチャルワールドで終わってしまうの」
「明久君…」
彼は気難しいがやはり多感期の子供である。家族やリア友に言えない悩みなどあるのかもしれない。もし自分が誘拐の罪で起訴されたら家族は悲しむだろう。友達はショックだろうし、職場には迷惑をかけてしまう。だが、もし彼が誰にも言えないSOSを訴えているのだとしたら、このまま見捨てても良いのだろうか。そんな訳ない。良いはずがない
葦原は明久と改めて友達になろうと決意を新たにすると、何故かベッドには明久がいない。キョロキョロと見回すと彼らベランダの窓から外に出て手すりに座った。
「ままま、待って!!ちょちょ、待っ!」
「ではお兄さん、また後ほど」
そう言って後ろ向きに倒れて落ちた。駆け寄る葦原が手を伸ばすが届かない。
「明久君!!!」
ベランダから下を覗くが、不思議な事に明久の姿はどこにもなかった。確かに目の前で落ちたはずなのに。ぶわりと変な汗をかいて心臓の鼓動が早くなる。葦原は自分は気が触れてしまったのではないかと疑う。
「何か呼びましたか?」
下の階のベランダからひょっこりと明久が顔を出した。
「?!」
「…ああ、すみません。言い忘れてましたけど僕お兄さんの真下に住んでるんですよ。また会いに行きます」
「普通に玄関から帰って!!!」
歎夜明久。またはポン太。彼との交流体験を宇宙人との交信体験の様だったと言う友達といたが、グループの中では彼の理解者とされていた今の葦原にとっても明久との出会いは未知との遭遇に近いと思わせるのだった。
あの日以来は明久は普通にベランダを上り下りして家を行き来して現れ、何をするわけでもなく葦原の傍にいて寛いでいた。一応葦原も彼の家族に会って挨拶に出かけたが見た感じは家庭的に問題がある風ではなく、両親とも祖父母とも関係は良好そうだった。
しかし家族からしても明久のやんちゃ具合は目に余るらしく注意したり説得したりしているが焼け石に水らしい。賢さも身体能力ももはや家族の手に負える範囲を超えており本人のやりたい様にやらせるしかないのが現状なのだそうだ。
バーチャルワールドにハマる前は放課後や休暇はどこで何をしているのか把握できなかったほどで、サ終は家族にとっても不安の種だったらしい。葦原に迷惑をかけている事は重々に承知の上で、彼の所で大人しくしている事だけでも分かれば家族としてはこれ以上の安心はないとまで言われた。
そうして親に明久と友達になるのを了承してもらうと言うより半ば頼まれる様に明久と仲良くする事になった葦原。明久の言動はかなり奇抜だが基本的に放っておいても問題無い事に気付いてからは多少は気が楽になった。
葦原は度々明久の観察をしていたが、彼の行動は基本的にベッドで寝る、ソファで寝る、葦原の方をじっと見つめる、日向ぼっこする、構って欲しくて葦原にちょっかい出して来ると大体そんな感じだった。
ドラマや映画を流しても明久は大抵興味を示さない。ゲームを開いても殆ど見向きもしない。葦原は明久と過ごした数日のうちに気付いた。あの長い無言電話の件と言い明久にとってはただ葦原と一緒にいるのが楽しいらしいのだ。葦原は明久を退屈させまいとあれこれ工夫したりもてなそうとしたがその必要はなかった。葦原が普段通りに過ごしていれば明久にとってはそれでいいのだ。
構えば逃げる。放置すれば寄って来る。おそらくそれがこの明久と言う人物なのだ。
「お兄さんはいつもスパゲッティしか食べないね」
釣り番組を観ながらスパゲッティを食べていると向いに座った明久が不思議に思って尋ねる。バーチャルワールドで5年付き合ってても敬語で話してた明久がタメ語で話し始めたのはそれだけ親しくなったと言う事か。葦原もその点にわざわざ言及しない。
「人間ってのは自然に1日に物凄い数の決断をするんだ。今朝は何を食べようか?履く靴下は?パンツは?何を買おうか?何をしようか?そして夕方までにヘトヘトになって決断の質は落ちる。とてとも疲れる。だからルーチン化するんだ。食べる物は1種類の主食と3種のソース!履く靴下は1種類!買う物はスパゲッティの麺とソース!飲み物はお茶!」
「飽きないの?」
「全然飽きない。真なる自由は制限された日常の中にこそあるんだ」
「付け合わせでバリエーション持たせた方が良くない?」
「いいんだこれで」
葦原は自身の健康に対して関心が薄い。なので友達は良く心配している。明久も気になる様だった。
「僕が作ってあげようか?」
「別にいいよ」
明久は立ち上がって冷蔵庫の中を見る。
「わお…水しかない」
てくてく歩き回って部屋を探索する明久。
「ティッシュペーパーも食器洗剤も洗剤も不足してるよ、買いに行かないと」
「明後日買いに行くつもりだよ」
食事を終えて皿を洗う葦原。傍に寄って来た明久は無言で葦原の顔を見上げる。彼は気にせず皿を洗い終えるとリビングルームに戻ると連続テレビドラマ、流れるカニカマボコの冒険を眺める。明久は隣に座って葦原の顔を眺める。
一緒に買い物に行こうと誘っているのは分かるが毎週この日に行くと決めれば後は急用以外は買い物には出かけないのが葦原である。やがて明久も諦めたのか一緒にテレビドラマを眺めながら足をブラブラさせる。
やっと諦めたかと思うと明久は葦原の袖を掴んでグイグイと軽く引っ張る。
「分かった、分かった行くよ!もう…」
「わーい」
その後、一緒に買いに行く葦原だったが明久が迷子になってショッピングモール中を歩き回る羽目になるのだった。
私自身は正直オタクと言うよりにわか、エアプ、知ったかと言う方がしっくり来る