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いたいけなほしくず  作者: 有城 沙生
トレィス
22/30

トレィスのこと 2

小さな、小さな、人間の手。

 

心臓を掴まれるような、

胸にのし掛かる重さ。


なにかを掴もうと幾度も空を切る、

小さな手。


柔らかく笑うようになったトレィス。

 

私には出来なかった。

私では出来なかった。


トレィス自ら、デシィと名付けられた個体。

長いという理由で、愛称をつける。

記録にない感応が発生した。

過去記録との照合結果は不一致。

これは、肉体に刻まれた非記録的記憶刺激――いわゆる“既視感”と称される現象と類似している。

 


彼女が、覚束無い口調でトレィスの名を呼んだあの時。

それまでに記録にないトレィスの揺れを観測した。

呼吸、脈拍、体温。

頬の紅潮。

涙腺の弛緩。

デシィに固定された視線。

わずかに拡張している瞳孔。

微弱な発汗反応。

口角は上がり、緩んだ頰筋。

声帯の震え。

喉奥から漏れる、言葉にならない吐息。

 

 ぽっかりと沸く虚無。

 胸が――痛い。

 


「ポステア、今日も練習させて」


 そう言って、私の髪を結い上げるトレィス。

 始めた当初は、まるでまとまらなくて、検索した画像を参考に試行錯誤していたけど、いつの間にか、デシィの髪は纏まりを見せていた。

 こめかみの両横で結ばれているデシィの髪。


「どう?」

 鏡越しに目を合わせたトレィスが言う。

「……デシィのものと違いますね」

「当たり前じゃない。ポステアの為に結ったのに。『嬉しい』?」

 三つ編みにリボンが編み込まれて、後頭部で纏められた私の髪。

 後頭部の感情ユニットの挿入口を覆うように纏められた私の髪。

「私の…為に?」

「そうだよ。いつもおれを見てくれていたポステアのために、頑張ったんだけど……どう?『嬉しい』?」

 返答をしなければいけないのに。

 私の回路は検索不能で。

 ようやく手繰り寄せたのは、目。

 トレィスの目がぎろっとできたあの時をヒットする。

 頭の奥が締め付けられ、目の奥が熱くなる。

 これが、『嬉しい』


「ポステア?」

「ありがとうございます。恐らく『嬉しい』です」

「良かった。頑張った甲斐があったよ」

 そう私に向けられた笑顔は、デシィに向けられるものとは違う。

 いや。

 同じものだ。

 バイタルデータ。

 口角の角度――――

 眼輪筋。

 頬筋。

 前頭筋。

 上唇挙筋。

 目まぐるしく処理する回路。

 大頬骨筋。

 咬筋。

 口輪筋。

 そして、笑筋。


 デシィに向けられるものとは、数値は変わらないのに。

 私に向けられた笑顔は、こんなにも温かい。


「夢――は、まだ見ますか?」

「夢?ああ。ポステアは分かってるんだね。ここに来たときは頻繁に見ていたけど、最近はそうでもないかな?」

 

「夢とはどんなものでしょう?」

「――そうだね…画像を見ているときと似てるかな?そこにいないのに、いるような…知らないのに…知ってるような…」

 

「そうですか。それは『嬉しい』ですか?『可愛い』ですか?『寂しい』ですか?」

「えらく質問責めだね?どれも違うかな?強いて言うなら…」

 と、トレィスは考え込む。

 難しい問いだったのだろうか?

 

「『懐かしい』ってやつかもしれない」

「『懐かしい』?」

検索。ヒット。

 昔の事を思い出して、“心”が引かれること…。

 

「そこに私はいるのでしょうか?」

 私は片時も離れていない。

 私の知らないトレィスはいない。

 

「…………そう言えば……ポステアに似てるのかも知れない。ハッキリ顔は見えないけど」

「私ですか?」

「顔立ちは似てると思う。けど、何か違う…それが、何かわからないけど」

「視認出来ないのに、似ている?」

「……そう言えば。変な話だね。おれがポステア以外の女性を知らないからかもしれないね」

 

 小さく眉間に皺を寄せ、口角が上がる。

「『困って』ますか?」

「そうだね。答えが出せなくて困ってるね。だけど仕方ない。自由の効かない夢の中じゃ近寄って顔を覗き込むことも出来ないもの」

「夢は動けないのですか?」

「ん、見てるだけだ。男の人と女の人と、彼らを見ているおれ。でも不思議と嫌じゃない」

 

「男の人?」

「こっちはプレマルジナに似てるかな?……やっぱり他に知らないだけなのかもしれないね」

 

「髪で顔を隠している……男」

「……は?」

一拍置いて、トレィスがポステアを見た。

眉がわずかに寄る。

「誰ですか?」


 きゅるきゅると演算回路が音を立て、処理速度が鈍る。

 コアリンクの沈黙。

 不鮮明で不明瞭な人影。

 感情ユニットが干渉していない記録。


「どうしたの!」

 トレィスが驚いている。

「……ぽうす?」

 デシィの小さな手が私の額に置かれている。

「大丈夫ですか?」

 デシィのプレマルジナが、ゆっくりと笑った。


 ――と。

「びぇぇぇ!」

 デシィがいきなり泣き出す。

 トレィスの腕の中にしがみついて…震えている?

 

 プレマルジナはそのデシィを眺めて、

「子どもが“こういうこと”に敏感てホントなんだね」

 と、言うものの、保護対象の異変に対してプレマルジナは動かない。

「俺じゃダメみたいだから、トレィスよろしくね」

 

 プレマルジナが私を見る。

  顔が見えた、その瞬間だった。

 私は彼に抱きついていた。


「え?」

 トレィスと私の声が重なる。

 

「ごめんね。綺麗に編み込んであるけど、ほどくよ。いいね?トレィス」

 

 プレマルジナの手が髪にかかる。

 ダメだ!

 咄嗟に体を引こうとするが、プレマルジナの腕から動けない。

 

「髪はまた結って貰いなさい。いいね!トレィス!」

 先程より強い口調。

 

「はい!もちろんです!」

 泣き止まないデシィ。


 プレマルジナの顔が近づく。

 耳元で囁かれる、声。

 ――Bonan nokton, Mashiro


 かちっ、と頭の中で音がした。 

 

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