トレィス
デシモテルセロ――――長いな。
『デシィ』とかでいいか。“愛称”てやつだ。
プレマルジナとポステアにそう提案すると、快諾された。
『デシィ』のプレマルジナは、トレサのプレマルジナとは明らかに違う。
五歳の頃の記憶は曖昧なものだけど、トレサのプレマルジナはよく笑っていたし、冗談も言った。
いたずらを仕掛けてきたし、嫌味も言ってきた。
何より、このじっと観察するような目をすることはなかった。
『デシィ』のプレマルジナは、僕のポステアとよく似て、作り物みたいな固い笑顔しか見せていない。
「トレィス?どうしました?」
ポステアが話しかけてくる。
「可愛いって、何だろうね」
小さな指。
小さな顔。
小さいのはわかるけど、可愛いはわからない。
――――
トレサとウノスの間に二人目の子供が生まれて、トレサが自慢げに通信をしてきた。
「ふうん…で、名前は何て言うの?」
「よんっ!」
「はあ?」
「ウノスとトレサで四!よん!」
「それは、名前か?」
「どうせ、私たちも数字なんだもん、いいじゃない」
「かわいい…とかは考えないのか?」
「なんで?名前だよ?」
「……上の子は何だっけ?」
「男の子だったから、チィカ!」
「じゃあ、女の子だからシィカでいいんじゃないか?ほら、4て、し、とも言うじゃない?」
なんとか、よんなんて名前にならずにすんだようだ。
僕たちの名前は数字だけど、それにどんな意味があるかなんて、考えたことはないけど……よん、はないと思う。
――
床に座って、『デシィ』を抱えて、ポステアとプレマルジナが、僕らの食事の準備をしているのを待つ。
自立歩行はおろか、食事さえままならない個体。
育児の事なんか知るよしのない僕の腕の中で、自分を預けて笑っている。
恐らく満足に視力もなく、空を掴むように伸ばす手は、一体何を探しているのか。
泣き、時に笑い、全てを他人の手に預け、生きさばらえる。
でもこれは、かつての自分。
確かにあった筈の、自分の過去。
「お待たせいたしました」
料理を手に現れるポステア。
笑顔。
あれ?彼女は、こんな顔をしていたのか?
彼女はこんな優しい目で僕を見ていたのか?
アカトンボ…
繰り返し夢に出てくる単語。
昆虫…
ドームの天井の…エフェメラとよく似ていた。
外界と、僕らの、生活圏内を隔てている、壁。
この見えていない壁が、大切だと知ったのは、第三ドームに来てからだ。
外から見たドーム。
今まで居た処の丸い空とは違って、幾重にも重なったパズルのような継ぎはぎの天井――――エフェメラ。
…硝子にも見えるその壁は、虫の翅が重なって、僕らを守ってくれているのだけど、ここは重なった虫の翅が完全に硬化していない。。
「出来て、整えられたばかりですから」
と、ポステアは言っていた。
もしや僕のために作られたのか?
…まさかね。
「“寂しい”ですか?」
寂しい…のかな?
“お父さん”との見えない壁。
トレサとの、扱いの違い。
幼くても、感じ取れるそれが、無くなった方が嬉しかった。
暫くすると、ここの天井も丸くなり、本部にいた時と同じような空が広がった。
「エルフが大人になり、汚染物質を食べることで翅が硬化して、正常な空を見せるのです」
まだ、トレサと器にいた頃にも聞いた、エフェメラの構造。
同じようにポステアが繰り返す。
終わってしまった世界に、作られた僕ら。
「…デシィ?僕らはどうするべきなんだろうね?」
何となく声にしてみる。
「びえぇぇ!」
タイミングよく何かを訴えるデシィ。
見たこともないママを慕って泣いたのは、多分今のデシィと何ら変わりはないのだろう。
“お父さん”とプレマルジナと話すトレサ。
ポステアと話せない僕。
構われ方が分からなくて、
寝物語のお母さんに抱き締めてもらいたくて、
構ってもらいたくて、
ママって言ってみたら、
お父さんもプレマルジナも慌てて。
なんだかな。
そんなことに比べたら、デシィはただ、生きることに忙しい。
食べて、寝て、泣いて、不快を訴えて……
そんな毎日の中。
同じようでいて、変わる毎日。
歯が見えた。
腰の位置が変わった。
起き上がった。
離乳食になった。
立ち上がった。
歩いた。
「とおいす…」
話した。
目の奥が熱くなる。
鼻の奥が熱くなる。
それを冷ますかのように溢れる雫は、
思いの外温かくて…
これが、可愛いなのかと思った。
――――
そうして、瞬く間に五年が過ぎた。
デシィの独り立ち。
デシィは、プレマルジナと二人の生活が始まる。
また、ポステアと二人の生活になるんだ…と、思っていたら、“お父さん”から、通信が入った。
「トレィス、その第三ドームをデシモテルセロに譲り、本部でシィカを育てろ」
……何を言ってるのかな?
シィカって、トレサの……ああ、五歳か。
トレサの子でも、五歳で独り立ちなのか。
……違うかも知れない。
「トレィス、計画の次段階としてプレマルジナを命ずる」
……何を言ってるんだろう、こいつは。
振り向いてポステアを見る。
あからさまに、困惑を見せている。
「知ってた?」
と、聞くと、
「シィカを育てるに当たって、人に育てさせたいとのことです」
……それか。




