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天道の涯  作者: 三好長慶
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第6話 蕾の季節

己の功を決して誇らなかった丙吉だが、"嚢中(のうちゅう)きり"といわれるように、具眼ぐがんにはその人格と能力を高く評価され、頭角を現し始めた。

特に大将軍霍光から厚く信頼され、光禄大夫(こうろくたいふ)(宮廷顧問官)として霍光を補佐するようになった。


霍光・金日磾 ・上官桀 の3人の重鎮によるトロイカ体制でスタートした昭帝新政権であったが、まもなく金日磾が病没してしまい、朝廷は霍光と上官桀の両巨頭体制となった。


お互いの子供同士を結婚させている親族でもある二人は当初良好な関係であったが、孫娘が昭帝の皇后となったことで上官桀は徐々に増長し、利権を要求し始めた。そのまま要求を受け入れれば、なし崩し的に上官桀の権力が増大し、バランスが崩れることは目に見えている。霍光は上官桀の要求を拒否せざるを得ず、二人は激しく対立することとなった。


幼少期から宮廷で育った霍光と、近衛兵上がりの上官桀とでは宮廷パワーバランスの察知能力にあまりにも差があったのだ。本来であれば最も人格に優れた金日磾が調整役となるはずだったのだが、病没により期待は脆くも崩れ去った。


ついに、上官桀は霍光の政敵である燕王劉旦(りゅうたん)(武帝の三男で昭帝の兄)、御史大夫の桑弘羊と結託し、クーデターを計画した。

霍光の留守中、昭帝に「霍光が謀反した」と奏上し誅殺の裁可を求めたが、少年と侮った昭帝に矛盾を見破られ失敗、計画は露見し上官桀一派は粛清された。

元鳳げんぽう元年(BC80)から13年続く霍光の独裁体制の始まりであった。


その間、丙吉は光禄大夫として仕えながら、配下を使い病已の様子を定期的に報告させ続けていた。


魯国の史家で曾祖母に養育されてから3年後、病已の皇籍復帰が認可され、都長安にある掖庭えきてい(後宮)の官舎で生活することになった。

皇籍復帰したとはいえ無位無官の庶民扱いで、下働きの宦官たちと同じ官舎と最低限の生活費が支給されるだけであったが。

(なお、その頃には曾祖母は高齢のため亡くなったと思われる)


だが天は病已を見捨てない。次に病已に手を差し伸べたのは、掖庭令(後宮管理人)の張賀ちょうがという宦官だった。

張賀はかつて皇太子劉拠に賓客として仕えた男で、巫蠱の禍で皇太子が敗れた際に処刑されかけたが、武帝に尚書令しょうしょれいとして仕えていた弟の張安世ちょうあんせいが助命嘆願したため、宮刑を受けて生き延びた経験があった。


張賀は宦官にされたことを恨むどころか、皇太子の孫が孤児になっているのを見て哀れみ病已を手厚く保護し、私費で全額援助し自分の甥と共に学問を学ばせることまでした。


張賀がそこまでしたのは、彼が純真で裏表のない好人物であるだけでなく、亡き皇太子から非常にかわいがられた恩に報いたかったからなのだ。生前の皇太子の積んだ善行が繋いだ縁であった。


こうして、孤児ながらも周囲の人々に恵まれ病已は成長し、十代半ばになるとかつての病弱さはなりを潜め、鍛え上げられた筋骨たくましい肉体の若者に成長した。


学問を好み成績は優秀だったが、一方で市井の若者らしく仲間と闘鶏ギャンブル走馬レースといった遊びに熱中し、愛用の長剣を背負い馬に乗って地方を旅し、困った人を見つけては助ける遊侠生活アウトローライフを送っていた。

塩の生産地で荒くれ者(ヤクザ)と衝突し、何度もピンチに陥ったこともあるようだ。


現代風に言えば正義のヤンキー総長ヘッドというところだろうか。実際若者たちからはかなり人気があったらしく、病已が街で麦餅を買うと、その店には客が殺到して餅が売れまくったという。こうした生活で庶民生活や経済流通の実情を肌で学んだ。


忙しくも充実した日々であったが、ときおり病已は独り荒野を馬で駆け、沈む夕陽を眺めながら物思いにふけることがあった。

自分の生い立ち、亡き家族のことを考えるとき、曾祖母の家に引き取られる以前、父や母のような誰かがいたような気がするのだが、ぼんやりとしか思い出せないのだ。


(掖庭令(張おじさん)はすごく親切だし他のみんなもいいヤツラだ。でもオレの幼い頃のことを知ってる人は誰もいない。吾が産まれて数ヵ月で父母は死んだということだが、父亲(とうさん)母亲かあさんのようなあの人たちは一体どこの誰なんだろう。もう一度会えないだろうか…)

そんな悶々とした思いを振り切るために、病已は遊侠に身を投じたのかもしれない。


日に日に立派な若者へと成長する病已を見守る張賀は目尻を下げっぱなしで、人に会えば病已を褒めちぎり、自分の孫娘を嫁がせようとまでした。

だが、右将軍として朝廷で重きをなしていた弟の張安世から「哥哥(にいさん)、病已は無実であったとはいえ乱を起こして亡くなった皇太子の孫なのですよ。既に嫡流から外れたのですから、衣食を官から支給されてるだけで充分です。まして孫を嫁がせるなどもってのほかです」と叱られてしまった。


張安世の立場からすれば、現在昭帝に仕えている裏で、自分の兄が元の皇太子の孫を密かに養っているなど、謀反を企んでいると疑われても仕方ない行為なのだ。病已を放逐させなかっただけでも温情というものだった。

弟に釘を刺されてしまっては、張賀も孫娘を病已に嫁がせるのは諦めざるを得ない。

危険を冒して自分を処刑から救ってくれた、命の恩人である弟には頭が上がらないのだ。


そこで張賀は思案の末、宦官仲間の許広漢きょこうかんを酒宴に招いた。許広漢には病已と同じ年頃の気立ての良い娘がおり、名を平君(へいくん)といった。


張賀は許広漢にどんどん酒を注ぎ、いい機嫌になったところで「ウチの公子わかさま(病已)とキミの娘さんは同じ長屋住まいだ、よく知った顔馴染みで仲良くしてるようだし、私が見たところお互い憎からず思ってるようじゃないか。どうだろう。似合いの夫婦になると思わんか?

いや、確かに公子は財産はないが何と言っても皇族だし、将来きっと出世なさる。婚礼費用は私が出すから」と、病已と平君の結婚を勧めた。


この許広漢、人は好いものの粗忽が服を着て歩いているような男で、元々は皇子の近臣だったのだが重要な仕事に限ってドジを踏んでばかりで、武帝の怒りを買い宮刑に処されたうえ、とうとう下級宦官にまで転落してしまったのだ。


許広漢は張賀のうまい話にホイホイ飛びついて娘の縁談を二つ返事で約束し、ほろ酔い気分で帰宅したところ、(おかみさん)に「あンた!大事なことを勝手に決めてくるんじゃないよ!それに皇族ったって相手はもん無しじゃないのさ!」と烈火の如く怒られてしまった。


広漢は怒れる妻に平謝りしながらも、「そうは言ってもさお前、平君だって世間じゃ後家扱いだ、この機会を逃したら貰い手が無くなっちまうよ。

それに今は文無しでもまだ若いんだ、これから稼げるようになるさ。端くれとはいえ皇族だ、もしかしたら関内侯かんだいこう(領地はなく収入のみの貴族)くらいには出世するかも知れないじゃないか」と説得した。


実は平君は、広漢の宦官仲間である欧侯おうこう氏の息子に嫁ぐことになっていたのだが、婚礼寸前に相手が急死して破談になったばかりだった。

そんな事情もあり、妻は「はぁ…じゃあ仕方ないねぇ…せっかくの器量良しなのにあの娘も運がないわねぇ…」と渋々了承した。


こうして15歳の病已と平君は晴れて夫婦となった。相変わらずの貧乏生活だったが、2人の仲は睦まじく、翌年には長男が誕生した。

なお、張賀はこのころ死去したようだ。幸せな家庭を築いた病已を見届けて満足したかのようだった。


病已はこうして平凡な庶民として、貧しくも楽しいまあまあ幸せな一生を送る。

誰もがそう思っていただろう。


だが事態は急転する。元平げんぺい元年(BC74)4月、昭帝がわずか21歳で崩御したのだ。

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