トレィス 2
「とぉぃす…いっぢゃやだああ」
うん。おれも別に行きたくて行くわけではない。
出来れば行きたくはない。
二年前のあの日。
プレマルジナはポステアを寝かせ、素早く処置をすると、じゃあ、あとはよろしく、と何事もなかったかのように、通信を切り替えた。
泣きじゃくっていたデシィが、ピタリと泣き止んで、プレマルジナの腕に飛び込む。
先程までの怯えはまるで見られない。
“デシィ”のプレマルジナに訊ねる。
「何が起こってたの?」
「ぼくには…通信を切り替えられたとしか…
言ってはいけないようです。『知りたかったら二年後ね』との伝言です」
「……はあぁ」
ポステアやプレマルジナが他の個体と通信が出来るのは知っている。
”お父さん”は、トレサとおれに平等に同じことを教えていたから。
それを目の当たりにしたことは無かったし、ましてや遠隔操作が可能なんて事はこの時まで知らなかった。
知る必要もなかったのだけど。
トレサとおれの差は、事象の理解度の違いだと今なら解る。
おれは何も知ろうとしなかった。
にしてもトレサは、デシィと同じ五歳の時に、全てを見据えていたものだ、と感心するしかない。
ポステアの運転する車に乗り込み、本部へと向かう。
「へえ……外ってこんなだったっけ?」
車窓から眺める景色は、以前のものとは別物のようだ。
「二十年……経ってますから」
「君たちの、お陰なんだよね?」
「私は参加してません。他の…人工生命体の尽力です」
「参加、したかったの?」
「…私は、私のすべき事をするだけです」
二十五年前に起きたという、未曾有の出来事。
ひとつの国が仕掛けた攻撃を攻撃で返し、いくつもの“国”と呼ばれる人の集まりが、ほんの数十分で塵と化した。
防衛に撤したこの地にだけ、わずか十二人の人間が残った。
“お父さん”が言うには、残弾を打ち尽くしてしまえば、攻撃は終わるらしい。
その残弾は、ポステアやプレマルジナが身をもって処理をする。
感情ユニットで、移すことの出来る記録。
赤トンボが空を切る。
空は、赤く染まり昼とは違う様相を見せる。
穏やかで、それでいて背中を押すような衝動。
ポステアに似た女の人。
プレマルジナに似た男の人。
俺を見ない二人。
俺?
それはわずかな違和感。
泣きじゃくるデシィの、振り上げた手のちいさな爪で、引っ掻いた腕…痛くもないのに確かに付くささやかな跡。
「本部へようこそ!トレィス!」
「……なぜ、あなたがここにいるの?第一次ドームにいるんじゃないの?また、乗っ取ってるの?」
矢継ぎ早なおれの問いに、プレマルジナは楽しそうに笑っている。
「乗っ取るって怖いなぁ…体を借りてるだけだよ。初対面の3号より俺のが馴染みがあるでしょ?」
「そりゃ、そうだけど、その間…3号?はどうしてるの?」
「俺と見てるよ?主導権が無いだけ」
「そ、うなんだ…」
「ま、その辺もみんな説明してあげるよ。オリジナルならそうはいかないけどね」
それまでおれらの会話に無関心を決め込んでいたポステアが、
「オリジナル…」
と口にした。
「ごめんね。君には関係ないことだ」
プレマルジナはそう言うと、ポステアの耳元で何かを囁いている。
ふっと、ポステアの顔色が無表情になり、演算を始めている。
「何したの?」
「デフラグだよ。長く同筐体を使っているからね。俺にも未知なんだよ」
そう言ったプレマルジナの顔は、夢の中の人物に似ている気がした。
ここは――おれがいた時と変わってないと思う。
如何せん、五つの子の記憶だ。
リビングに着くと、小さな女の子が、一人で、何かを描いている姿があった。
「シィカ」
と、プレマルジナが少女に声をかける。
少女――シィカは顔を上げ、プレマルジナと目を合わせると、一瞬顔を顰めた。
その後、おれを見ると、ぱあっと笑顔を浮かべおれに近寄る。
「シィカと申します。トレィス、初めまして。その節はお世話になりました」
「トレィスです。――お世話?」
「名前です。“よん”なんてとんでもない名前にならなかったのは、トレィスのお陰と聞いています」
ああ、あの時の事か。というか、あの時の子供ならデシィと同じ年だよな?流石、トレサの娘と言ったところか?
と、シィカはおれに…と言っても実質は足にしがみついてるのだけど、多分抱きついているつもりなんだろう。
「わたし、トレィスの伴侶となるためせいいっぱいがんばります!」
はいっ?…プレマルジナは笑いを堪えてるし、ポステアは見たこともない恐い顔をしている。
「まだまだ、子をなすには猶予がありますが、善きに計らってくださいまし」
ポステアがシィカを引き剥がし、プレマルジナが大笑いする。
「トレィス、良かったんじゃないか。晴れて独り身卒業だぞ」
「はあ?なに言ってんだ?」
目の端ではポステアがシィカ相手に真剣な表情で、
「女性は慎みを持たなければなりません」
と、諭している。
シィカは…どこ吹く風で、気付けば“お父さん”もカタカタと音を鳴らしている。
ここからは内容までは確認できないが、モニターには物凄い量の文字が映し出されている。
「おい!プレマルジナ!」
「はい。マリューナは通信を待機にされましたが、明日から本番だよ~とおっしゃってます」
「マリューナ?」
「認識呼称です。通常、人工生命体はドームナンバーでお互いを認識しますが、マリューナは該当しないので、そう呼んでます」
「……意味とか聞いてもいい?」
知らない言葉で煙に巻く。
アイツがやりそうなことだ。
「はい。と…っつう!解りましたっ!“先”です!」
「…………妨害されたの?」
「はい。お話し中すいません」
そう言って、浮かべた気まずそうな顔は鏡でも見ているようだ。
「“不快”ですか?申し訳ありません。私は人と会うのは、トレィスが始めてですから」
デシィのプレマルジナと初めて顔を会わせた時の硬質な表情からの、データの収集の開始。
「で?何でおれがシィカの伴侶?誰がそんな風に教えたの?」
「私は存じませんが……『おれだよ~』……だ、そうです」
……っ、やられた。




